正田美智子 [本/雑誌]
1投稿者:777  投稿日:2019年04月12日(金) 08時21分36秒
秘話でなくてCIAが日本人を騙す為に拡散してるデマだよ

真実は

正田美智子は父親は被差別同和部落出身で、母親は朝鮮人とイギリス人のハーフ(売春婦の父無し子?)

それで15歳の時から何度お見合いしてもすべて断られていた。

美智子さんを、お見合い相手にとお勧めされたのは皇太子以外にもいて、その中の一人が、あの三島由紀夫。

良く言って中流の三島にお勧めされてお断りされた女性が、軽井沢の恋、で皇太子妃になった。
「ちゃんとした皇太子妃候補」なら常磐会は大反対しなかったでしょうね。、

「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきている。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。

「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒だったので、天皇家の信仰を破壊する目的で皇太子に押し付けたのです。
2投稿者:2  投稿日:2019年04月13日(土) 15時27分48秒
部落出身者は男はヤクザ、女は風俗 に決まってるんだよ。

美智子の実家も部落民で、朝鮮売春婦の娘と結婚してるだろ:

陰湿な差別の中でカムアウトできない『噂真』最後のタブー『部落出身芸能人』
 
 そして最後に触れておきたいのは、ある部落出身者が皇族に嫁いでいるとい
う事実だ。皇族と部落が重なっている、まさに日本最大のタブーなので、報道
されたことは一度もない。ある関係者からその確証を得て今回、わたしは実地
にその部落を見に行ってきた。

何県かということもここでは控えたい。そこは、今は廃れてしまったが、元
は有名な城下町。その人の住んでいた場所の裏にひっそりと、忘れさられたよ
うに白山神社が建っている。その周囲は見事にボロボロのバラック様の建物ば
かりで、N・Aの出身地N地区よりも田舎だけに、そのみすぼらしさはよく目立
つ。もちろん未指定地区になっている。ここの出身者が皇族に嫁いだというこ
とで、指定地区を見送られたのだ。そのため、行政による環境改善はほとんど
入っていない。かつてMと呼ばれたこの地区は、その昔は湿地帯で住みにくい
ところだったと、明治以前の記録に残されている。

 この地域の城跡はここから数キロ離れたところにあるのだが、実際に城があっ
た頃は、この部落の近くまで勢力があった。城の追手門跡は、実にこの部落の至近
に設置されている。長吏や牢番を代々担当してきたのは部落民だったため、昔の城
の近くには被差別部落が置かれることが多かったのだ。
3投稿者:2  投稿日:2019年04月13日(土) 20時01分57秒
今上天皇は知恵遅れ
皇太子は知恵遅れ
秋篠宮はフツーの人

からすると秋篠宮は今上天皇の子供では有り得ないな
4投稿者:2  投稿日:2019年04月14日(日) 20時40分36秒
皇族関係の真実を追求した人間は全員行方不明になっているからね:

◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。

以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。

若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。
5期連続当選のベテラン議員が。

中央が平井義一氏。

1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。
国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが
その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 – 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより

国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。

没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか?
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