アイヌ [本/雑誌]
1投稿者:777  投稿日:2019年11月30日(土) 19時48分07秒
的場光昭は悪質な詐欺師だと何度も書いたのに全然通じなかったみたいですね

的場著『アイヌ民族って本当にいるの?』のトリックを図で示した。pp.60-61に篠田著『日本人になった祖先たち』を引用したあとで、その内容に含まれない独自の解釈を、そうとはわからないように付け足しているのだ。
https://twitter.com/kotnei/status/699934030779666434/photo/1

的場光昭は悪質な詐欺師だと何度も書いたのに全然通じなかったみたいですね的場著『アイヌ民族って本当にいるの?』のトリックを図で示した。pp.60-61に篠田著『日本人になった祖先たち』を引用したあとで、その内容に含まれない独自の解釈を、そうとはわからないように付け足しているのだ。
https://twitter.com/kotnei/status/699934030779666434/photo/1

@kotnei 的場本の引用のしかたをよくみると、「…」として省略している部分があることがわかるでしょう。原文には「M7aは3〜4%です。Gタイプも当然両方に出ていて、現在になるとDが少し多くなります。」という説明が入っていました。もう、的場が使ったトリックが分かったと思います。 @kotnei 原文では、N9b,M7a,G,Dの分布の特徴について「おそらく本土日本人の影響を受け」たと分析していたのに対して、的場は意図的にその一部を引用せず、N9bを「和人に一般的」であることに文意を曲げ、それを根拠に縄文人とアイヌの間の連続性を否定したのです。
https://togetter.com/li/939720
2投稿者:2  投稿日:2019年11月30日(土) 19時58分56秒
的場光昭は悪質な詐欺師だと何度も書いたのに全然通じなかったみたいですね

的場著『アイヌ民族って本当にいるの?』のトリックを図で示した。pp.60-61に篠田著『日本人になった祖先たち』を引用したあとで、その内容に含まれない独自の解釈を、そうとはわからないように付け足しているのだ。
https://twitter.com/kotnei/status/699934030779666434/photo/1

的場光昭は悪質な詐欺師だと何度も書いたのに全然通じなかったみたいですね的場著『アイヌ民族って本当にいるの?』のトリックを図で示した。pp.60-61に篠田著『日本人になった祖先たち』を引用したあとで、その内容に含まれない独自の解釈を、そうとはわからないように付け足しているのだ。
https://twitter.com/kotnei/status/699934030779666434/photo/1

@kotnei 的場本の引用のしかたをよくみると、「…」として省略している部分があることがわかるでしょう。原文には「M7aは3〜4%です。Gタイプも当然両方に出ていて、現在になるとDが少し多くなります。」という説明が入っていました。もう、的場が使ったトリックが分かったと思います。 @kotnei 原文では、N9b,M7a,G,Dの分布の特徴について「おそらく本土日本人の影響を受け」たと分析していたのに対して、的場は意図的にその一部を引用せず、N9bを「和人に一般的」であることに文意を曲げ、それを根拠に縄文人とアイヌの間の連続性を否定したのです。
https://togetter.com/li/939720


しかし、チャンネル桜関係の人に、南京大虐殺は事実だとか慰安婦強制連行は事実だとか具体的証拠を揃えて指摘しても絶対に信じないですね。

思考力に致命的な欠陥でもあるのかな?
3投稿者:2  投稿日:2019年11月30日(土) 20時59分39秒
日本政府のアイヌ民族浄化政策でアイヌ語とアイヌ民族は滅ぼされた

これは本にもなったアイヌ語学者の浅井亨さんの講演

北方の古代文化 (1974年) 浅井亨 言語から見た地域集団
で有名になったのですが、日本政府は千島アイヌをシコタン島のアウシュビッツの様な収容所に押し込めて強制労働させた為に、若い男はすべて衰弱死し、千島アイヌは存続できなくなったのです。


中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前にアイヌに対して行った
千島アイヌは日本政府の民族浄化政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた

更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた
それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化は完了した

中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ

千島アイヌの強制移住による民族浄化

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、

「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。

アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位日本人に迫害されてきたかを思い出せ
4投稿者:2  投稿日:2019年11月30日(土) 21時00分44秒








77 71 秒前

自称専門家の的場光昭さんの学説はどこが間違っているか:

アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?
DNA解析により、アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来したのが判明!
北海道の縄文人には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNAのハプログループYがない。
よって、アイヌ民族は北海道先住民族ではない

自称専門家の的場光昭さんの学説の根拠が何なのかというと、遺伝学的には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループY(Y1)が北海道の「縄文人」にはない、ということです。上記ブログは、「北海道の縄文人とアイヌは全く関係ないと言える」と断定しています。以下、基本的には
近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajpa.23338に依拠して述べていきます
 確かに、現代アイヌ人のmtDNAハプログループに占めるY1の比率は19.6%で、比較的高いと言えそうです。また、北海道の縄文人ではY1は確認されていません。上記ブログは、江戸時代以降の日本人にもmtDNAハプログループY1が見られるので、江戸時代以前に倭人が北海道に多数いた、と推測しています。しかし、Y1が現代の「本土日本人」に占める割合は0.5%程度で、Y1はオホーツク集団由来と推測されています(オホーツク集団では43.2%)。
 また、現代アイヌ人にも近世アイヌ人にもN9bやG1bといった北海道縄文人のmtDNAハプログループは継承されており、現代アイヌ人では25%以上、近世アイヌ人では30%弱となります(M7a2も含めると30.9%)。もちろん、これは基本的には母系遺伝となるmtDNAのハプログループなので、核DNA解析ではまた違った割合になるでしょうが、少なくとも母系において、現代および近世アイヌ人は遺伝的に北海道縄文人と一定以上のつながりがある、と言えるでしょう。
 そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではない、という観点が上記ブログには欠けています。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。アイヌ人を遺伝的に云々といった見解の多くでは、論理の倒錯が見られるように思います。
 前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能です。
 そうした前近代の「民族的集団」の中には、民族は遺伝的に定義できる、といった単純素朴な観念が通用しない事例も報告されています。たとえばスキタイ人は遺伝的に、東方系がヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と、西方系が中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です青銅器時代のコーカサス地域のマイコープ(Maykop)文化集団は、山麓地域と草原地域とで遺伝的構成が明確に異なっており、遺伝的に異なる在来集団による共通の文化の形成・受容が想定されます もちろん、スキタイ人のようなユーラシア内陸部の遊牧民集団と、遊牧民が存在しなかったと言っても大過はないだろう日本列島の人類集団とを単純に比較できませんが、民族を遺伝的に定義することは基本的に間違っていると思います。民族はあくまでも文化的に定義された集団であり、任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、必然的に遺伝的構成が異なる、というだけのことです。これを倒錯させて、遺伝的構成の違いから民族集団を定義することはできません。
5投稿者:2  投稿日:2019年11月30日(土) 21時01分10秒

 本題に戻すと、上記ブログでは、アイヌ民族が12世紀頃に樺太から北海道に南下してきてオホーツク集団を滅ぼした、と主張されています。その根拠となる、アイヌ民族は北海道縄文人と(遺伝的に)まったく関係ない、との見解が間違いであることは上述したので、それ話は終わりです。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していた可能性も指摘されていますので、これを過大評価というか歪めて解釈して、アイヌ人が12世紀頃に北海道に侵略してきた、との与太話が今後拡散されるかもしれません。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後のシベリア先住民集団の北海道集団への遺伝的影響は、母系ではせいぜい6.4%程度で、大きな影響があった可能性はきわめて低そうです。
 なお、上記ブログでは、平取町からは正倉院御物と同じ組成の奈良時代の青銅器が発見されており、奈良時代にすでに天皇の力が北海道にも及んでいた、と主張されています。平取町の青銅器の話についてはよく知りませんが、仮にそうだとして、アイヌが北海道の先住民族だという前提は物的証拠によって完全に覆されている、との評価は的外れでしょう。確かに、正倉院御物と同じ組成の青銅器が北海道にあることを、天皇の「力が及んでいた」と解釈することは、定義次第ではあるものの、できなくもありませんが(かなり無理筋ではありますが)、それを言うなら、弥生時代や古墳時代の「日本」には、もっと強く「中国」の「力が及んでいた」と解釈すべきでしょう。
6投稿者:2  投稿日:2019年11月30日(土) 21時02分03秒
平安時代の日本の知識層の領域観念(関連記事)
2018年08月29日 佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ
からも、奈良時代の日本人には、北海道を「日本」に含めるような概念はなかっただろう、と思います。

7投稿者:2  投稿日:2019年12月01日(日) 08時01分43秒
有名な言語学者だった浅井亨先生は疾うに亡くなっていますが、

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12 藤村 久和 (著)

でもアイヌ文化研究者の藤村 久和 さんが、日本の過去のアイヌ学者が如何にアイヌ人から貴重な文物を騙し取ったかを書いています。

アイヌ人が信用したアイヌ研究者は 浅井亨さんと 藤村 久和 さんの二人だけだったのですね。 それ以外は金田一京介、河野常吉、河野広道も含めて全員が詐欺師でした。
8投稿者:2  投稿日:2019年12月01日(日) 08時31分57秒
有名な言語学者だった浅井亨先生は疾うに亡くなっていますが、

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12 藤村 久和 (著)

でもアイヌ文化研究者の藤村 久和 さんが、日本の過去のアイヌ学者が如何にアイヌ人から貴重な文物を騙し取ったかを書いています。

アイヌ人が信用したアイヌ研究者は 浅井亨さんと 藤村 久和 さんの二人だけだったのですね。 それ以外は金田一京介、河野常吉、河野広道も含めて全員が詐欺師でした。

因みに、最新のDNA解析でアイヌ人が縄文人と遺伝子が一致するのがわかる遥か以前から、アイヌが縄文人に一番近いというのはすべての研究者の一致した意見でした:

アイヌ―シンポジウム その起源と文化形成 (1972年) 埴原 和郎 (著)

でも参加者全員がアイヌは縄文人の子孫だと言っています。

それからアイヌ語の地域差は津軽弁と秋田弁の違い程度で単なる方言差です。そもそもアメリカ・インディアンやニューギニア原住民の様な原始民族は狭い地域でも何百・何千もの言語に分かれています。

基本的に住んでいる川筋が違えば言葉が違うのが普通なのです。
アイヌ語の地域差を別言語だと考えている言語学者は一人もいません。

アイヌ語はツングース語ともニヴフ語とも全く違うので、アイヌ人がシベリアから来た可能性は完全にゼロです。
7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある

日本語は系統的孤立言語の一つとされていますが、ユーラシア大陸圏における10近い系統的孤立言語の半数近くが日本列島とその周辺に集中している、と本論文は指摘します。日本語以外では、アイヌ語・アムール下流域と樺太のギリヤーク(ニヴフ)語・朝鮮語です。本論文は、こうした系統的孤立言語の系統関係を明らかにするには、伝統的な歴史・比較言語とは別の手法が必要になる、と指摘します。歴史言語学で用いられる、おもに形態素や語彙レベルの類似性に基づいて言語間の同系性を明らかにしようとする手法では、たどれる言語史の年代幅が5000〜6000年程度だからです。つまり、たとえば日本語とアイヌ語の共通祖語があったとしても、少なくとも6000年以上はさかのぼる、というわけです。

ユーラシア大陸圏の言語はまず内陸言語圏と太平洋沿岸言語圏に分類され、さらに太平洋沿岸圏を南方群(オーストリック大語族)と北方群(環日本海諸語)に分類します。系統的孤立言語とされる日本語・アイヌ語・ギリヤーク語・朝鮮語は北方群に分類されています。

アイヌ語は地域差が有っても一つの言語であるというのが言語学の定説です。
9投稿者:2  投稿日:2019年12月02日(月) 06時50分10秒
ド素人の妄想はもういいよ

戦後アメリカ文化が日本に入ったら日本人が滅びてアメリカ人に変わったとでも思ってるのかな?

大西秀之「アイヌ民族・文化形成における異系統集団の混淆―二重波モデルを理解するための民族史事例の検討」
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_24.html

擦文文化とオホーツク文化は、700〜900年頃に北海道で並存していましたが、それぞれ異なる生活圏に分布し、基本的には相互交流などの接触関係はひじょうに限定的でした。しかし、10世紀頃に両文化は急激に接触融合していきます。また、こうした接触融合は、北海道の東部と北部で別々に進展した、と考古資料から確認されています。本論文は、資料的にも豊富で研究の蓄積が進んでいる、トビニタイ文化と考古学的に設定された北海道東部の事例に焦点を当てています。トビニタイ文化は、オホーツク文化が擦文文化から人工物や生産・生業技術や居住パターンや生計戦略などの数々の要素を段階的に受け入れ、最終的に擦文文化に吸収・同化されていく移行段階と推定されています。たとえば、トビニタイ文化集団は、最初期のトビニタイ土器を、オホーツク文化の製作技術を用いて、擦文式土器の模様・装飾・器形を模倣して製作していましたが、最終段階ではその技術を完全に習得し、擦文式土器そのものとしか判断できないものを製作するようになります。同様の現象は、住居構造や道具組成などでも確認されています。これらの事例から、トビニタイ文化は、最終的には少なくとも物質文化側面では、擦文文化そのものと区別がつかないものになります。
 一方、擦文文化の側には、オホーツク文化と接触融合し、トビニタイ文化を形成する証拠や動機は確認されていません。そのため、トビニタイ文化は、オホーツク文化側が積極的に擦文文化に同化吸収された過程と想定されています。遺伝学でも、考古資料から導かれたオホーツク文化集団の擦文文化集団への同化吸収が確認されており、現在のアイヌ民族はオホーツク文化集団の遺伝子を相当な割合で継承している、と明らかになっています(関連記事)。北海道東部におけるオホーツク文化と擦文文化の接触融合が起きた理由として、環境変動や政治社会的影響などが提示されています。しかし、そうした仮説の大部分は、具体的かつ充分な考古学的証拠に基づくものではない、と指摘する本論文は、考古資料から両文化の接触融合の要因を検証できる対象として、トビニタイ文化の鉄器を挙げています。
 まずトビニタイ文化の鉄器に関しては、その形態的特徴に基づいて、オホーツク文化から擦文文化に類似するものに置換した、と指摘されています。つまり、トビニタイ文化における鉄器の供給源は、アムール河流域を中心とする北方経路から、本州以南からの南経路に移行した、と推測されます。またオホーツク文化の分布圏は、本州以南の鉄器供給経路と直接的には接していないため、擦文文化を介して鉄器を入手していたと推測されます。もしそうだったなら、北海道東部のオホーツク文化集団は、日常生活を営む上で不可欠な鉄器の安定供給を確保するため、擦文文化との関係性の構築が不可避となり、両文化集団の接触融合が進んだ、と考えられます。こうした接触融合は、オホーツク文化の期間よりも遥かに多くの量の鉄器をトビニタイ文化集団に安定的に供給し、その結果として、日々の社会生活を維持するために不可欠な道具のほとんどを石器から鉄器に置き換えることができた、と推測されます。
 こうした歴史展開を踏まえると、北海道におけるオホーツク文化集団もまた、アイヌ文化形成の潮流に関与している、と理解できます。なぜならば、「原アイヌ期」とされる擦文文化期から中世アイヌ期への移行は、「本土」における交易ネットワークと地域分業への統合過程に起因すると想定されるからです。つまり、遺伝的・文化的に擦文文化集団と異なる系統とされるオホーツク文化集団の消長もまた、アイヌ文化形成の展開のなかの一潮流に統合される、という理解が可能となるわけです。
 本論考は最後に、アイヌ文化形成におけるオホーツク文化の役割について考察しています。オホーツク文化のなかには、中世以降のアイヌ文化形成において重要な関与を果たし、現在までのアイヌの文化遺産として引き継がれている要素が少なからず指摘されています。その最も顕著な事例の一つとして、イオマンテと呼称されるクマの送り儀礼が挙げられます。この儀礼は、アイヌ社会において最も重要な文化的実践とみなされています。しかし、現在まで擦文文化には、クマ送り儀礼の痕跡と言えるような考古資料はきわめて限定的にしか確認されていません。これに対してオホーツク文化の遺跡からは、クマなど動物の送り儀礼に関連すると推察される遺物や遺構が数多く検出されています。この他、アイヌ民族・文化の言語や象徴実践などにも、オホーツク文化に由来すると推察される痕跡が少なからず指摘されています。
 こうした事例から、オホーツク文化集団は、遺伝的にも文化的にもアイヌ民族・文化のもう一つの源流である、と理解できます。この見解は、従来、縄文文化・時代から直接的かつ単線的に語られてきたアイヌ集団の歴史に対する再考と新たな展望を開くものとなるだろう、と本論文は指摘します。さらに本論文は、資料的に限定された先史考古学にとっても、時間的に限定された民族誌調査にとっても、アプローチが困難な異系統集団の接触・融合の仮定と要因を追究する上で、擦文文化とオホーツク文化は有用な参照事例となるだろう、との見通しを提示しています。
10投稿者:2  投稿日:2019年12月02日(月) 17時24分37秒
2019年11月09日 北條芳隆編『考古学講義』第2刷
第4講●瀬川拓郎「アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか」P85〜102
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_20.html

 北海道は、

旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ文化期

と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。

アイヌ文化は考古学的にそれ以前の文化とは大きく異なるのですが、研究の進展に伴い、連続的な変化が確認されつつあります。

なお本論考は、考古学的文化に民族名を冠することは問題だとして、アイヌ文化ではなくニブタニ文化と呼ぶよう、提唱しています。

本論考は、アイヌ文化に見られる縄文文化の要素として、イレズミ・モガリ・動物祭儀などを挙げています。北海道の動物祭儀に関しては、すでに縄文時代において、自然には生息しないイノシシを本州から連れてきて屠殺し、共食していた可能性が指摘されています。これは、縄文時代の本州にも見られる祭儀でした。

本論考は、日本列島において縄文文化が色濃く残るのは、本州・四国・九州を中心とする「本土」ではなく、アイヌ側だと指摘しています。
11投稿者:2  投稿日:2019年12月02日(月) 17時36分02秒
文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は多様なので、ある地域の文化変容を単純に集団の遺伝的構成の変容、さらには置換と判断することはできません。これを踏まえて「考古資料から集団置換が起きたか否かを判断するのは容易ではないというかほぼ無理で、古代DNA研究に依拠するしかない」と述べたら、「遺伝子研究では縄文人とアイヌ民族を結びつけることは出来ないということで大変参考になりました」と返信されて、あまりの読解力の低さにうんざりさせられました。

 北海道の時代区分は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ(ニブタニ)文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。この間の文化変容と「遺伝的証拠」から、アイヌは「(北海道)縄文人」の子孫ではなく、12世紀頃に北海道に到来した、というような言説(関連記事)もネットの一部?では浸透しているようです(アイヌ中世到来説)。もっとも、こうしたアイヌ中世到来説やそれに類する言説を主張する人は、上述のやり取りから窺えるように読解力が低すぎるのではないか、との疑念がますます深まっています。

 それはさておくとして、考古学的には、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期、さらには近現代のアイヌにわたる人類集団の連続性を指摘する見解が主流で、アイヌ中世到来説はまともな議論の対象になっていない、と言えるでしょう(関連記事)。また考古資料から、縄文および続縄文文化を継承した擦文文化の側が主体となってオホーツク文化を吸収し、アイヌ(ニブタニ)文化が形成された、との見解も提示されています(関連記事)。アイヌ中世到来説論者に言わせると、こうした評価は適切ではない、ということになるのでしょうが、上述のように文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではありませんから、置換があったと断定することはとてもできません。もちろん、考古資料だけを根拠に、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を断定することもまたできません。もっとも、考古資料も縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を示唆している、と私は考えていますが。

 古代DNA研究も含めて現時点での遺伝学の研究成果からは(関連記事)、アイヌが「(北海道)縄文人」の強い遺伝的影響を受けている可能性はきわめて高い、と言えそうですが、この問題の解決には古代DNA研究の進展を俟つしかないと思います。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html
12投稿者:2  投稿日:2019年12月02日(月) 17時44分55秒
国民国家という概念ができたのは17世紀以降の事ですね。 アイヌ人は狩猟民族で総人口も2万人程度ですから国家はおろか町すら作らない、戦争はおろか殺人用の武器すら持って居ない。

北海道の擦文文化は東北の同時代の土師器文化と全く同じで、農耕も行っていたのがわかっています。しかしその後土器作りを止めて、東北から鉄器を輸入して使う様になった。そして何故か農耕も止めてしまった(おそらく和人から鉄製農器のアイヌへの輸出を一方的に止められた)

つまり日本人からの影響で農耕的要素を無くし、海獣狩猟に適合しているオホーツク人のトビニタイ文化を取り入れて非農耕のアイヌ狩猟文化を作った。和人とトビニタイ文化の影響で文化変容したというのが定説です。

遺伝子的にはオホーツク人との混血が確認されていますが、シベリアから異民族が北海道に入って来た形跡は、考古学的にも遺伝子的にも、完全にゼロなのですね:
13投稿者:2  投稿日:2019年12月02日(月) 17時46分50秒
国民国家という概念ができたのは17世紀以降の事ですね。 アイヌ人は狩猟民族で総人口も2万人程度ですから国家はおろか町すら作らない、戦争はおろか殺人用の武器すら持って居ない。

北海道の擦文文化は東北の同時代の土師器文化と全く同じで、農耕も行っていたのがわかっています。しかしその後土器作りを止めて、東北から鉄器を輸入して使う様になった。そして何故か農耕も止めてしまった(おそらく和人から鉄製農器のアイヌへの輸出を一方的に止められた)

つまり日本人からの影響で農耕的要素を無くし、海獣狩猟に適合しているオホーツク人のトビニタイ文化を取り入れて非農耕のアイヌ狩猟文化を作った。和人とトビニタイ文化の影響で文化変容したというのが定説です。

遺伝子的にはオホーツク人との混血が確認されていますが、シベリアから異民族が北海道に入って来た形跡は、考古学的にも遺伝子的にも、完全にゼロなのですね:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系
14投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 14時22分24秒
北海道博物館のアイヌ料理にジャガイモが使われていたから改竄・捏造だとか批判してたけど、何かなー
ジャガイモは第二次大戦中の食糧難の時代にアイヌが特に重用した野菜だから出していたんだろ。アイヌ料理は縄文時代以来の伝統で、鍋に肉・干した鮭、野菜・木の実等を何でもすべて入れて煮て食べる汁物だから、具は何でもいいんだ。

アイヌ民族の食文化は漁撈や狩猟で得られた鮭や鹿、山野の採集で得られたオオウバユリの鱗茎やドングリ、山菜、畑で栽培された雑穀やジャガイモなどを素材とする。特徴としては、油脂をふんだんに使った味付けが挙げられる[1][2]。

アイヌ時代の前段階である10世紀頃の擦文時代、さらにそれ以前の続縄文時代から、既に北海道でも農耕が行われていた。札幌市のサクシュコトニ川流域や、浦幌町十勝太で発見された11世紀の擦文遺跡からはヒエ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されている[41]。さらにオホーツク海沿岸地方で同時期に栄えたオホーツク文化においても、アワ、ヒエ、オオムギの栽培が確認できる[42]。

しかし12世紀から始まるアイヌ時代に至って、農耕は縮小する傾向にあった。

これは寒冷な気候ゆえに農耕を諦めたというより、本州との交易用の干魚や毛皮調達のため、狩猟、漁撈に重きを置いた結果らしい[43]。さらに17世紀後半のシャクシャインの乱以降、アイヌとの交易を自身の都合よく進めたい松前藩は、アイヌが農業で自活しないよう、鍬や鋤、鎌など鉄製農具の流通を制限していたことも理由として上げられる[44][45]。

アイヌ語で農業を「トイタ」と呼ぶ。江戸時代後期の和人の紀行文や明治期の学者によるアイヌへの聞き取り調査によれば、農業は女の仕事であり、片手間に行われるようなものだった[46]。
畑にはピヤパ(稗)、メンクル(黍)、ムンチロ(粟)、ソバ、アタネ(カブ)を蒔きつける。時代が下ってからは豆類、さらにジャガイモ、南瓜など新大陸原産の作物も栽培されるようになった[49]。

雑穀類にはアイヌ語名がついているが、マメ、ジャガイモ、南瓜はアイヌ語でもそれぞれ「マメ」「イモ、エモ」「カンボチャ」であり、時代が古くないことがわかる。記録によれば、寛政年間に最上徳内が蝦夷地に種芋を持ち込み、虻田郡のアイヌに栽培させたのが北海道におけるジャガイモ栽培の起源だという[50]。

一方、千島や樺太のアイヌはジャガイモを「ヌチャトマ」(ロシアのエゾエンゴサク[note 3])と呼ぶことから、アイヌ世界におけるジャガイモの伝播には北方(ロシア帝国)と南方(日本)、2つのルートが存在したことが伺える[50]。
15投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 14時25分58秒
北海道博物館のアイヌ料理にジャガイモが使われていたから嘘だとか批判してたけど、何かなー
ジャガイモは第二次大戦中の食糧難の時代にアイヌが特に重用した野菜だから出していたんだろ。アイヌ料理は縄文時代以来の伝統で、鍋に肉・干た鮭、野菜・木の実等を何でもすべて入れて煮て食べる汁物だから、具は何でもいいんだ。

アイヌ民族の食文化は漁撈や狩猟で得られた鮭や鹿、山野の採集で得られたオオウバユリの鱗茎やドングリ、山菜、畑で栽培された雑穀やジャガイモなどを素材とする。特徴としては、油脂をふんだんに使った味付けが挙げられる。

アイヌ時代の前段階である10世紀頃の擦文時代、さらにそれ以前の続縄文時代から、既に北海道でも農耕が行われていた。札幌市のサクシュコトニ川流域や、浦幌町十勝太で発見された11世紀の擦文遺跡からはヒエ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されている。

しかし12世紀から始まるアイヌ時代に至って、農耕は縮小する傾向にあった。
これは寒冷な気候ゆえに農耕を諦めたというより、本州との交易用の干魚や毛皮調達のため、狩猟、漁撈に重きを置いた結果らしい。さらに17世紀後半のシャクシャインの乱以降、アイヌとの交易を自身の都合よく進めたい松前藩は、アイヌが農業で自活しないよう、鍬や鋤、鎌など鉄製農具の流通を制限していたことも理由として上げられる。

アイヌ語で農業を「トイタ」と呼ぶ。江戸時代後期の和人の紀行文や明治期の学者によるアイヌへの聞き取り調査によれば、農業は女の仕事であり、片手間に行われるようなものだった。
時代が下ってからは豆類、さらにジャガイモ、南瓜など新大陸原産の作物も栽培されるようになった。

記録によれば、寛政年間に最上徳内が蝦夷地に種芋を持ち込み、虻田郡のアイヌに栽培させたのが北海道におけるジャガイモ栽培の起源だという[50]。

アイヌ世界におけるジャガイモの伝播には北方(ロシア帝国)と南方(日本)、2つのルートが存在したことが伺える。
16投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 14時27分55秒
北海道博物館のアイヌ料理にジャガイモが使われていたから嘘だとか批判してたけど、何かなー
ジャガイモは第二次大戦中の食糧難の時代にアイヌが特に重用した野菜だから出していたんだろ。アイヌ料理は縄文時代以来の伝統で、鍋に肉・干鮭、山菜・木の実等何でもすべて入れて煮て食べる汁物・ごった煮だから、具は何でもいいんだ。

アイヌ民族の食文化は漁撈や狩猟で得られた鮭や鹿、山野の採集で得られたオオウバユリの鱗茎やドングリ、山菜、畑で栽培された雑穀やジャガイモなどを素材とする。特徴としては、油脂をふんだんに使った味付けが挙げられる。

アイヌ時代の前段階である10世紀頃の擦文時代、さらにそれ以前の続縄文時代から、既に北海道でも農耕が行われていた。札幌市のサクシュコトニ川流域や、浦幌町十勝太で発見された11世紀の擦文遺跡からはヒエ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されている。

しかし12世紀から始まるアイヌ時代に至って、農耕は縮小する傾向にあった。
これは寒冷な気候ゆえに農耕を諦めたというより、本州との交易用の干魚や毛皮調達のため、狩猟、漁撈に重きを置いた結果らしい。さらに17世紀後半のシャクシャインの乱以降、アイヌとの交易を自身の都合よく進めたい松前藩は、アイヌが農業で自活しないよう、鍬や鋤、鎌など鉄製農具の流通を制限していたことも理由として上げられる。

アイヌ語で農業を「トイタ」と呼ぶ。江戸時代後期の和人の紀行文や明治期の学者によるアイヌへの聞き取り調査によれば、農業は女の仕事であり、片手間に行われるようなものだった。
時代が下ってからは豆類、さらにジャガイモ、南瓜など新大陸原産の作物も栽培されるようになった。

記録によれば、寛政年間に最上徳内が蝦夷地に種芋を持ち込み、虻田郡のアイヌに栽培させたのが北海道におけるジャガイモ栽培の起源だという[50]。

アイヌ世界におけるジャガイモの伝播には北方(ロシア帝国)と南方(日本)、2つのルートが存在したことが伺える。
17投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 14時33分31秒
北海道博物館のアイヌ料理にジャガイモが使われていたから嘘だとか大騒ぎしてたけど、何かなー。 生活保護者が酒飲んでるのはけしからん、パチンコやるのは許せない、とか騒いでるのと同じ類の批判だろ。

ジャガイモは第二次大戦中の食糧難の時代にアイヌが特に重用した雑穀だから出していたんだろ。アイヌ料理は縄文時代以来の伝統で、鍋に肉・干鮭、山菜・木の実等何でもすべて入れて煮て食べる汁物・ごった煮だから、具は何でもいいんだ。

アイヌ民族の食文化は漁撈や狩猟で得られた鮭や鹿、山野の採集で得られたオオウバユリの鱗茎やドングリ、山菜、畑で栽培された雑穀やジャガイモなどを素材とする。特徴としては、油脂をふんだんに使った味付けが挙げられる。

アイヌ時代の前段階である10世紀頃の擦文時代、さらにそれ以前の続縄文時代から、既に北海道でも農耕が行われていた。札幌市のサクシュコトニ川流域や、浦幌町十勝太で発見された11世紀の擦文遺跡からはヒエ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されている。

しかし12世紀から始まるアイヌ時代に至って、農耕は縮小する傾向にあった。
これは寒冷な気候ゆえに農耕を諦めたというより、本州との交易用の干魚や毛皮調達のため、狩猟、漁撈に重きを置いた結果らしい。さらに17世紀後半のシャクシャインの乱以降、アイヌとの交易を自身の都合よく進めたい松前藩は、アイヌが農業で自活しないよう、鍬や鋤、鎌など鉄製農具の流通を制限していたことも理由として上げられる。

アイヌ語で農業を「トイタ」と呼ぶ。江戸時代後期の和人の紀行文や明治期の学者によるアイヌへの聞き取り調査によれば、農業は女の仕事であり、片手間に行われるようなものだった。
時代が下ってからは豆類、さらにジャガイモ、南瓜など新大陸原産の作物も栽培されるようになった。

記録によれば、寛政年間に最上徳内が蝦夷地に種芋を持ち込み、虻田郡のアイヌに栽培させたのが北海道におけるジャガイモ栽培の起源だという[50]。

アイヌ世界におけるジャガイモの伝播には北方(ロシア帝国)と南方(日本)、2つのルートが存在したことが伺える。
18投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 14時40分00秒
水島総、篠原常一郎 、小野寺まさる、金子やすゆき、的場光昭、田中英道、長浜浩明の様な

アイヌ・琉球民族は先住民ではない

という悪質なデマを流している詐欺師は告訴しないといけないだろ

アイヌ協会は何やってんだ
19投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 15時04分50秒
国民国家という概念ができたのは17世紀以降の事ですね。 アイヌ人は狩猟民族で総人口も2万人程度ですから国家はおろか町すら作らない、戦争はおろか殺人用の武器すら持って居ない。

北海道の擦文文化は東北の同時代の土師器文化と全く同じで、農耕も行っていたのがわかっています。しかしその後土器作りを止めて、東北から鉄器を輸入して使う様になった。そして何故か大規模な農耕も止めてしまった。おそらく和人から鉄製農具のアイヌへの輸出を一方的に止められた:

アイヌ時代の前段階である10世紀頃の擦文時代、さらにそれ以前の続縄文時代から、既に北海道でも農耕が行われていた。札幌市のサクシュコトニ川流域や、浦幌町十勝太で発見された11世紀の擦文遺跡からはヒエ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されている。

しかし12世紀から始まるアイヌ時代に至って、農耕は縮小する傾向にあった。
これは寒冷な気候ゆえに農耕を諦めたというより、本州との交易用の干魚や毛皮調達のため、狩猟、漁撈に重きを置いた結果らしい。さらに17世紀後半のシャクシャインの乱以降、アイヌとの交易を自身の都合よく進めたい松前藩は、アイヌが農業で自活しないよう、鍬や鋤、鎌など鉄製農具の流通を制限していたことも理由として上げられる。

つまり日本人からの影響で農耕的要素を無くし、海獣狩猟に適合しているオホーツク人のトビニタイ文化を取り入れて非農耕のアイヌ狩猟文化を作った。和人とトビニタイ文化の影響で文化変容したというのが定説です。

遺伝子的にはオホーツク人との混血が確認されていますが、シベリアから異民族が北海道に入って来た形跡は、考古学的にも遺伝子的にも、完全にゼロなのですね:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系
20投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 15時19分41秒
俺は利害関係者でないから民事訴訟で告訴はできないんだけど

アイヌが先住民だというのは学会の定説だから負けようがないんだな。 チャンネル桜関係者が恥かいて信用を失うだけさ:

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
21投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 18時10分00秒
俺は利害関係者でないから民事訴訟で告訴はできないんだけど

アイヌが先住民だというのは学会の定説だから負けようがないんだな。 チャンネル桜関係者が恥かいて信用を失うだけさ。
早く間違いを認めて謝罪する方が自分の為だよ:

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
22投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 21時59分03秒
アイヌ人は民族名でいえば縄文人になる
日本政府はアイヌ民族浄化政策を直ちに止めて、アイヌ語=縄文語を死語にするな

チュチェ思想 はどうでもいい。 アイヌ人がどういう思想を持とうが勝手だ
アイヌが独立国家を作るのを助けてくれるなら、アイヌ語とアイヌ人の遺伝子が滅ぼされる前に手を組むのが得策だ

まず北海道の小中学校の授業と役所の公務はアイヌ語でやる様にしないといけないな

和人がアイヌ語を公用語にするのは嫌だと言うなら内地に帰ればいいんだ

7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある


神も語源はアイヌ語のカムイだろ

藤村久和
アイヌ語で神あるいは霊をあらわす言葉,カムイ,ピト,ラマト,タマ,イノツ,クルの6語が,日
本古代における同じ種類の言葉,カミあるいはカム,ヒト,ラマ,タマ,イノチ,クルなどと同じ発音と同じ意味をもつ


アイヌの聖山の名前 モイワ山は東北ではモワ山、畿内では三輪山に変わるから

モイワ山が本来の言葉だ

縄文語ではモイワ山だったんだよ

アイヌ語=縄文語

はほぼ確定している

1万年以上の歴史を持つ人類最古の言葉 アイヌ語=縄文語 はどんな事が有っても守れ
23投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 22時04分55秒
アイヌ人は民族名でいえば縄文人になる
アイヌ語=縄文語とアイヌ人=縄文人の遺伝子を滅ぼすな

チュチェ思想 はどうでもいい。 アイヌ人がどういう思想を持とうが勝手だ
アイヌが独立国家を作るのを助けてくれるなら、アイヌ語とアイヌ人の遺伝子が滅ぼされる前に手を組むのが得策だ

まず北海道の小中学校の授業と役所の公務はアイヌ語でやる様にしないといけないな

和人がアイヌ語を公用語にするのは嫌だと言うなら内地に帰ればいいんだ

7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
津軽半島の住人の遺伝子はアイヌ人と変わらないのがわかっている。
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある


神も語源はアイヌ語のカムイだろ

藤村久和
アイヌ語で神あるいは霊をあらわす言葉,カムイ,ピト,ラマト,タマ,イノツ,クルの6語が,日
本古代における同じ種類の言葉,カミあるいはカム,ヒト,ラマ,タマ,イノチ,クルなどと同じ発音と同じ意味をもつ


アイヌの聖山の名前 モイワ山は東北ではモワ山、畿内では三輪山に変わるから

モイワ山が本来の言葉だ

縄文語ではモイワ山だったんだよ

アイヌ語=縄文語

はほぼ確定している

1万年以上の歴史を持つ人類最古の言葉 アイヌ語=縄文語 はどんな事が有っても守れ
24投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 22時06分14秒
アイヌ人は民族名でいえば縄文人になる
アイヌ語=縄文語とアイヌ人=縄文人の遺伝子を滅ぼすな

まず北海道の小中学校の授業と役所の公務はアイヌ語でやる様にしないといけないな

7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
津軽半島の住人の遺伝子はアイヌ人と変わらないのがわかっている。
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある


神も語源はアイヌ語のカムイだろ

藤村久和
アイヌ語で神あるいは霊をあらわす言葉,カムイ,ピト,ラマト,タマ,イノツ,クルの6語が,日
本古代における同じ種類の言葉,カミあるいはカム,ヒト,ラマ,タマ,イノチ,クルなどと同じ発音と同じ意味をもつ


アイヌの聖山の名前 モイワ山は東北ではモワ山、畿内では三輪山に変わるから

モイワ山が本来の言葉だ

縄文語ではモイワ山だったんだよ

アイヌ語=縄文語

はほぼ確定している

1万年以上の歴史を持つ人類最古の言葉 アイヌ語=縄文語 はどんな事が有っても守れ
25投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 22時15分50秒
アイヌ民族は先住民、日本人は3世紀以降に朝鮮から来た渡来人だと学問的に証明されている。 畿内の人間は朝鮮人と区別がつかない。

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
26投稿者:2  投稿日:2019年12月03日(火) 22時17分23秒
アイヌ民族は先住民、日本人は3世紀以降に大陸から来た渡来人だと学問的に証明されている。 畿内の人間は xx人と区別がつかない。

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
27投稿者:2  投稿日:2019年12月04日(水) 19時09分59秒
アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位日本人に迫害されてきたかを思い出せ
日本政府のアイヌ民族浄化政策でアイヌ語とアイヌ民族は滅ぼされた
和人に北海道をすべて乗っ取られ、鹿も鮭も捕獲できなくなった

これは本にもなったアイヌ語学者の浅井亨さんの講演
北方の古代文化 (1974年) 浅井亨 言語から見た地域集団

で有名になったのですが、日本政府は千島アイヌをシコタン島のアウシュビッツの様な収容所に押し込めて強制労働させた為に、若い男はすべて衰弱死し、千島アイヌは存続できなくなったのです。


中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前にアイヌに対して行った
千島アイヌは日本政府の民族浄化政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた

更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた
それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化は完了した

中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ

千島アイヌの強制移住による民族浄化

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、

「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。

アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位日本人に迫害されてきたかを思い出せ
28投稿者:2  投稿日:2019年12月04日(水) 19時36分36秒
アイヌ人は民族名でいえば縄文人になる
アイヌ語は言語名でいえば縄文語になる
アイヌ語=縄文語 と アイヌ人=縄文人 の遺伝子を滅ぼすな

まず北海道の小中学校の授業と役所の公務はアイヌ語でやる様にしないといけないな

7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
津軽半島の住人の遺伝子はアイヌ人と変わらないのがわかっている。
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある


神も語源はアイヌ語のカムイだろ

藤村久和
アイヌ語で神あるいは霊をあらわす言葉,カムイ,ピト,ラマト,タマ,イノツ,クルの6語が,日
本古代における同じ種類の言葉,カミあるいはカム,ヒト,ラマ,タマ,イノチ,クルなどと同じ発音と同じ意味をもつ


アイヌの聖山の名前 モイワ山は東北ではモワ山、畿内では三輪山に変わるから

モイワ山が本来の言葉だ

縄文語ではモイワ山だったんだよ

アイヌ語=縄文語

はほぼ確定している

1万年以上の歴史を持つ人類最古の言葉 アイヌ語=縄文語 はどんな事が有っても守れ
29投稿者:2  投稿日:2019年12月04日(水) 21時51分51秒
「北海道が一番危ない!」ではなく「縄文人の遺伝子と縄文語が一番危ない!」

アイヌが先住民で縄文人の最後の生き残りだというのは学会の定説です。 このまま日本政府がアイヌ人の浄化を進めれば、日本人が縄文人と縄文語を完全に滅ぼす事になるのです。

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
30投稿者:2  投稿日:2019年12月04日(水) 22時40分46秒
斎藤まさし先生はマルクスの階級闘争というのがどういうものなのか全くわからなかった
(斎藤まさし先生や日本の新左翼・日本共産党員の知能は13歳児程度、水島総先生や右翼は10歳児程度、ルーズベルトや GHQ幹部の知能を30歳とした場合だけど)

中核派に恋人を殺された革マル派の歌姫 中島みゆきの歌「世情」(1978年4月10日)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

同棲してから革マル派を止めたくなった早大生の歌 神田川 1973年9月20日
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB++%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) 動画
https://video.9tsu.com/videos/view?vid=101196

<再現>日本赤軍事件 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%EF%BC%9C%E5%86%8D%E7%8F%BE%EF%BC%9E%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%B5%A4%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6


日本が戦後、世界で唯一成功した社会主義国になれた理由

昔、民青・共産党員や新左翼は階級闘争、階級闘争と騒いでいましたが、彼らには日本に階級なんか無かったというのがわからなかったんですね。

日本の階級を潰して一億総中流社会にしたのは GHQ なんです。民青・共産党員や新左翼は無知蒙昧で、階級社会というのがどういうものか知らないので、日本で階級闘争が起きる筈もないのがわからなかった。そもそも日本共産党や日本の労働組合は GHQ が合法化したのです。

終戦直後は大したインフレは起きなかったのに、その後預金封鎖になるまで物価が上がったのもGHQが日本の階級を破壊する為に物価操作したのが原因です。 円がその後安くなったのはアメリカの命令で戦時国債を踏み倒す為に意図的に紙幣をそれまでの何十倍も発行したからです

アメリカが日銀にやらせたのは、それまでの 1円札を100円札に名称変更して、戦時国債の額面だけは昔と同じままにしておいた。

戦後の農地解放と同じで、アメリカは地主の金を貧農・小作人に再分配させる為に円の額面を変えた。 だからハイパーインフレとは全く違う。

その結果、農民はすべて自民党支持層になって日本が共産化する可能性がなくなったたんだ。ドイツやジンバブエのハイパーインフレとは中身が全然違うよ
因みに、日本が一億総中流、世界で一番成功した社会主義国と言われる様になったのは

・GHQ の農地改革で富農の土地をインフレ前に強制買い取り、小作農にインフレ後にインフレ前の金額と同額(タダ同然)で売ってその金額だけ売主に渡した

・意図的なインフレと預金封鎖で富裕層の預金を没収
が原因

要するに、日本を共産化させない為にブルジョアジーの持つ農地と銀行預金・国債を没収してプロレタリアートに再分配した

一億総中流の無階級社会になったらもう共産革命を起こす必要がなくなるからね 損したのは預金を没収された資産家と農地改革で農地を昔の地価と同じ額面のままインフレで安くなった新円札で売らされた大地主だけ

農地を地主からタダ同然で買わせて貰った小作人は一気に土地持ちの資産家になって、それ以降自民党とアメリカの支持者になった
それが自民党一党独裁が今迄ずっと続いた理由
31投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 09時04分35秒
アイヌが先住民で縄文人の最後の生き残りだというのは学会の定説です。 このまま日本政府がアイヌ人の浄化を進めれば、日本人が縄文人と縄文語を完全に滅ぼす事になるのです。

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

___

世界のあちこちの現代人ゲノムと比較したところ、福島県新地町の三貫地貝塚出土縄文人がもっとも近縁であったのは、東ユーラシアの現代人集団だった。さらにくわしく調べたところ、縄文人にもっとも近いのは、アイヌ人だった。この結果は、二重構造モデルを支持している。


ゲノムDNAでさぐる日本列島人の由来(斉藤) 交詢雑誌2019年11月搭載
http://www.yaponesian.jp/userfiles/koujyunzashi_NOV2019.pdf

これはちょっと複雑な系統ネットワークですが、沖縄から見ると九州が一番近いです。地理的にも当然です。

数字を見ていただくと、沖縄から見ると、九州が二八二三という数字で沖縄と東北、沖縄と近畿よりも小さい。これは当然予想されます。
ところが、その次は東北なんです。近畿のほうが地理的には近いのに、沖縄と東北のほうが三二八二とちょっと小さい。

これが驚きであります。あたかも北のアイヌの人々と沖縄の人々に共通性があったと同じように、今度は東北人と沖縄の人にちょっと共通性があることがわかったわけであります。

沖縄----------------------------九州----東北--近畿
https://i.imgur.com/uD4xj8i.png
32投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 10時04分18秒
アイヌは先住民で縄文人の最後の生き残り、日本人は半島からの渡来人で縄文人の子孫ではない、というのは学会の定説です。 このまま日本政府がアイヌ人の浄化を進めれば、渡来人の日本人が先住の縄文人と縄文語を完全に滅ぼす事になるのです。

縄文人の起源、2〜4万年前か 国立科学博物館がゲノム解析 2019/5/13
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44722870T10C19A5CR8000/

東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。

国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。

縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。

今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

___

世界のあちこちの現代人ゲノムと比較したところ、福島県新地町の三貫地貝塚出土縄文人がもっとも近縁であったのは、東ユーラシアの現代人集団だった。さらにくわしく調べたところ、縄文人にもっとも近いのは、アイヌ人だった。この結果は、二重構造モデルを支持している。


ゲノムDNAでさぐる日本列島人の由来(斉藤) 交詢雑誌2019年11月搭載
http://www.yaponesian.jp/userfiles/koujyunzashi_NOV2019.pdf

これはちょっと複雑な系統ネットワークですが、沖縄から見ると九州が一番近いです。地理的にも当然です。

数字を見ていただくと、沖縄から見ると、九州が二八二三という数字で沖縄と東北、沖縄と近畿よりも小さい。これは当然予想されます。
ところが、その次は東北なんです。近畿のほうが地理的には近いのに、沖縄と東北のほうが三二八二とちょっと小さい。

これが驚きであります。あたかも北のアイヌの人々と沖縄の人々に共通性があったと同じように、今度は東北人と沖縄の人にちょっと共通性があることがわかったわけであります。

沖縄----------------------------九州----東北--近畿
https://i.imgur.com/uD4xj8i.png
33投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 10時25分08秒
『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』

そんな事もわからないアホが本なんか出すなよ。 恥かくだけさ


北海道も畿内も沖縄も最初はアイヌ語を話す先住の縄文人が住んでいたんですね。

畿内の縄文人は神武東征後に征服・虐殺され、運良く生き延びた縄文人が今の被差別xx民

沖縄の縄文人の子孫は10世紀に征服・虐殺され、運良く生き延びた縄文人の子孫が今の琉球人

北海道の縄文人の子孫は明治時代に征服・迫害され、運良く生き延びた縄文人の子孫が今のアイヌ人

半島人は日韓併合で飢餓輸出・迫害された

要するに、日本人に征服・虐殺・迫害された民族が団結しただけでしょう。チュチェ思想というのは単なる共闘のシンボルとして使っているだけで、思想の中身はどうでもいいのです。

北朝鮮は今の世界で悪の帝国アメリカを戦っている唯一の国なので、チュチェ思想を悪の帝国アメリカと闘う為の象徴として奉っただけでしょうね。
34投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 11時04分42秒
アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位日本人に迫害されてきたかを思い出せ
日本政府のアイヌ民族浄化政策でアイヌ語とアイヌ民族は滅ぼされた
和人に北海道をすべて乗っ取られ、鹿も鮭も捕獲できなくなった

これは本にもなったアイヌ語学者の浅井亨さんの講演
北方の古代文化 (1974年) 浅井亨 言語から見た地域集団

で有名になったのですが、日本政府は千島アイヌをシコタン島のアウシュビッツの様な収容所に押し込めて強制労働させた為に、若い男はすべて衰弱死し、千島アイヌは存続できなくなったのです。


中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前にアイヌに対して行った
千島アイヌは日本政府の民族浄化政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた

更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた
それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化は完了した

中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ

千島アイヌの強制移住による民族浄化

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、

「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。

アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
明治以降、アイヌ人がどれ位日本人に迫害されてきたかを思い出せ
35投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 11時04分52秒

▲△▽▼

『なぜアイヌ人や琉球人や被差別XX民は北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』

北海道も畿内も沖縄も最初はアイヌ語を話す先住の縄文人が住んでいたんですね。

畿内の縄文人は神武東征後に征服・虐殺され、運良く生き延びた縄文人が今の被差別xx民

沖縄の縄文人の子孫は10世紀に征服・虐殺され、運良く生き延びた縄文人の子孫が今の琉球人

北海道の縄文人の子孫は明治時代に征服・迫害され、運良く生き延びた縄文人の子孫が今のアイヌ人

半島人は日朝併合で米を日本に飢餓輸出され・農地をタダ同然で日本人に奪われ、日本に移住しないと食べていけなくなった

要するに、日本人に征服・虐殺・迫害された民族が団結しただけでしょう。チュチェ思想というのは単なる共闘のシンボルとして使っているだけで、思想の中身はどうでもいいのです。

北朝鮮は今の世界で悪の帝国アメリカを戦っている唯一の国なので、チュチェ思想を悪の帝国アメリカと闘う為の象徴として奉っただけでしょうね。


▲△▽▼
xx人が反日になった理由

1.飢餓輸出させた
2.農民の土地を奪った
3.日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた
4.朝鮮の財産をすべて奪った
5.朝鮮女性を性奴隷にした
36投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 21時49分25秒
マスコミが密漁事件の刑事告発をどこも報道しなかったのは、アイヌが13世紀に北海道に移住してきた、というチャンネル桜の主張が間違いだと良く知っていたからなのです。

アイヌ文化がその前身の擦文文化と全く違った文化になったのは、擦文人が和人からの鉄製農具の供給を止められ、農耕民族から狩猟民族に逆戻りしたからなのです:

アイヌ時代の前段階である10世紀頃の擦文時代、さらにそれ以前の続縄文時代から、既に北海道でも農耕が行われていた。札幌市のサクシュコトニ川流域や、浦幌町十勝太で発見された11世紀の擦文遺跡からはヒエ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されている[41]。

さらにオホーツク海沿岸地方で同時期に栄えたオホーツク文化においても、アワ、ヒエ、オオムギの栽培が確認できる[42]。しかし12世紀から始まるアイヌ時代に至って、農耕は縮小する傾向にあった。これは寒冷な気候ゆえに農耕を諦めたというより、本州との交易用の干魚や毛皮調達のため、狩猟、漁撈に重きを置いた結果らしい[43]。

さらに17世紀後半のシャクシャインの乱以降、アイヌとの交易を自身の都合よく進めたい松前藩は、アイヌが農業で自活しないよう、鍬や鋤、鎌など鉄製農具の流通を制限していたことも理由として上げられる[44][45]。
37投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 21時49分34秒

__

大西秀之「アイヌ民族・文化形成における異系統集団の混淆―二重波モデルを理解するための民族史事例の検討」

擦文文化とオホーツク文化は、700〜900年頃に北海道で並存していましたが、それぞれ異なる生活圏に分布し、基本的には相互交流などの接触関係はひじょうに限定的でした。しかし、10世紀頃に両文化は急激に接触融合していきます。また、こうした接触融合は、北海道の東部と北部で別々に進展した、と考古資料から確認されています。本論文は、資料的にも豊富で研究の蓄積が進んでいる、トビニタイ文化と考古学的に設定された北海道東部の事例に焦点を当てています。トビニタイ文化は、オホーツク文化が擦文文化から人工物や生産・生業技術や居住パターンや生計戦略などの数々の要素を段階的に受け入れ、最終的に擦文文化に吸収・同化されていく移行段階と推定されています。たとえば、トビニタイ文化集団は、最初期のトビニタイ土器を、オホーツク文化の製作技術を用いて、擦文式土器の模様・装飾・器形を模倣して製作していましたが、最終段階ではその技術を完全に習得し、擦文式土器そのものとしか判断できないものを製作するようになります。同様の現象は、住居構造や道具組成などでも確認されています。これらの事例から、トビニタイ文化は、最終的には少なくとも物質文化側面では、擦文文化そのものと区別がつかないものになります。
 一方、擦文文化の側には、オホーツク文化と接触融合し、トビニタイ文化を形成する証拠や動機は確認されていません。そのため、トビニタイ文化は、オホーツク文化側が積極的に擦文文化に同化吸収された過程と想定されています。遺伝学でも、考古資料から導かれたオホーツク文化集団の擦文文化集団への同化吸収が確認されており、現在のアイヌ民族はオホーツク文化集団の遺伝子を相当な割合で継承している、と明らかになっています(関連記事)。北海道東部におけるオホーツク文化と擦文文化の接触融合が起きた理由として、環境変動や政治社会的影響などが提示されています。しかし、そうした仮説の大部分は、具体的かつ充分な考古学的証拠に基づくものではない、と指摘する本論文は、考古資料から両文化の接触融合の要因を検証できる対象として、トビニタイ文化の鉄器を挙げています。

 まずトビニタイ文化の鉄器に関しては、その形態的特徴に基づいて、オホーツク文化から擦文文化に類似するものに置換した、と指摘されています。つまり、トビニタイ文化における鉄器の供給源は、アムール河流域を中心とする北方経路から、本州以南からの南経路に移行した、と推測されます。またオホーツク文化の分布圏は、本州以南の鉄器供給経路と直接的には接していないため、擦文文化を介して鉄器を入手していたと推測されます。もしそうだったなら、北海道東部のオホーツク文化集団は、日常生活を営む上で不可欠な鉄器の安定供給を確保するため、擦文文化との関係性の構築が不可避となり、両文化集団の接触融合が進んだ、と考えられます。こうした接触融合は、オホーツク文化の期間よりも遥かに多くの量の鉄器をトビニタイ文化集団に安定的に供給し、その結果として、日々の社会生活を維持するために不可欠な道具のほとんどを石器から鉄器に置き換えることができた、と推測されます。

 こうした歴史展開を踏まえると、北海道におけるオホーツク文化集団もまた、アイヌ文化形成の潮流に関与している、と理解できます。なぜならば、「原アイヌ期」とされる擦文文化期から中世アイヌ期への移行は、「本土」における交易ネットワークと地域分業への統合過程に起因すると想定されるからです。つまり、遺伝的・文化的に擦文文化集団と異なる系統とされるオホーツク文化集団の消長もまた、アイヌ文化形成の展開のなかの一潮流に統合される、という理解が可能となるわけです。
 本論考は最後に、アイヌ文化形成におけるオホーツク文化の役割について考察しています。オホーツク文化のなかには、中世以降のアイヌ文化形成において重要な関与を果たし、現在までのアイヌの文化遺産として引き継がれている要素が少なからず指摘されています。その最も顕著な事例の一つとして、イオマンテと呼称されるクマの送り儀礼が挙げられます。この儀礼は、アイヌ社会において最も重要な文化的実践とみなされています。しかし、現在まで擦文文化には、クマ送り儀礼の痕跡と言えるような考古資料はきわめて限定的にしか確認されていません。これに対してオホーツク文化の遺跡からは、クマなど動物の送り儀礼に関連すると推察される遺物や遺構が数多く検出されています。この他、アイヌ民族・文化の言語や象徴実践などにも、オホーツク文化に由来すると推察される痕跡が少なからず指摘されています。

 こうした事例から、オホーツク文化集団は、遺伝的にも文化的にもアイヌ民族・文化のもう一つの源流である、と理解できます。この見解は、従来、縄文文化・時代から直接的かつ単線的に語られてきたアイヌ集団の歴史に対する再考と新たな展望を開くものとなるだろう、と本論文は指摘します。
38投稿者:2  投稿日:2019年12月05日(木) 22時04分51秒
『なぜアイヌ協会は北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』

これは日本のXX解放同盟が戦後 yyに乗っ取られたのと同じ事情なのですね。

北海道も畿内も沖縄も最初はアイヌ語を話す先住の縄文人が住んでいたんです。

畿内の縄文人は神武東征後に征服・虐殺され、運良く生き延びた縄文人が今の被差別xx民

沖縄の縄文人の子孫は10世紀に征服・虐殺され、運良く生き延びた縄文人の子孫が今の琉球人

北海道の縄文人の子孫は明治時代に征服・迫害され、運良く生き延びた縄文人の子孫が今のアイヌ人

半島人は日朝併合で米を日本に飢餓輸出され・農地をタダ同然で日本人に奪われ、日本に移住しないと食べていけなくなった

要するに、日本人に征服・虐殺・迫害された民族が団結しただけでしょう。チュチェ思想というのは単なる共闘のシンボルとして使っているだけで、思想の中身はどうでもいいのです。

北朝鮮は今の世界で悪の帝国アメリカを戦っている唯一の国なので、チュチェ思想を悪の帝国アメリカと闘う為の象徴として奉っただけでしょうね。


▲△▽▼
xx人が反日になった理由

1.飢餓輸出させた
2.農民の土地を奪った
3.日本に連れてきてタダ同然で強制労働させた
4.朝鮮の財産をすべて奪った
5.朝鮮女性を性奴隷にした
39投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 16時29分58秒
>迫害なら当時から抗議の歴史があるはずですが、ありますか?

この本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11

本多 勝一 (著)

3. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)
40投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 16時37分44秒
>迫害なら当時から抗議の歴史があるはずですが、ありますか?

この本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)
41投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 18時32分11秒
>迫害なら当時から抗議の歴史があるはずですが、ありますか?

この本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)


そもそも狩猟民族に鹿と鮭の捕獲を禁じて、アイヌ語も使えなくするというのは典型的な浄化政策ですね。
42投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 18時35分05秒






77 72 時間前(編集済み)

>迫害なら当時から抗議の歴史があるはずですが、ありますか?

この本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)


そもそも狩猟民族に鹿と鮭の捕獲を禁じて、アイヌ語も使えなくするというのは典型的な浄化政策ですね。アイヌ女性も食べて行けないから和人と結婚するしかなくなったのですね。
43投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 18時50分04秒
そもそも狩猟民族に鹿と鮭の捕獲を禁じて、アイヌ語も使えなくするというのは典型的な浄化政策ですね。アイヌ女性も食べて行けないから和人と結婚するしかなくなったのですね。

北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

また、1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
44投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 18時54分17秒
>迫害なら当時から抗議の歴史があるはずですが、ありますか?

この本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)


そもそも狩猟民族に鹿と鮭の捕獲を禁じて、アイヌ語も使えなくするというのは典型的な浄化政策ですね。アイヌ女性も食べて行けないから和人の妾になるしかなくなったのですね。

北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

また、1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
45投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 19時31分23秒
水島 総さんは前はアイヌは13世紀にシベリアからやってきたという説だったのに、何時の間にかオホーツク文化人がアイヌ人だという説に変わったのですね。

実際はアイヌ語はツングース語ともニヴフ語とも全く違うので、アイヌ人がシベリアから来た可能性も、オホーツク人がアイヌ人になった可能性も完全にゼロです。日本人にも縄文人の血はあまり入っていません:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系 山人
C1----5% :縄文系 海人
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
46投稿者:2  投稿日:2019年12月06日(金) 20時35分12秒
>アイヌは1つの民族ではありません。少なくとも8言語に別れていたと分かっています。つまり少なくともバラバラの8部族であったのです。アイヌ語は言語学では1言語だとされています。

アイヌ語=縄文語 というのが一番有力な学説です。

アイヌ語の地域差は津軽弁と秋田弁の違い程度で単なる方言差です。そもそもアメリカ・インディアンやニューギニア原住民の様な原始民族は狭い地域でも何百・何千もの言語に分かれています。

基本的に住んでいる川筋が違えば言葉が違うのが普通なのです。
アイヌ語の地域差を別言語だと考えている言語学者は一人もいません。

アイヌ語はツングース語ともニヴフ語とも全く違うので、アイヌ人がシベリアから来た可能性は完全にゼロです。
7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある
つまり1万年前には沖縄から北海道までアイヌ語を話す民族(縄文人)が住んでいたのです。アイヌ語=縄文語 というのが一番有力な学説です。

日本語は系統的孤立言語の一つとされていますが、ユーラシア大陸圏における10近い系統的孤立言語の半数近くが日本列島とその周辺に集中している、と本論文は指摘します。日本語以外では、アイヌ語・アムール下流域と樺太のギリヤーク(ニヴフ)語・朝鮮語です。本論文は、こうした系統的孤立言語の系統関係を明らかにするには、伝統的な歴史・比較言語とは別の手法が必要になる、と指摘します。歴史言語学で用いられる、おもに形態素や語彙レベルの類似性に基づいて言語間の同系性を明らかにしようとする手法では、たどれる言語史の年代幅が5000〜6000年程度だからです。つまり、たとえば日本語とアイヌ語の共通祖語があったとしても、少なくとも6000年以上はさかのぼる、というわけです。

ユーラシア大陸圏の言語はまず内陸言語圏と太平洋沿岸言語圏に分類され、さらに太平洋沿岸圏を南方群(オーストリック大語族)と北方群(環日本海諸語)に分類します。系統的孤立言語とされる日本語・アイヌ語・ギリヤーク語・朝鮮語は北方群に分類されています。

アイヌ語は地域差が有っても一つの言語であるというのが言語学の定説です。
47投稿者:2  投稿日:2019年12月07日(土) 15時06分28秒


考古学の遺跡年代は出土した土器の編年に基いて行うのですが
アイヌ文化は土器作りを止めて、日本人から買った鉄製の鍋等を使っていたので、年代判定ができないのです。それが研究者が初期アイヌ文化についてはっきりした事を言わない理由なのですね:

擦文文化とオホーツク文化の終ったあとの状況はよく判ってはいない。具体的な事実をもとにしてアイヌ文化への移行の過程を総合的に掴むことはまだ困難である。

近年の調査によつてこの空白を埋める遺跡が発見されているが,その多くは"物送り場"などであり,生活の場である住居の調査例はきわめて少ない。

文献にアイヌ文化が登場するのは16世紀からであり,道東ではより遅れる。このような時期は現在の北海道でもつとも判つていない時期の一つでもある。近年ようやく盛んになりつつあるアイヌの砦と俗称されている"チャシ"の研究も緒についたところである。

アイヌ文化の基本的な生業は擦文文化を受けついだものであろうと思われるが,遺跡の分布をみるとアイヌ文化の遣跡が内陸部にも数多くみられるという特色がある。アイヌ文化の生業は擦文文化と比べるとより多様であった可能性が強い。
これらとともに本州からの経済的進出,その後に続く政治的・軍事的進出がアイヌ文化を大
きく変容させたこともこの時期の問題を考える際に,重要な視点になることも忘れてはならないことであろう。

擦文文化は二つの側面をもつている。一つは北日本の縄文時代後・晩期の文化の子孫であり,一つはアイヌ文化の祖先であるということである。このように考えるとアイヌ文化は擦文文化を仲だちにして縄文時代の後・晩期の文化の子孫ということになる。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/90/2/90_2_122/_pdf/-char/en
48投稿者:2  投稿日:2019年12月07日(土) 15時17分16秒
的場光昭さんや篠原常一郎 さんみたいな畑違いのド素人なら何も知らない事でも嘘八百のデタラメ学説を平気で講演できるのですが、

専門の研究者がそんな事をしたら学会で相手にされなくなり、大学がらも追放されます。

畑違いのド素人の学説は全部デタラメだと思った方がいいですよ。
49投稿者:2  投稿日:2019年12月07日(土) 19時14分44秒
アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
アイヌを独立させて中国人移民を入れない独立国を作らせればすべて解決する問題ですね

日本政府のアイヌ浄化政策でアイヌ語とアイヌ民族は滅ぼされた

そもそも狩猟民族に鹿と鮭の捕獲を禁じて、アイヌ語も使えなくするというのは典型的な浄化政策ですね。アイヌ女性も食べて行けないから和人の妾になるしかなくなったのですね。

北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

また、1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。

これは本にもなったアイヌ語学者の浅井亨さんの講演
北方の古代文化 (1974年) 浅井亨 言語から見た地域集団

で有名になったのですが、日本政府は千島アイヌをシコタン島のアウシュビッツの様な収容所に押し込めて強制労働させた為に、若い男はすべて衰弱死し、千島アイヌは存続できなくなったのです。


中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を日本政府は100年前にアイヌに対して行った
千島アイヌは日本政府の民族浄化政策で絶滅した

日本政府は千島アイヌを集めてシコタン島に強制移住させて、強制労働させてほぼ絶滅させた

更に沖縄戦の最前線に残った千島アイヌを送り込んで玉砕させた
それで千島アイヌは絶滅して、民族浄化は完了した

中国が今ウイグルでやってるのと同じ事を100年前にやっていたんだ

千島アイヌの強制移住による民族浄化

 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、

「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。

 根室から指呼の間にあるこの島に閉じ込められた彼らクリル人にとって、人口の減少は、この後も重い十字架として背負い続けなければならなかった。

アイヌ人が仇敵の和人の勝手に作った法律に従う必要はない
50投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 11時08分31秒
ウイグル人やチベット人も中国人ですね
ウイグル人やチベット人が中国の法律に従って臓器を提供する為に自主的に殺されるのは馬鹿げていると思わないですか?

昔、ドイツ軍人がユダヤ人を虐殺した時も、彼らはドイツの法律に従ってやっただけなのですが、死刑になりましたね。

間違った法律を遵守すると犯罪になるのです。
51投稿者:3  投稿日:2019年12月08日(日) 11時13分43秒
>ではやはり、北海道アイヌ協会さんのいう「アイヌ」は、北海道の先住民ではないですね?

明治時代の初めは北海道はアイヌの所有地で、明治時代に日本人の所有地に変わったのですから、アイヌは先住民で日本人は征服王朝で間違いないでしょう:

北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

また、1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。

国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
52投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 18時29分19秒
的場光昭さんや篠原常一郎 さんみたいな畑違いのド素人なら何も知らない事でも嘘八百のデタラメ学説を平気で講演できるのですが、

専門の研究者がそんな事をしたら学会で相手にされなくなり、大学がらも追放されます。

畑違いのド素人の学説は全部デタラメだと思った方がいいですよ。

_______

13世紀以前に北海道に住んでいた民族は擦文人(縄文人)とトビニタイ文化人(オホーツク文化人)です。 和人の生活様式では北海道の冬を越せなかったので、擦文人との交易に関わった和人以外は北海道にはいなかったのですね:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系 山人
C1----5% :縄文系 海人
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
53投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 18時36分37秒
的場光昭さんは文献の理解力に致命的な欠陥があると指摘されていますね:

的場著『アイヌ民族って本当にいるの?』のトリックを図で示した。pp.60-61に篠田著『日本人になった祖先たち』を引用したあとで、その内容に含まれない独自の解釈を、そうとはわからないように付け足しているのだ。
https://twitter.com/kotnei/status/699934030779666434/photo/1

@kotnei 的場本の引用のしかたをよくみると、「…」として省略している部分があることがわかるでしょう。原文には「M7aは3〜4%です。Gタイプも当然両方に出ていて、現在になるとDが少し多くなります。」という説明が入っていました。もう、的場が使ったトリックが分かったと思います。 @kotnei 原文では、N9b,M7a,G,Dの分布の特徴について「おそらく本土日本人の影響を受け」たと分析していたのに対して、的場は意図的にその一部を引用せず、N9bを「和人に一般的」であることに文意を曲げ、それを根拠に縄文人とアイヌの間の連続性を否定したのです。
https://togetter.com/li/939720


しかし、チャンネル桜関係の人に、南京大虐殺は事実だとか慰安婦強制連行は事実だとか具体的証拠を揃えて指摘しても絶対に信じないですね。

思考力に致命的な欠陥でもあるのかな?
54投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 18時45分27秒
自称専門家の的場光昭さんの学説はどこが間違っているか:

アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?
DNA解析により、アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来したのが判明!
北海道の縄文人には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNAのハプログループYがない。
よって、アイヌ民族は北海道先住民族ではない

自称専門家の的場光昭さんの学説の根拠が何なのかというと、遺伝学的には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループY(Y1)が北海道の「縄文人」にはない、ということです。上記ブログは、「北海道の縄文人とアイヌは全く関係ないと言える」と断定しています。以下、基本的には
近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajpa.23338に依拠して述べていきます
 確かに、現代アイヌ人のmtDNAハプログループに占めるY1の比率は19.6%で、比較的高いと言えそうです。また、北海道の縄文人ではY1は確認されていません。上記ブログは、江戸時代以降の日本人にもmtDNAハプログループY1が見られるので、江戸時代以前に倭人が北海道に多数いた、と推測しています。しかし、Y1が現代の「本土日本人」に占める割合は0.5%程度で、Y1はオホーツク集団由来と推測されています(オホーツク集団では43.2%)。

 また、現代アイヌ人にも近世アイヌ人にもN9bやG1bといった北海道縄文人のmtDNAハプログループは継承されており、現代アイヌ人では25%以上、近世アイヌ人では30%弱となります(M7a2も含めると30.9%)。もちろん、これは基本的には母系遺伝となるmtDNAのハプログループなので、核DNA解析ではまた違った割合になるでしょうが、少なくとも母系において、現代および近世アイヌ人は遺伝的に北海道縄文人と一定以上のつながりがある、と言えるでしょう。

 そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではない、という観点が上記ブログには欠けています。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。アイヌ人を遺伝的に云々といった見解の多くでは、論理の倒錯が見られるように思います。

 前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能です。

 そうした前近代の「民族的集団」の中には、民族は遺伝的に定義できる、といった単純素朴な観念が通用しない事例も報告されています。たとえばスキタイ人は遺伝的に、東方系がヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と、西方系が中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です青銅器時代のコーカサス地域のマイコープ(Maykop)文化集団は、山麓地域と草原地域とで遺伝的構成が明確に異なっており、遺伝的に異なる在来集団による共通の文化の形成・受容が想定されます もちろん、スキタイ人のようなユーラシア内陸部の遊牧民集団と、遊牧民が存在しなかったと言っても大過はないだろう日本列島の人類集団とを単純に比較できませんが、民族を遺伝的に定義することは基本的に間違っていると思います。民族はあくまでも文化的に定義された集団であり、任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、必然的に遺伝的構成が異なる、というだけのことです。これを倒錯させて、遺伝的構成の違いから民族集団を定義することはできません。

 本題に戻すと、上記ブログでは、アイヌ民族が12世紀頃に樺太から北海道に南下してきてオホーツク集団を滅ぼした、と主張されています。その根拠となる、アイヌ民族は北海道縄文人と(遺伝的に)まったく関係ない、との見解が間違いであることは上述したので、それ話は終わりです。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していた可能性も指摘されていますので、これを過大評価というか歪めて解釈して、アイヌ人が12世紀頃に北海道に侵略してきた、との与太話が今後拡散されるかもしれません。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後のシベリア先住民集団の北海道集団への遺伝的影響は、母系ではせいぜい6.4%程度で、大きな影響があった可能性はきわめて低そうです。
55投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 18時48分25秒
自称専門家の的場光昭さんの学説はどこが間違っているか
アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?

的場光昭先生の主張
DNA解析により、アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来したのが判明!
北海道の縄文人には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNAのハプログループYがない。よって、アイヌ民族は北海道先住民族ではない

___

自称専門家の的場光昭さんの学説の根拠が何なのかというと、遺伝学的には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループY(Y1)が北海道の「縄文人」にはない、ということです。上記ブログは、「北海道の縄文人とアイヌは全く関係ないと言える」と断定しています。以下、基本的には
近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajpa.23338に依拠して述べていきます
 確かに、現代アイヌ人のmtDNAハプログループに占めるY1の比率は19.6%で、比較的高いと言えそうです。また、北海道の縄文人ではY1は確認されていません。上記ブログは、江戸時代以降の日本人にもmtDNAハプログループY1が見られるので、江戸時代以前に倭人が北海道に多数いた、と推測しています。しかし、Y1が現代の「本土日本人」に占める割合は0.5%程度で、Y1はオホーツク集団由来と推測されています(オホーツク集団では43.2%)。

 また、現代アイヌ人にも近世アイヌ人にもN9bやG1bといった北海道縄文人のmtDNAハプログループは継承されており、現代アイヌ人では25%以上、近世アイヌ人では30%弱となります(M7a2も含めると30.9%)。もちろん、これは基本的には母系遺伝となるmtDNAのハプログループなので、核DNA解析ではまた違った割合になるでしょうが、少なくとも母系において、現代および近世アイヌ人は遺伝的に北海道縄文人と一定以上のつながりがある、と言えるでしょう。

 そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではない、という観点が上記ブログには欠けています。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。アイヌ人を遺伝的に云々といった見解の多くでは、論理の倒錯が見られるように思います。

 前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能です。

 そうした前近代の「民族的集団」の中には、民族は遺伝的に定義できる、といった単純素朴な観念が通用しない事例も報告されています。たとえばスキタイ人は遺伝的に、東方系がヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と、西方系が中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です青銅器時代のコーカサス地域のマイコープ(Maykop)文化集団は、山麓地域と草原地域とで遺伝的構成が明確に異なっており、遺伝的に異なる在来集団による共通の文化の形成・受容が想定されます もちろん、スキタイ人のようなユーラシア内陸部の遊牧民集団と、遊牧民が存在しなかったと言っても大過はないだろう日本列島の人類集団とを単純に比較できませんが、民族を遺伝的に定義することは基本的に間違っていると思います。民族はあくまでも文化的に定義された集団であり、任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、必然的に遺伝的構成が異なる、というだけのことです。これを倒錯させて、遺伝的構成の違いから民族集団を定義することはできません。

 本題に戻すと、上記ブログでは、アイヌ民族が12世紀頃に樺太から北海道に南下してきてオホーツク集団を滅ぼした、と主張されています。その根拠となる、アイヌ民族は北海道縄文人と(遺伝的に)まったく関係ない、との見解が間違いであることは上述したので、それ話は終わりです。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していた可能性も指摘されていますので、これを過大評価というか歪めて解釈して、アイヌ人が12世紀頃に北海道に侵略してきた、との与太話が今後拡散されるかもしれません。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後のシベリア先住民集団の北海道集団への遺伝的影響は、母系ではせいぜい6.4%程度で、大きな影響があった可能性はきわめて低そうです。
56投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 19時10分46秒
>日本における植民地政策、同化政策は、他国のそれと違い、常に同等です。


そもそも同化政策はアイヌ人の遺伝子を薄めて、民族と文化を消滅させる事だからね。ウイグルでもウイグル語は使用禁止イスラム教は禁止、ウイグル女性は漢民族の男と結婚させる

日本がアイヌ人に対してやっている事と全く同じですね。

それで欧米ではウイグルを独立させろ、という声が大きくなったのです
同様にアイヌ人も独立させるしかないでしょう
57投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 19時31分20秒
『自主の道』とか聞いた事ないけど、アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
58投稿者:3  投稿日:2019年12月08日(日) 19時40分39秒






77 79 分前(編集済み)

『自主の道』とか聞いた事ないけど、アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
59投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時08分22秒
僕は一般教養として誰でも知っている事を書いているだけだから。
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ


アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
60投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時17分06秒
僕は一般教養として誰でも知っている常識を書いているだけだから。
アイヌの話は1980年代に梅原猛さんがシンポジュームを何度もやっていたから知らない人の方が少ないんだ
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ

アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
61投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時19分43秒
僕は一般教養として誰でも知っている常識を書いているだけだから。
アイヌの話は1980年代に梅原猛さんがシンポジュームを何度もやっていたから知らない人の方が少ないんだ
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ

アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ

アイヌの受けた迫害についてはこの本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)
62投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時31分57秒
僕は一般教養として誰でも知っている常識を書いているだけだから。
アイヌの話は1980年代に梅原猛さんがシンポジュームを何度もやっていたから知らない人の方が少ないんだ
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ

アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ

アイヌの受けた迫害についてはこの本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 ; 1983/8
青木 愛子 (著)

因みに、的場光昭さんの学説は
ジンギスカンは源義経だったとか、秦氏はユダヤ人だった
という話と同じ類なので、専門家が反論する事は未来永劫無いです。
相手をしたら自分も同類のバカだと思われますからね。
63投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時56分32秒
奥州藤原氏は平安貴族だとわかっているし、古墳時代の福島の古墳の被葬者も畿内人だったから
東北は住民はアイヌ系、支配者は京都の貴族なんだよ:

奥州藤原家四代の遺体(ミイラ)については、一九五〇(昭和二五)年の調査に参加された長谷部言人、鈴木尚、古畑種基氏らによる詳細な報告があるものの、現在もなお疑問のまま残されている問題が多い。筆者は鈴木尚氏の頭骨計測データを借用して新たに種々の統計学的検討を行い、また中尊寺の好意により短時間ながら遺体を直接観察する機会を得たので、その結果を報告して先人の研究の補遺としたい。この論文では次の点に触れる。

一、 遺体の固定―基衡と秀衡の遺体がいつの時代かに入れ替わったという疑問について、少なくとも生物学的観点から結論を出すことは困難である。また一部の特徴には寺伝どおりでよいのではないかと思える点もあるので、この問題は今のところ保留としておいた方がよさそうに思える。

二、 遺体のミイラ化の問題―遺体は自然にミイラ化したものと考えられるが、ごく簡単な吸湿処置がとられたという可能性が高い。

三、 奥州藤原家の出自―藤原家はもともと京都方面の出身という可能性が高い。

四、 エミシの人種的系統―古代・中世に奥州に住んでいたエミシは、現代的な意味でのアイヌでもなく和人でもなく、東北地方に残存していた縄文系集団が徐々に"和人化"しつつあった移行段階の集団であったと思われる。藤原家四代に見られる"貴族化"現象―特に鼻部の繊細化(貴族化)が著しいが、顔の輪郭や下顎骨の形態は日本人の一般集団に近いので、近世の徳川将軍や一部の大名に比較すれば貴族化の程度は弱かったと思われる。
64投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 22時01分51秒
奥州藤原氏は平安貴族だとわかっているし、古墳時代の福島の古墳の被葬者も畿内人だったから
東北は住民はアイヌ系、支配者は京都の貴族なんだよ:

奥州藤原家四代の遺体(ミイラ)については、一九五〇(昭和二五)年の調査に参加された長谷部言人、鈴木尚、古畑種基氏らによる詳細な報告があるものの、現在もなお疑問のまま残されている問題が多い。筆者は鈴木尚氏の頭骨計測データを借用して新たに種々の統計学的検討を行い、また中尊寺の好意により短時間ながら遺体を直接観察する機会を得たので、その結果を報告して先人の研究の補遺としたい。この論文では次の点に触れる。

一、 遺体の固定―基衡と秀衡の遺体がいつの時代かに入れ替わったという疑問について、少なくとも生物学的観点から結論を出すことは困難である。また一部の特徴には寺伝どおりでよいのではないかと思える点もあるので、この問題は今のところ保留としておいた方がよさそうに思える。

二、 遺体のミイラ化の問題―遺体は自然にミイラ化したものと考えられるが、ごく簡単な吸湿処置がとられたという可能性が高い。

三、 奥州藤原家の出自―藤原家はもともと京都方面の出身という可能性が高い。

四、 エミシの人種的系統―古代・中世に奥州に住んでいたエミシは、現代的な意味でのアイヌでもなく和人でもなく、東北地方に残存していた縄文系集団が徐々に"和人化"しつつあった移行段階の集団であったと思われる。藤原家四代に見られる"貴族化"現象―特に鼻部の繊細化(貴族化)が著しいが、顔の輪郭や下顎骨の形態は日本人の一般集団に近いので、近世の徳川将軍や一部の大名に比較すれば貴族化の程度は弱かったと思われる。

__

2019年11月25日
会津地方の支配層の男性は渡来系 喜多方・灰塚山古墳出土 歯や骨格から全身像を復元
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201906/20190604_63010.html

 約1500年前に会津地方を支配した豪族とみられる全身人骨が見つかった喜多方市の大型前方後円墳「灰塚山古墳」に関する講演会が24日、会津若松市の県立博物館であった。人骨の復元に取り組んでいた東北学院大(仙台市)の辻秀人教授(考古学)が調査成果を報告。顔つきは現代人に近く、渡来系集団が大和朝廷とつながって支配していたとの見方を示した。
.
 東北学院大文学部の辻秀人教授(考古学)の研究グループは、古墳時代中期(5世紀ごろ)に会津地方を支配した男性の歯から抽出したDNAと全身の骨格から生前の全身像を復元した。男性の姿は現代人に近く、当時の支配層の変遷を知る手掛かりになりそうだ。
65投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 22時29分35秒





同和ブラクとブラク解放同盟は戦後 在xに乗っ取られただろ
アイヌブラクとアイヌ協会も在xに乗っ取られるんだよ
66投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 22時35分34秒
同和ブラクとブラク解放同盟は戦後 在xに乗っ取られただろ
アイヌブラクとアイヌ協会も在xに乗っ取られるんだよ

神武天皇も朝鮮人だしね
一重瞼は朝鮮人だよ
アイヌは全員二重瞼だからね
67投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 13時37分57秒





北海道以北のアイヌの民には強力な支配者や中央政府が存在しなかったため]、標準語・中央語のようなものは無く地方によって多くの方言がある。

アイヌ語の方言は大きく北海道、千島、樺太に分けられる。

北海道アイヌ語、千島アイヌ語、樺太アイヌ語

なお東北北部にも18世紀まで本州アイヌが居住していたが、彼らの方言については詳らかでない。また中世以前の蝦夷がアイヌ語を話していたとする説もある(エミシアイヌ語)。


アイヌはコタン毎に生活をしており、コタンは主に川筋か海岸線に沿って分布したため、川筋ごとに方言が少しずつ異なる場合が多く、また海岸部と内陸部でも差異が見られた。

かつて大きくは北海道・千島(北千島)・樺太(南樺太)の三方言があった。

北海道方言は、さらに北東部方言と南西部方言の二つに分類したり、もっと細かく分類されることもあるが、方言間の詳細な比較研究が進んでいないため定説はない。

千島方言は日本の千島領有以後急速に廃れ、第二次世界大戦後には既に話者が見つからなかったとされる。

樺太方言は1994年に最後の話者とされる浅井タケが亡くなった。北海道内でも和人の移住が早くから進んだ渡島地方や石狩川下流域などの方言は記録がほとんど残っていない。

アイヌは独自の国家を形成せず、自らの言葉を文字に記すこともなかったので、アイヌ語には標準語ないしそれに近い中央語が存在しない。
アイヌ語を学ぶ場合は沙流方言や千歳方言の資料が比較的手に入りやすい。


下位区分
括弧内は使用地域。話者、教材を後述。

北海道アイヌ語
北海道南西部方言 八雲方言 (八雲町。旧熊石町域は除く)長万部方言 (長万部町)余市方言 (余市町)幌別方言 (登別市) - 知里幸恵『アイヌ神謡集』、金成マツ『アイヌ叙事詩ユーカラ集』白老方言 (白老町)千歳方言 (千歳市) - 中川裕・中本ムツ子『エクスプレス・アイヌ語』、中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』鵡川方言 (旧鵡川町)沙流方言 (沙流川流域) - 田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』、萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』、他多数。他のどの方言よりも記録の質・量ともに充実している。新冠方言 (新冠町)

北海道北東部方言 静内方言 (旧静内町) - 奥田統己『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集(CD-ROMつき)』浦河方言 (浦河町)様似方言 (様似町)十勝方言 (十勝支庁) - 本別町教育委員会『澤井トメノ十勝本別アイヌ語分類辞典』釧路方言 (釧路支庁) - 『アイヌ語釧路方言語彙』、山本多助、貫塩喜蔵阿寒方言 (阿寒町)根室方言 (根室支庁)北見方言 (網走支庁)石狩方言 (旭川市など) - 砂沢クラ、杉村キナラブック、杉村フサ、石山キツエ天塩方言 (名寄市など)宗谷方言 (稚内市)

樺太アイヌ語 西海岸方言 - 藤山ハル、浅井タケ、村崎恭子『カラフトアイヌ語』東海岸方言 - 山辺安之助『あいぬ物語』タライカ方言 (旧敷香町) - 樺太の他地域のアイヌ語と著しく異なっていた。

千島アイヌ語 (旧新知郡以北の千島列島) - 村山七郎『北千島アイヌ語』 古い時代にはカムチャツカ半島でも話されていた可能性がある。北千島アイヌは明治時代に色丹島へ移住し、後に北海道本島へ再移住した。なお、元々の択捉島以南のアイヌ語は北海道方言の一種とされる
68投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 13時49分12秒
京都方言と沖縄方言は分かれてから1500年程度

ドイツ語と英語は分かれてから1000年程度

ノルウェイ語とスウェーデン語は分かれてから300年程度

インド・アーリア語群の別言葉の差は日本語の方言程度しか違わない
日本語、アイヌ語、朝鮮語とニヴフ語が分かれたのは10000年以上前だと言われている
アイヌ語の地域差は言語差ではなく方言差に該当する

アイヌ語方言が分かれたのはアイヌ文化が成立した13世紀以降だから数百年の差しかない
69投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 14時05分05秒
言語年代学(げんごねんだいがく、glottochronology)は、言語学において系統を同じくする2つの言語が分岐した年代を見積もる方法である。

最近、R.D.Grayらによって、分子進化学(DNA配列の統計学的比較から生物の進化を明らかにする方法)を応用し、言語変化速度の一定性を仮定しない方法が提案されている[1]。これは比較言語学により明らかにされた同根語を基礎とする方法である。これによれば、一部の分岐年代が判っている語族(インドヨーロッパ語族など)については、従来よりも確実に分岐年代を見積もることが可能であるという。彼らはオーストロネシア語族にもこの方法を応用している[2]。
70投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 14時05分15秒
言語年代学(げんごねんだいがく、glottochronology)は、言語学において系統を同じくする2つの言語が分岐した年代を見積もる方法である。


最近、R.D.Grayらによって、分子進化学(DNA配列の統計学的比較から生物の進化を明らかにする方法)を応用し、言語変化速度の一定性を仮定しない方法が提案されている[1]。これは比較言語学により明らかにされた同根語を基礎とする方法である。これによれば、一部の分岐年代が判っている語族(インドヨーロッパ語族など)については、従来よりも確実に分岐年代を見積もることが可能であるという。彼らはオーストロネシア語族にもこの方法を応用している[2]。
71投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 14時10分13秒
10000年以上前に別れたのはアイヌ語と日本語
だから別言語とされている

アイヌ語の方言が分かれたのは200年ないし300年前だ
だから方言差とされている
72投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 16時26分49秒
ノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人とイギリス人はそもそも単一民族じゃないですよ、全く違う言語を話す民族の複合国家:

ブリテン島とアイルランド島およびその周辺の島々では、移住と侵略により現代人集団が形成されてきました。ブリテン島に人類が移住してきたのは更新世で、完新世になると、紀元前4000〜紀元前3000年頃に農耕民が移住してきて、銅器時代〜青銅器時代には鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)の拡散により大規模な人口置換があった、と推測されています(関連記事)。 ブリテン諸島集団の遺伝的構造はここでほぼ確立し、その後の移住も遺伝的影響を及ぼしたものの、置換は起きませんでした。青銅器時代以後の遺伝的影響として、400〜650年頃のアングロサクソンの侵攻が、イングランド南部におけるより高いゲルマン関連系統と関連していることや、8〜11世紀のヴァイキングの侵略が、オークニー諸島とアイルランドにおけるノルウェー人関連系統の増加と関連していることなどが挙げられます。さらに、アイルランド北東部では、おもに17世紀においてスコットランドとイングランド起源の集団との混合がありました。
 ブリテン島とアイルランド島の集団遺伝学の以前のゲノム規模調査では、イングランド・ウェールズ・アイルランドと比較して、スコットランドとその近隣地域のデータが少ない、という問題がありました。本論文はこの問題に対処するため、既知のデータとシェトランド諸島・マン島・スコットランド西岸の遺伝的データを組み合わせて、ブリテン島とアイルランド島およびその周辺の島々の計2544人のゲノムデータセットを作成し、包括的に分析しました。さらに本論文は、2225人のスカンジナビアの人々のデータセットも比較しました。本論文はこの統合されたデータを用いて、スコットランドとその周辺の島々における、遺伝子構造、ヴァイキングの遺伝的影響、古代アイスランドの創始者集団の遺伝的起源を検証しました。
 これらのデータセットに基づく地理的集団の系統樹では、まずシェトランド諸島およびオークニー諸島集団とその他の他集団に分岐します。後者では、イングランドおよびウェールズ集団とその他の集団が分岐します。さらに後者では、アイルランド集団とスコットランド集団が分岐します。スコットランド集団は、ヘブリディーズ諸島集団とスコットランド北東部および南西部集団が分岐します。ブリテン島およびアイルランド島とその周辺の島々では、遺伝地理的構造がかなりの程度明確に示されています。
 これらの集団の遺伝的構成は、イングランド・ウェールズ・スコットランド・デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの6系統の混合モデルでも分析されました。このうち、ウェールズはケルト、イングランドはサクソン、ノルウェーはノースという古代集団をほぼ表しています。ノルウェー系統はヘブリディーズ諸島集団で約7%と低く、スコットランド北部および南西部(アーガイル)とマン島でも約4%と低くなっています。アイルランドでもノルウェー系統の割合は平均7%と低くなっています。スコットランド東部とマン島では、イングランド系統の割合が比較的高くなっています。
 これらのゲノムデータは古代集団とも比較されました。アイスランド古代集団は遺伝的にはゲール人系統とノース人系統とに二分されます。ゲール人系古代アイスランド集団は、スコットランドとアイルランドのゲール人系集団と最大の類似性を示します。ノース人系統古代アイスランド集団と最も低い遺伝的類似性を示すのは、ドニゴールとヘブリディーズ諸島とアーガイルで、これらは、ヴァイキングの激しい活動があったブリテン諸島北西部地域とアイルランド島です。こうした現代人集団の遺伝子的構造は、アイスランドの創始者集団が、ブリテン島北西部もしくはアイルランド起源だったことを示唆します。 本論文は、ブリテン諸島において、北部ではノース人系統が、南東部および西部ではサクソン人およびケルト人系統が強いことを明らかにしています。とくにオークニー諸島とシェトランド諸島集団は、スカンジナビア外ではノルウェー系統を最高水準で有しています。本論文が示す現代のスコットランドの地域的な遺伝的構造は、明らかな自然障壁がないにも関わらず、暗黒時代(西ローマ帝国が崩壊した476年〜1000年頃)の王国の分布と地理的によく一致します。産業革命以後の流動性の増加にも関わらず、過去1000年ほど、スコットランドでは人類集団の大きな移住・遺伝子流動がなかったことを表しているのでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_47.html

多民族国家のノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人、イギリス人と比べるとアイヌ人は単一民族とみなせるのですね。

日本人と朝鮮人、台湾人、琉球人も典型的な多民族複合体

日本人と朝鮮人、台湾人、琉球人と比べるとアイヌ人は単一民族とみなせるのですね。
73投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 16時57分49秒
ノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人とイギリス人はそもそも単一民族じゃないですよ、全く違う言語を話す民族の複合国家:


https://sicambre.at.webry.info/201911/article_47.html

多民族国家のノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人、イギリス人と比べるとアイヌ人は単一民族とみなせるのですね。

日本人と半島人、台湾人、琉球人も典型的な多民族複合体

日本人と半島人、台湾人、琉球人と比べるとアイヌ人は遺伝子でも言葉でも文化でも単一民族とみなせるのですね。
74投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 16時40分22秒
住んでいる川筋が一つ違えば交流が無くなるから、言葉も文化も少しずつ変わって行くんだよ

アメリカインディアンやニューギニア原住民は狭い地域で何百・何千もの全く違う言葉の部族に分かれているけど、民族としては同一にカウントするんだよ

一方、日本の稲作民、漁民、山人、武家・公家は生業も文化も全くうから完全な別民族になる:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系 山人
C1----5% :縄文系 海人
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
75投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 16時47分52秒
住んでいる川筋が一つ違えば交流が無くなるから、言葉も文化も少しずつ変わって行くんだよ

アメリカインディアンやニューギニア原住民は狭い地域で何百・何千もの全く違う言葉の部族に分かれているけど、民族としては同一にカウントする

一方、日本の稲作民、漁民、山人、武家・公家は生業も文化も全くうから完全な別民族になる:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない:ドウワブラク民、小作人、今でも社会の底辺の人間
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民 : 地主・庄屋になった
O2---20%(旧表記O3):漢民族系 :武家、公家、豪族、現在も支配階級
C2----6% :縄文系山人 、今は僻地の山奥で林業とかしている
C1----5% :縄文系海人 、今は漁師
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
76投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 16時52分52秒
住んでいる川筋が一つ違えば交流が無くなるから、言葉も文化も少しずつ変わって行くんだよ

アメリカインディアンやニューギニア原住民は狭い地域で何百・何千もの全く違う言葉の部族に分かれているけど、民族としては同一にカウントする

一方、日本の稲作民、漁民、山人、武家・公家は生業も文化も全くうから完全な別民族になる:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない:ドウワブラク民、小作人、今でも社会の底辺の人間
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民 : 地主・庄屋になった
O2---20%(旧表記O3):漢民族系 :武家、公家、皇族、現在も支配階級
C2----6% :縄文系山人 、今は僻地の山奥で林業とかしている
C1----5% :縄文系海人 、今は漁師
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
77投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 18時25分07秒

そもそも総人口3万人のアイヌ人が団結して戦争する訳もないし、戦闘用の武器なんか持って居なかったよ。毒矢はアイヌ人の祖先の縄文人が1万年前から使っていた狩猟法だしね


北海道のアイヌ民族は、トリカブト、あるいは附子を「スルク」と呼び、狩猟に用いてきた[14]。矢の先に塗布するほか、獣道に仕掛けた仕掛け弓「アマッポ」でヒグマやエゾシカを捕らえる。矢の刺さった箇所の周囲の肉を握りこぶしほどの量ほどえぐり取って捨てれば、ほかは食べても問題が無かった。

東北地方では、いわゆるヤマト政権による古代の東北征討において、これに抵抗した蝦夷の人々が毒矢を用いた。関連して、東北のマタギの間では、明治時代に鉄砲が普及するまで毒矢が狩猟に用いられていた。

 縄文時代の遺跡から出土する陸上動物骨の骨の95%がシカ・イノシシでクマなどは少ない。その中型獣に対して、長さが2pにも満たない石鏃では、直ちに致命傷を与えられない。猟犬の追尾する能力に毒矢の使用が加わらなければ難しい。アイヌ民族が使っていたトリカブトの矢毒は、縄文人に遠距離からの攻撃を可能にした。イノシシ・クマなどの獲物からの反撃を回避するためにも有効であった。

矢毒で狩猟した獲物は、矢毒が刺さった部分を少し大きめに取り除き、他部は加熱すれば食べられた。矢毒を付けた仕掛け弓を獣道に多数仕掛けることで猟獲を格段に向上させた。矢毒の使用は狩猟民の狩猟技術に一大革命をもたらした。その命中精度の高さと狩猟技術の向上と、それを一層、効果的にしたのが縄文早期初頭からの猟犬と矢毒の使用であった。石槍の出土例は平野部では少なくなる。あっても殆どが漁労用であった。石槍が山間部に残るのはクマ猟には有効であったからだ。弓矢とイヌを活用する集団猟により、集落内の結び付きは一層強固なものになったであろう。
78投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 18時54分56秒
チャシはアイヌ人が和人との戦いの為に作ったものだよ
人口密度が極端に少ない北海道で、狩猟民族のアイヌ人が内ゲバなんかやらないよ:

チャシとは主に近世にアイヌが築造したある種の施設であって、高い場所に築かれ、壕や崖などで周囲と切り離された施設である。 1992年時点では526カ所のチャシコツ(チャシ跡)が確認されている。

チャシが文献に登場するのは17世紀以降で、殆どが和人の残した記録であるが、この時期にはアイヌ族と和人との間で戦争状態が続いていたこともあり、和人はチャシを砦として認識していたようである。

例えば1670年に書かれた『寛文拾年狄蜂起集書』では、「シヤクシヤ在所を明け、チャシに籠居申候て不参候」との記述がある。一方、ユーカラではチャシは英雄の住居、牢獄などの性格を与えられていることが多い。

チャシの分布は東蝦夷地(太平洋側のアイヌ文化圏)と呼ばれた道南、道東に多く、特に根室、釧路、十勝、日高地方に集中している。これはシャクシャインの勢力圏と一致している為、シャクシャインらが和人と戦う中で多くのチャシが築かれたのではないかと推測されている。
79投稿者:5  投稿日:2019年12月11日(水) 19時45分59秒
的場先生の話は最初から最後まで嘘ばかりだから聞く気が起きないんですね
統合失調症患者やパラノイア患者の話を真面目に聞いてもねえ
80投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 01時11分27秒
2015/05/12 - 北海道アイヌ生活実態調査

アイヌ世帯の平均年収は355.8万円、「年収なし」を除くと369.2万円である。

100万円ごとの年収区分では、回答のあった2,903世帯のうち、「200万円以上300万円未満」が567世帯(19.5%)ともっとも多く、「100万円以上200万円未満」が432世帯(14.9%)、「300万円以上400万円未満」が409世帯(14.1%)、「400〜500万円未満」が280世帯(9.6%)、「100万円未満」が195世帯(6.7%)で続いている。年収500万円以上の世帯は550世帯(18.9%)、「年収なし」の世帯は92世帯(3.2%)であった。

なお、厚生労働省大臣官房統計情報部による『平成25年国民生活基礎調査』によれば、北海道の平均年収は473.5万円で、もっとも構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」であり、全国の平均年収は537.2万円、構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」となっている(表4)。

世帯年収を年代別でみると、「年収なしから200万円未満」の世帯は、世帯主が「30歳未満」の年代層において14世帯(25.0%)、「60歳〜70歳未満」の年代層に223世帯(37.0%)、「70歳以上」の年代層に177世帯(56.0%)と多くなっている。世帯主が現役世代であっても、「年収なしから200万円未満」の世帯が「30歳〜40歳未満」において47世帯(21.1%)、「40〜50歳未満」において96世帯(18.3%)、「50〜60歳未満」において156世帯(19.8%)と各年代層において約20%を占めている。

アイヌ民族の大学進学率は、1990(平成2)年頃から増加に転じてはいるものの、一貫して低い水準であり、もっとも進学率が高かった2005(平成17)年でも27.1%(補正値では21.1%)と、全国平均の5分の3程度となっている。また、1970(昭和45)年頃から1990年頃までは、全国平均が伸びているなかでアイヌ民族の平均は同水準で推移しており、事実上不平等が拡大していたことがわかる」。

また、アイヌ民族の高校進学、大学進学について、以下の特徴が指摘されている。

@ 進学者が増えたにもかかわらず、中途退学する者が多い。高校進学者のうち、中退した者は12.9%に達している。1999(平成11)年の高校中退率が全国平均で2.1%、北海道で1.9%であったのに比べるときわめて高い数字であるといえる。また、大学進学者の中退率は20.3%であり、「在学中」の者を母数から除いた30歳未満の中退率は23.2%まで増える。2007(平成19)年度の私立大学中退率は2.7%であり、アイヌの大学生が中退する可能性は、全国平均の9倍に達している。

A 高等学校の定時制に通う者が多い。高校進学者のうち12.8%が定時制高校に進学している。もっとも、アイヌ子弟の定時制高校への進学者は急激に減少しており、30歳未満では2.3%である。2008(平成20)年における全高校生に占める定時制高校生の割合は3.2%であり、わずかではあるものの全国平均を下回っている。
https://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/20150512_ochiai_report.pdf
81投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 01時22分58秒
アイヌの結婚式が行われてこなかった理由
https://sasala-pro.com/kiccalo/ainu-wedding-report1/

映画「アイヌの結婚式」上映後の伊藤さんと来場者との質疑応答をまとめました。

Q:撮影が1971年、今から50年近く前になります。その時点でアイヌの結婚式が7、80年間行われていなかった。なぜでしょうか。伊藤:この映画の中でも言っていたようにですね、自分たちはアイヌであるということをやめた。アイヌ同士で結婚すると、生まれる子供たちはアイヌ。そのアイヌはシャモ、つまり内地の人間から差別される。ということで、アイヌであるということを止めようというのが、北海道のほとんどのところで起きていました。つまり日本人はアイヌを先住民族として受け止めていなかったということなんです。

日本に戸籍法ができましてね、その中にアイヌであるという記入欄はなかった。今もないです。従って、アイヌの人口がどのくらいあったのかはわからないんです。我々がこの結婚式を撮影した時点でですね、全道でアイヌが35,000人いるだろうと推定をしていました。もっといるはずだという考えもあったのだけれども、差別されるということもあって名乗ろうとしなかったアイヌも多くいたのではないかと思います。差別されるというのはどういうことかというと、職業につけないんですよ。警察官になれない、役所にも勤められない。できるのは商売や農耕、そのぐらいしかできなかったんです。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。明治32年に「北海道旧土人保護法」という法律を作った。これが平成9年に「アイヌ新法」が出来上がるまで適用されてきた。映画を撮影した地点では、法律的にも「北海道旧土人保護法」は生きているわけです。つまり当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。ただ数カ所の村で、二風谷もそのひとつですが、「自分たちはアイヌだと、それは恥ずかしいことではない」と主張したのです。

映画に出てきた萱野茂さんは、後にアイヌ出身の参議院議員なる方です。有名なのは、国会でアイヌ語の演説をしたこと。北海道旧土人保護法をやめろという演説をアイヌ語でやったんです。誰もわかんないです。困ったのは議事録の速記者。そのとき記録されたのが日本の国会に唯一残されたアイヌ語の議事録です。つまりそういうような状況でした。この映画は、アイヌであることを恥ずかしいと思っていた時代に、アイヌであることは恥ずかしくないよと言った村、二風谷の記録です。

Q:北海道旧土人保護法というのはどういう法律なんですか。

伊藤:北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

北海道旧土人保護法が施行された頃には松前藩はアイヌの交易をやめさせていた。松前藩が交易を独占していたんですね。そういうこともあって平等にしようと。しかしそれは和人が考えた同化政策なんです。「アイヌであることをやめて、日本人になりなさい」と。これが一番大きい問題です。

具体的には学校を作る。アイヌの村の中にアイヌコタンの中に、学校を作る。これは政府の金で作るんです。しかしアイヌ民族は「劣等民族」と見なされ4年制。当時の内地の学校は尋常小学校と言っていましたけれども、これは3年制です。学校をアイヌコタンの中心に作りますから、これが同化政策の拠点になるんです。萱野茂さんもそこで学びました。学校の規則としてアイヌ語を使ってはいけない。文化の中心になるのは言語ですから。つまりアイヌ文化を否定する動きになっていくわけです。
82投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 09時07分18秒
北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。

1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
83投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 22時43分40秒






蝦夷はアイヌ語を話していたのがわかっている。
東北のマタギの言葉はアイヌ語
東北にはアイヌ語地名が沢山あるので、東北の一般人はアイヌ系住民の子孫だというのが定説。
津軽半島の現在の住人はアイヌ人と変わらない。

シベリアの民族の言葉はツングース語とニヴフ語で、アイヌ語とは全く系統が異なる言語だから、そういう民族が北海道に移住してきたのなら話す言葉はアイヌ語ではなくツングース語やニヴフ語でないとおかしい。

従って、アイヌ人が縄文系の擦文人の子孫でないとすると矛盾する。
84投稿者:2  投稿日:2019年12月14日(土) 20時02分02秒
アイヌ人は所得が少なく、大学進学率も低い
アイヌ語を話せるアイヌ人も殆どいない
こういうのをミンゾク浄化と言うのですね。

中国がウイグルやチベットで今やっているのと同じ事をやっていたという事なのですね
ウイグルもチベットもアイヌも独立させるしかないでしょう
85投稿者:2  投稿日:2019年12月14日(土) 20時37分55秒
アイヌ人は所得が少なく、大学進学率も低い
アイヌ語を話せるアイヌ人も殆どいない
アイヌの宗教も滅ぼされた

こういうのをミンゾク浄化と言うのですね。
中国がウイグルやチベットで今やっているのと同じ事をやっていたという事なのですね
もうウイグルもチベットもアイヌも独立させるしかないでしょう
86投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 00時34分15秒
アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていたよ。
アイヌ医学は西洋医学より優れていたし、アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われている。
アイヌのシャーマニズムはあらゆる宗教で一番優れていると言われている。

少なくともウイグル人やチベット人よりは遥かに高度な文化を持って居た。


>日本政府側が土人法を作り アイヌ人を保護したので

保護するというのはアイヌ語やアイヌの生活を変えない様にする事だよ
生業や生活や宗教を変えさせたらミンゾク浄化になる
87投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 07時34分04秒
アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていたよ。

アイヌ語は現存する世界最古で最美の言葉だといわれています。

アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われている。

アイヌ文化は西洋文化とは180度反対の方向に進化した究極の文化なのですね。
シャーマンが行うアイヌ医療は慢性病や医者では治せない難病の治療では西洋医学より優れていたし、アイヌの宗教やシャーマニズムはあらゆる宗教の最高峰だと言われています。

アイヌ人は超能力(千里眼、テレパシー能力、動物と会話する能力)を持って居た様で、科学ではなく超能力の方向に進化したのですね。

少なくともウイグル人やチベット人よりは遥かに高度な文化を持って居た。


>日本政府側が土人法を作り アイヌ人を保護したので

保護するというのはアイヌ語やアイヌの生活を変えない様にする事だよ
生業や生活や宗教を変えさせたらミンゾク浄化になる
88投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 07時43分44秒

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36 秒前(編集済み)

昔のアイヌ人やアイヌ最後のシャーマン 青木愛子さんが持って居た不思議な能力については

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) 1982/12
藤村 久和 (著)


アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録1983/8
青木 愛子 (著)
一部を表示
89投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 13時39分16秒
何か完全に誤解してるみたいだけど、

Y-DNAは父親から息子にしか受け継がれません
父親が 北海道オホーツク海沿岸部にやって来たオホーツク文化人(Y-DNA = C2)なら, 息子も Y-DNA = C2 になります。

今のアイヌ人の男は Y-DNA = D1 なので北海道オホーツク海沿岸部にやって来たオホーツク文化人の子孫ではありません。

それから和人の男は Y-DNA が O1, O2 が多いので、和人の子孫の男も Y-DNA が O1, O2 が多くなります。

現在のアイヌの男は Y-DNA = D1 なので和人の子孫でもありません。

現在のアイヌの男が北海道オホーツク海沿岸部にやって来たオホーツク文化人の男の子孫でも、和人の男の子孫でもないとしたら
擦文人(Y-DNA = D1)の男の子孫に決まってるんですよ。
90投稿者:2  投稿日:2019年12月19日(木) 21時43分47秒
日本人も今中国がウイグルやチベットでやっているのと全く同じミンゾク浄化を北海道でつい最近まで続けてきました。

千島アイヌは色丹島のアウシュビッツの様な強制収容所に集められて酷使されバタバタ死んでいき、生き残ったアイヌ青年は沖縄戦の最前線に送られ、千島アイヌは絶滅させられました。

そして遂に今はアイヌ語を話せるアイヌ人も、アイヌのシャーマンも、アイヌの宗教も消滅してしまいました。

今ならまだ間に合います。 ウイグル人、チベット人とアイヌ人を独立させ、かつての輝かしい偉大な文化を再生させましょう:

北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。

1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
91投稿者:2  投稿日:2019年12月19日(木) 21時46分35秒
アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていました。

アイヌ語は現存する世界最古で最美の言葉だといわれています。

アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われています。

アイヌ文化は西洋文化とは180度反対の方向に進化した究極の文化なのです。
シャーマンが行うアイヌ医療は慢性病や医者では治せない難病の治療では西洋医学より遥かに優れていたし、アイヌの宗教やシャーマニズムはすべての宗教の中で最高到達点だと言われています。

アイヌ人は超能力(千里眼、テレパシー能力、動物と会話する能力)を持って居た様で、西洋科学ではなく超能力の方向に進化したのですね。

保護するというのはアイヌ語やアイヌの生活を変えない様にする事です。
生業や生活や宗教を変えさせたらミンゾク浄化になるのです。

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昔のアイヌ人やアイヌ最後のシャーマン 青木愛子さんが持って居た不思議な超能力については

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) 1982/12 藤村 久和 (著)
アイヌ民族 (朝日文庫) 2001/11 本多 勝一 (著)
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 1983/8 青木 愛子 (著)
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青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。

…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。
例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。

ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。
92投稿者:2  投稿日:2019年12月24日(火) 14時05分09秒
明治以前は日本人の生活様式では北海道の冬は越せなかったので、北海道にはアイヌ人しか住んでいなかった。 従ってアイヌ人は先住民族で間違いない:
北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。

1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
93投稿者:3  投稿日:2019年12月25日(水) 20時59分51秒
江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大26800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
1897年のロシア国勢調査によればアイヌ語を母語とする1,446人がロシア領に居住していた[33]。
現在、国勢調査ではアイヌ人の項目はなく、国家機関での実態調査は行われていないに等しい。そのため、アイヌ人の正確な数は不明である。
2006年の北海道庁の調査によると、北海道内のアイヌ民族は23,782人[34][14]となっており、支庁(現在の振興局)別にみた場合、胆振・日高支庁に多い。なお、この調査における北海道庁による「アイヌ」の定義は、「アイヌの血を受け継いでいると思われる」人か、または「婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる」人というように定義している。また、相手がアイヌであることを否定している場合は調査の対象とはしていない。
1971年調査で道内に77,000人という調査結果もある。日本全国に住むアイヌは総計20万人に上るという調査もある[35]。この結果を裏付ける他の研究はない。
北海道外に在住するアイヌも多い。1988年の調査では東京在住アイヌ人口が2,700人と推計された[34]。1989年の東京在住ウタリ実態調査報告書では、東京周辺だけでも北海道在住アイヌの1割を超えると推測されており、首都圏在住のアイヌは1万人を超えるとされる[14]。 日本・ロシア国内以外にも、ポーランドには千島アイヌの末裔がいると1992年に報道されたが、アレウト族の末裔ではないかとの指摘もある[36]。一方、アイヌ研究の第一人者で写真や蝋管など膨大な研究資料を残したポーランドの人類学者ブロニスワフ・ピウスツキが樺太アイヌの女性チュフサンマと結婚して生まれた子供たちの末裔は日本にいる。
2017年の調査では、道内のアイヌ人口は約1万3000人となっている。これは2006年の2万4000人から急激に減少しているが、これは調査に協力している北海道アイヌ協会の会員数が減少したことと、個人情報の保護への関心の高まりから、調査に協力する人が減っていることが挙げられ、実際の人数とは合致しないと考えられている[37]。
94投稿者:2  投稿日:2019年12月25日(水) 21時00分19秒
2015/05/12 - 北海道アイヌ生活実態調査

アイヌ世帯の平均年収は355.8万円、「年収なし」を除くと369.2万円である。

100万円ごとの年収区分では、回答のあった2,903世帯のうち、「200万円以上300万円未満」が567世帯(19.5%)ともっとも多く、「100万円以上200万円未満」が432世帯(14.9%)、「300万円以上400万円未満」が409世帯(14.1%)、「400〜500万円未満」が280世帯(9.6%)、「100万円未満」が195世帯(6.7%)で続いている。年収500万円以上の世帯は550世帯(18.9%)、「年収なし」の世帯は92世帯(3.2%)であった。

なお、厚生労働省大臣官房統計情報部による『平成25年国民生活基礎調査』によれば、北海道の平均年収は473.5万円で、もっとも構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」であり、全国の平均年収は537.2万円、構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」となっている(表4)。

世帯年収を年代別でみると、「年収なしから200万円未満」の世帯は、世帯主が「30歳未満」の年代層において14世帯(25.0%)、「60歳〜70歳未満」の年代層に223世帯(37.0%)、「70歳以上」の年代層に177世帯(56.0%)と多くなっている。世帯主が現役世代であっても、「年収なしから200万円未満」の世帯が「30歳〜40歳未満」において47世帯(21.1%)、「40〜50歳未満」において96世帯(18.3%)、「50〜60歳未満」において156世帯(19.8%)と各年代層において約20%を占めている。

アイヌ民族の大学進学率は、1990(平成2)年頃から増加に転じてはいるものの、一貫して低い水準であり、もっとも進学率が高かった2005(平成17)年でも27.1%(補正値では21.1%)と、全国平均の5分の3程度となっている。また、1970(昭和45)年頃から1990年頃までは、全国平均が伸びているなかでアイヌ民族の平均は同水準で推移しており、事実上不平等が拡大していたことがわかる」。

また、アイヌ民族の高校進学、大学進学について、以下の特徴が指摘されている。

@ 進学者が増えたにもかかわらず、中途退学する者が多い。高校進学者のうち、中退した者は12.9%に達している。1999(平成11)年の高校中退率が全国平均で2.1%、北海道で1.9%であったのに比べるときわめて高い数字であるといえる。また、大学進学者の中退率は20.3%であり、「在学中」の者を母数から除いた30歳未満の中退率は23.2%まで増える。2007(平成19)年度の私立大学中退率は2.7%であり、アイヌの大学生が中退する可能性は、全国平均の9倍に達している。

A 高等学校の定時制に通う者が多い。高校進学者のうち12.8%が定時制高校に進学している。もっとも、アイヌ子弟の定時制高校への進学者は急激に減少しており、30歳未満では2.3%である。2008(平成20)年における全高校生に占める定時制高校生の割合は3.2%であり、わずかではあるものの全国平均を下回っている。
https://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/20150512_ochiai_report.pdf
95投稿者:2  投稿日:2019年12月26日(木) 08時43分53秒
北海道アイヌの祖先は4世紀に東北まで南下していて、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれていたんだよ。北海道アイヌも東北の一般民も13世紀までは農耕民で文化も同じだった。 その後、北海道アイヌは土器製作を止めて東北から鉄器を買う様になった。それが日本とアイヌの交易の歴史だ。

アイヌが13世紀に農耕を止めて狩猟民族に変わったのは、日本人が鉄製農具をアイヌに売るのを禁止したからだ。
96投稿者:2  投稿日:2019年12月26日(木) 09時25分23秒
北海道アイヌの祖先は4世紀に東北まで南下していて、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれていたんだよ。北海道アイヌも東北の蝦夷も13世紀までは日本から買った鉄製農具を使った農耕民で文化も全く同じだった。 その後、北海道アイヌは土器製作を止めて日本から鉄鍋を買う様になった。それが日本とアイヌの交易の歴史。

アイヌが13世紀に農耕を止めて縄文時代以来の狩猟民族に逆戻りしたのは、日本人が鉄製農具をアイヌに売るのを禁止したからです。
しかし、オホーツク文化人のトビニタイ文化を取り入れて海獣狩猟に適応したので、縄文時代と比べると随分進歩しています。
97投稿者:2  投稿日:2019年12月26日(木) 09時30分05秒
北海道アイヌの祖先は4世紀に東北まで南下していて、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれていたんだよ。北海道アイヌも東北の蝦夷も13世紀までは日本から買った鉄製農具を使った農耕民で文化も全く同じだった。 その後、北海道アイヌは土器製作を止めて日本から鉄鍋を買う様になった。それが日本とアイヌの交易の歴史。

アイヌが13世紀に農耕を止めて縄文時代以来の狩猟民族に逆戻りしたのは、日本人が鉄製農具をアイヌに売るのを禁止したからです。
しかし、オホーツク文化人のトビニタイ文化を取り入れて海獣狩猟に適応したので、縄文時代とは比較にならない程 進歩・洗練されました。
98投稿者:2  投稿日:2019年12月27日(金) 05時46分06秒
文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は多様なので、ある地域の文化変容を単純に集団の遺伝的構成の変容、さらには置換と判断することはできません。これを踏まえて「考古資料から集団置換が起きたか否かを判断するのは容易ではないというかほぼ無理で、古代DNA研究に依拠するしかない」と述べたら、「遺伝子研究では縄文人とアイヌ民族を結びつけることは出来ないということで大変参考になりました」と返信されて、あまりの読解力の低さ(IQ の低さ) にうんざりさせられました。

 北海道の時代区分は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ(ニブタニ)文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。この間の文化変容と「遺伝的証拠」から、アイヌは「(北海道)縄文人」の子孫ではなく、12世紀頃に北海道に到来した、というような言説(関連記事)もネットの一部?では浸透しているようです(アイヌ中世到来説)。もっとも、こうしたアイヌ中世到来説やそれに類する言説を主張する人は、上述のやり取りから窺えるように読解力が低すぎる(IQが低すぎる)のではないか、との疑念がますます深まっています。

 それはさておくとして、考古学的には、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期、さらには近現代のアイヌにわたる人類集団の連続性を指摘する見解が主流で、アイヌ中世到来説はまともな議論の対象になっていない、と言えるでしょう(関連記事)。また考古資料から、縄文および続縄文文化を継承した擦文文化の側が主体となってオホーツク文化を吸収し、アイヌ(ニブタニ)文化が形成された、との見解も提示されています(関連記事)。アイヌ中世到来説論者に言わせると、こうした評価は適切ではない、ということになるのでしょうが、上述のように文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではありませんから、置換があったと断定することはとてもできません。もちろん、考古資料だけを根拠に、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を断定することもまたできません。もっとも、考古資料も縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を示唆している、と私は考えていますが。

 古代DNA研究も含めて現時点での遺伝学の研究成果からは(関連記事)、アイヌが「(北海道)縄文人」の強い遺伝的影響を受けている可能性はきわめて高い、と言えそうですが、この問題の解決には古代DNA研究の進展を俟つしかないと思います。ただ、日本列島も含めてユーラシア東部圏の古代DNA研究はヨーロッパを中心とする西部よりもずっと遅れているので、現時点でのヨーロッパと同水準にまで追いつくのには時間がかかりそうです。ただ、古代DNA研究には「帝国主義・植民地主義的性格」が指摘されており、日本でもこの問題が解決されたとはとても言えないでしょう(関連記事)。古代DNA研究の大御所と言えるだろうウィラースレヴ(Eske Willerslev)氏が中心となってのアメリカ大陸先住民集団との信頼関係構築は、日本においても大いに参考になるでしょうが、歴史的経緯が同じというわけではないので、単純に真似ることは難しいかもしれません。古代DNA研究は倫理面でも大きな問題を抱えていますが、それらを克服しての進展が期待されます。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html
99投稿者:2  投稿日:2019年12月28日(土) 21時02分24秒
アイヌ人と和人の混血は日本に10万人います。殆どは差別されたくないので日本人に成りすましています。
しかし、アイヌ人である事に誇りを持って居るアイヌの血が濃い人はアイヌ協会に入ってアイヌと自称しています。

元々、アイヌ人は狩猟民族で人口密度が低く、江戸時代でも北海道全体で1万数千人しかいませんでした。
現在でも自称アイヌは1万数千人なので、ほぼ江戸時代と同人口ですね。
従って、今アイヌ人が独立して、アイヌ系の人間だけが集まればアイヌ人の遺伝子は守られます。
100投稿者:2  投稿日:2019年12月28日(土) 22時42分54秒
北海道はアイヌの土地だったのに日本人が暴力で奪ったからね
今のままだとドウワブラクと同じで、アイヌは永遠に社会の底辺から抜け出せない
もう独立させるしかないんだよ
101投稿者:2  投稿日:2019年12月28日(土) 22時53分35秒
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。 国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。 国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。 縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。 今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
102投稿者:2  投稿日:2019年12月29日(日) 11時57分03秒
縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。



遺伝的に近かった出雲人と東北人



 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。
103投稿者:5  投稿日:2019年12月30日(月) 11時15分38秒
2019年06月04日
愛知県の「縄文人」のゲノム解析

愛知県田原市伊川津町の2500年前頃の「縄文人」個体(IK002)に 41264ヶ所の一塩基多型を用いると、IK002は現代の北海道アイヌと強い遺伝的類似性を示し、アイヌは縄文人の直接的子孫という以前からの説が支持されます。

IK002は現代の北海道アイヌを除いて、ユーラシア東部および日本列島の現代人集団とはわずかに異なります。IK002系統は、アジア東部系統とアメリカ大陸先住民系統とが分岐する前に、これらの共通祖先系統から分岐したと推測されます。

これらの知見は、縄文人と弥生時代以降にユーラシア東部から日本列島に到来した集団との融合により「本土日本人」が形成され、アイヌは「本土日本人」よりも縄文人の遺伝的影響を強く受けている、との古典的仮説を強く支持します
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html
104投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 11時46分42秒
本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました。
現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。
 従来の諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。
アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html
105投稿者:2  投稿日:2020年01月02日(木) 00時47分29秒
北海道なんだからアイヌのユーカラをやって欲しい
シャモの舞踏は北海道とは水と油だよ
106投稿者:2  投稿日:2020年01月02日(木) 22時44分26秒
アイヌ人は日本人から差別・迫害され続けて、大学にも行けず、所得も北海道で最底辺なので、何らかの形で財政援助しないと餓死するのですね:
2015/05/12 - 北海道アイヌ生活実態調査
アイヌ世帯の平均年収は355.8万円、「年収なし」を除くと369.2万円である。

100万円ごとの年収区分では、回答のあった2,903世帯のうち、「200万円以上300万円未満」が567世帯(19.5%)ともっとも多く、「100万円以上200万円未満」が432世帯(14.9%)、「300万円以上400万円未満」が409世帯(14.1%)、「400〜500万円未満」が280世帯(9.6%)、「100万円未満」が195世帯(6.7%)で続いている。年収500万円以上の世帯は550世帯(18.9%)、「年収なし」の世帯は92世帯(3.2%)であった。

なお、厚生労働省大臣官房統計情報部による『平成25年国民生活基礎調査』によれば、北海道の平均年収は473.5万円で、もっとも構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」であり、全国の平均年収は537.2万円、構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」となっている(表4)。

世帯年収を年代別でみると、「年収なしから200万円未満」の世帯は、世帯主が「30歳未満」の年代層において14世帯(25.0%)、「60歳〜70歳未満」の年代層に223世帯(37.0%)、「70歳以上」の年代層に177世帯(56.0%)と多くなっている。世帯主が現役世代であっても、「年収なしから200万円未満」の世帯が「30歳〜40歳未満」において47世帯(21.1%)、「40〜50歳未満」において96世帯(18.3%)、「50〜60歳未満」において156世帯(19.8%)と各年代層において約20%を占めている。

アイヌ民族の大学進学率は、1990(平成2)年頃から増加に転じてはいるものの、一貫して低い水準であり、もっとも進学率が高かった2005(平成17)年でも27.1%(補正値では21.1%)と、全国平均の5分の3程度となっている。また、1970(昭和45)年頃から1990年頃までは、全国平均が伸びているなかでアイヌ民族の平均は同水準で推移しており、事実上不平等が拡大していたことがわかる」。

また、アイヌ民族の高校進学、大学進学について、以下の特徴が指摘されている。

@ 進学者が増えたにもかかわらず、中途退学する者が多い。高校進学者のうち、中退した者は12.9%に達している。1999(平成11)年の高校中退率が全国平均で2.1%、北海道で1.9%であったのに比べるときわめて高い数字であるといえる。また、大学進学者の中退率は20.3%であり、「在学中」の者を母数から除いた30歳未満の中退率は23.2%まで増える。2007(平成19)年度の私立大学中退率は2.7%であり、アイヌの大学生が中退する可能性は、全国平均の9倍に達している。

A 高等学校の定時制に通う者が多い。高校進学者のうち12.8%が定時制高校に進学している。もっとも、アイヌ子弟の定時制高校への進学者は急激に減少しており、30歳未満では2.3%である。2008(平成20)年における全高校生に占める定時制高校生の割合は3.2%であり、わずかではあるものの全国平均を下回っている。
https://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/20150512_ochiai_report.pdf
107投稿者:2  投稿日:2020年01月02日(木) 22時45分01秒
国立科学博物館の神沢秀明研究員らは、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
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縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。

斎藤教授
「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。

遺伝的に近かった出雲人と東北人
 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。


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2019年06月04日

愛知県の「縄文人」のゲノム解析
愛知県田原市伊川津町の2500年前頃の「縄文人」個体(IK002)に 41264ヶ所の一塩基多型を用いると、IK002は現代の北海道アイヌと強い遺伝的類似性を示し、アイヌは縄文人の直接的子孫という以前からの説が支持されます。

IK002は現代の北海道アイヌを除いて、ユーラシア東部および日本列島の現代人集団とはわずかに異なります。IK002系統は、アジア東部系統とアメリカ大陸先住民系統とが分岐する前に、これらの共通祖先系統から分岐したと推測されます。

これらの知見は、縄文人と弥生時代以降にユーラシア東部から日本列島に到来した集団との融合により「本土日本人」が形成され、アイヌは「本土日本人」よりも縄文人の遺伝的影響を強く受けている、との古典的仮説を強く支持します
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html



本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました。

現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 従来の諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。

アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html
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