天皇 [本/雑誌]
951投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 18時52分16秒
黄河文明の古代遺跡から発掘される人体はコーカソイドの特徴を持っていることは、考古学ではよく知られています。 これは寒冷地適応や黄砂適応を獲得するまえのY-DNA「O3」はY-DNA「CF」の子孫としてふさわしい彫深の外観であったことを示しています。

同様に典型的なフラットフェースのモンゴル人Y-DNA「C3c」も、本来は兄弟亜型Y-DNA「C2」と「C4」のニューギニア先住民やアボリジニと同じく いかつい彫深顔であったことが容易に推測できます。これほど寒冷地適応は厳しい環境要因だったのです。


  アイヌ民族のmtDNA「Y」はオホーツク文化で古代アイヌ民族を征服した古代ニヴフ族がもたらしたものでしょう。 その古代ニヴフ族は東北アジア系Y-DNA「C3c」のツングース系かモンゴル系と考えられます。

明治期でもアイヌ人男性の一部はコーカソイドと考えられたほど端正な顔立ちだったので、 いづれにせよ寒冷地適応を獲得する前の東北アジア集団が北海道に渡ってきたことになります。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2.htm
952投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 19時04分33秒
そもそも寒冷地適応したのは寒くて日射が激しい所に住んでいたエスキモーと漢民族、ツングースだけだろ

北欧みたいな霧が深い所や、森の中ならいくら寒くても寒冷地適応しないんだよ
953投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 19時15分00秒
寒冷地では鼻に入った空気を温める為に鼻が高くなるんだよ
だから氷河に囲まれたゲルマン人は顔の彫りが深くなったんだ
954投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 19時20分21秒
風が強いとか黄砂が吹くとか特別な条件下でだけ寒冷地適応するんだよ

北海道の森の中に住んでいたら寒冷地適応しない
955投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 19時40分14秒
鼻の形状は、緯度によって変化する

欧米人の鼻の高さに比べてアフリカ系の人々、さらには我々日本人も含むアジア人の鼻が低い。
ほとんど万人が抱いている共通認識。これには、ちゃんとした裏付けがあった。

人間の鼻の形は、それぞれの地域で自然環境に順応するために、最適な形状へと進化したもの。

2016年6月「American Journal of Physical Anthropology」に掲載された、ノーステキサス大学ヘルスセンターの研究者らによる論文によると、
北欧など高緯度の地域に暮らす人ほど、高くすらっと細い鼻の持ち主。
これに対し、赤道に近い場所で生活している人の鼻は平たく幅が広いことが結論付けられた。
この鼻の形状を定義するのが、地域ごとの温度や湿度、つまりは自然環境が大きく影響を与えているということだ。

温度、湿度に適応する重要な役割が鼻腔にあり

ではなぜ、地域によって鼻の高低差がついたのだろうか?
この研究の詳細を報じた「Mental Floss」は、寒冷の北欧に暮らすヨーロッパ人の細い鼻は、
低温で乾燥した空気を加熱、加湿する役割があるとする専門家の意見を紹介している。

曰く、吸い込んだ冷たい空気が鼻腔(鼻の穴)を通るとき、鼻粘膜によって湿気が加えられ、
粘膜へ流れてくる血液により温められているそう。
これは、冷たい空気が直接肺に入ることを避けるための機能。鼻腔が狭くなれば、その分鼻も大きくなることから、
緯度の高い(寒冷地)の人の鼻ほど細く高くなるというロジック。

いっぽう、熱帯地域の人々は高温多湿なため、すでに周りの空気が十分に湿気を含んでいる。
暖かく湿った空気は、直接鼻腔の奥へととどくため、鼻の果たす役割も少なくて済む訳だ。
956投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 19時40分48秒
113年分の気候データから検証
幅広の鼻は体温を下げる役割

ところが、今回の研究において指揮をとった人類学者のスコット・マダックス博士は、
低く幅広な鼻も北欧ヨーロッパの人々と同じように、「多湿に耐えうる進化だ」と主張する。

同博士らは、1901年から2013年までの世界の年間平均気温、相対湿度、絶対湿度をベースに、
膨大な気候データを分析しビッグデータを再構築。その後、世界147カ国、15,000人以上の鼻を計測した1923年のデータと比較することで、
熱帯地域に暮らす人々の鼻も、高温多湿に合わせて進化を続けてきたことを証明してみせた。

高温多湿になればなるほど日本人の鼻は低くなる!?


「2016年7月は観測史上最も暑かった」とNASAが発表したように、世界の平均気温は20世紀より1.57℃上昇しているという。
それは日本でも。長期的には100年あたり1.16℃の割合で上昇しており、1990年以降、高温の年が頻発している、
ことが気象庁のデータからも見てとれる。

このまま高温多湿が襲うようだと、未来の日本人の鼻は必然的に低く幅広になるということか。これはもう、気候を恨むほかない。

温度、湿度と鼻の進化の関係性。クレオパトラが仮に北欧生まれでもない限り、
彼女の鼻の高さも、歴史も、やっぱり変わることはなかったのでは。
957投稿者:2  投稿日:2019年10月21日(月) 19時52分53秒
新モンゴロイドの寒冷地適応の条件は

黄砂が吹く
または
強い寒風が吹く

森の中ならどんなに寒くても寒冷地適応なんかしないんだよ
958投稿者:2  投稿日:2019年10月22日(火) 14時53分10秒
賛成
ついでに伊勢神宮の遷宮建て替えも廃止

三輪神社、石上神社、籠神社、出雲大社、法隆寺、東大寺、興福寺、東寺等の皇室に関係する寺もすべて取り壊して日本を宗教の無い国にして欲しい
959投稿者:2  投稿日:2019年10月22日(火) 14時55分05秒
バチカンも潰した方がいいね
960投稿者:4  投稿日:2019年10月25日(金) 12時58分11秒

九州から東北までアイヌ語地名が沢山あるよ

日本列島にはアイヌ系先住民が15000年前から住んでいたんだ



日本語はアイヌ語を話す先住民がいなくなってから定着したんだよ


日本語を話していたD1a2系統は縄文時代に大陸から日本に渡って来たんだよ
四川省に日本語がわかる少数民族がいるしね

島根は言葉も遺伝子も東北に近い
東北弁や島根弁や琉球語はアイヌ語を話していた先住民が日本語を上手く話せなかったから訛ったんだよ
961投稿者:4  投稿日:2019年10月25日(金) 20時18分27秒

水島総、篠原常一郎 、小野寺まさる、金子やすゆき、的場光昭、田中英道、長浜浩明が言っているのは

アイヌ人は13世紀にシベリアから北海道に移住してきたという主張だろ

それは考古学からも遺伝子からも完全に否定されている

旧石器時代には縄文人以外の民族も居たけど後には繋がっていない


因みに、アイヌ人は13世紀にシベリアから北海道に移住してきたという主張は
騎馬民族説の江上波夫が昔言っていた事だ

アイヌ文化はアムール川流域の文化と酷似していて縄文文化とは違うという話だ

その後単にオホーツク人の文化を取り入れただけだとわかった



そもそも縄文晩期は小氷期で釧路周辺の縄文人以外は絶滅している
それ以外の地域の住民は全滅したんだよ
962投稿者:2  投稿日:2019年10月25日(金) 20時34分35秒

網走近辺のモヨロ貝塚はオホーツク人の文化だよ

アイヌの生活様式では釧路と日高で生き延びるのがやっとだったから
オホーツク文化を取り入れて混血もしたんだ

和人の生活様式では凍死する


隠れアイヌが道内に 7万人、迫害されない様にアイヌであるのを隠して生活していたんだ

アイヌを名乗っていたのが日高の2万人、人数が多かったか迫害されても隠せなかったんだ
963投稿者:2  投稿日:2019年10月25日(金) 22時31分10秒
江戸時代以降、アイヌ人は今の中国のウイグル人やチベット人と同じ扱いを受けてたんだよ

シコタン島は強制労働で若い男がバタバタ死んだと鳥居龍三が書いているしね。

中国政府は教育しているだけだと言ってるけど、バタバタ死んでるんだから教育の訳ないよな
964投稿者:4  投稿日:2019年10月25日(金) 23時05分09秒

アイヌや日本人の遺伝子調査は大学の研究者がやって、論文として学術誌に掲載したものだよ:


日本民族 Y-DNA調査まとめ 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-3.htm


アイヌ人の父系系譜を示すY染色体ハプログループの構成比については、日本列島固有のハプログループD1a2が87.5%(うちD1a2*が13/16=81.25%、D1a2a1が1/6=6.25%)と大半を占める。
ハプログループD1a2は日本列島以外ではほぼ確認されず、縄文人特有の系統であったと考えられている。
これは琉球人で50%弱、本土日本人で30%ほどであるため、アイヌ人は現代日本人の中では縄文人の遺伝子を最も色濃く引き継いでいると言える。

他に北方シベリアから樺太を経て南下してきたと考えられるC2が2/16=12.5%と報告されている[22]。


22.^ 田島等 "Genetic Origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages" 2004年

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C#cite_note-24

専門家の調査を嘘だと思うのが知恵遅れ右翼の特徴なんだな
965投稿者:2  投稿日:2019年10月25日(金) 23時44分49秒
縄文土器は正確な編年がなされていて、民族が変わったら土器が不連続になるから直ぐにわかるんだよ

東日本の縄文人に関しては土器が連続的だから1万年以上の期間、民族の入れ替わりは有り得ないんだよ
966投稿者:4  投稿日:2019年10月30日(水) 17時33分09秒

大昔から台湾からは沖縄に海路で行けないんだよ
九州からしか沖縄には移住できない


沖縄の人は尖閣の事は知らなかったし

西表とか先島諸島は最初は台湾人が住んでいたけど、10世紀に九州人に駆逐されたのがわかっている

ここでデマ流してる中国工作員は歴史の知識がゼロなんだ
967投稿者:5  投稿日:2019年10月31日(木) 11時55分36秒

大和は朝鮮人

アイヌ・琉球は縄文人

だから別民族なんだよ




畿内人は朝鮮人と全く区別できないのは有名な話だよ

天皇みたいな一重瞼は漢民族の特徴だ
968投稿者:4  投稿日:2019年11月01日(金) 07時02分38秒

『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、
琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、
遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、
王家の祖先だけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている(真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。

元の文は「「此国人生初は、日本より為レ渡儀疑無二御座一候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。
雖レ然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為レ絶故也」)

なお、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じ祖先を持つことが明らかになっている。
高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、
10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(朝日新聞 2010年4月16日)するように、
近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)
に南下して定住したものが主体であると推測されている。


琉球語は独立言語として見た場合、日本語と系統が同じ唯一の言語と見なされ、
日本語と琉球語を合わせて日本語族あるいは日琉語族と呼ばれる。

一方、日本語の一方言とする立場からは、「琉球方言」または「南島方言」と呼ばれ、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大きく分類できる、
とする。

琉球語(琉球方言)と日本語の間には、母音・子音に一定の対応関係がある。

短母音では、日本語の/o/は、琉球語(琉球方言)圏全域で/u/になっており、
また喜界島南部や沖永良部島、与論島、沖縄諸島、八重山列島の一部、与那国島では/e/は/i/になり3つの短母音を持つ。

奄美大島・徳之島・喜界島北部では、日本語の/e/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。
宮古列島や八重山列島(与那国島除く)では、日本語の/e/が/i/になる一方で
日本語の/i/は中舌母音/ï/になり4つの短母音を持つ。

また、連母音が変化した/eː/や/oː/が与那国島を除くほとんどの地域にある。

次に、日本語と琉球語(琉球方言)諸方言の間の母音の対応関係を示す
969投稿者:2  投稿日:2019年11月01日(金) 11時30分29秒
琉球人は九州以北の本土の住民とは同じ祖先をもつことが最近の遺伝子の研究で明らかになっている。
また、中国南部及び東南アジアの集団とは地理的には近く昔から活発な交易がおこなわれていたため九州以北の日本本土住民と違いその影響があったと考えられていたが、
遺伝子の研究から中国や台湾の集団とはかなり離れていることが判明している。

九州以北の日本本土住民との近縁性と共にそれを介して北海道のアイヌ民族との近縁性も指摘されている。
父系遺伝子Y染色体ハプログループD1a2を持つのは世界で本土日本、アイヌ民族、沖縄だけであり、お隣の台湾や中国、韓国には全く見られない。
むしろ中国、台湾とは非常に離れている。

世界的にも珍しいY染色体ハプログループD1a2系統を日本人では30%〜40%、アイヌでは90%、沖縄本島では50%もの人が所持しており、
日本本土との関係は切っても切り離せない。高宮広士が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるために、
10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、
考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測され、
それまで居住していた奄美・沖縄諸島と先島諸島の2グループの先住民に取って代わったと考えられている。

これらのことから九州以北とは遺伝的・人類学的にみても明瞭な境界線を引くことは難しい。
970投稿者:1  投稿日:2019年11月01日(金) 18時52分09秒

首里城は幕府と薩摩が建設し、日本政府が再建した

戦前の首里城は1700年代に薩摩が建設したので、城というより大きな寺の形をしている

初期の首里城の様子は分かっていない
10月31日に焼失した首里城は過去に4回焼失し(今回で5度目)、記録に残っている5つ目の首里城でした。
5つの首里城の大半は幕府や薩摩の支援で建設するか、日本政府が保存したり再建したものでした。
一度目の焼失は1453年(享徳2年)で日本は室町時代後期、琉球の王位をめぐる内乱で首里城が戦場になった。

最初の首里城の建物は記録に残っていないが、その性格からかなり小さな建物だったのではないかと想像します。
首里城は山そのものが防御陣地で周囲を石垣で囲った形態で、木造建築物は戦時には役に立たない。
これは戦国時代から江戸期の日本の城も同様で、天守閣は権威を示すためや、せいぜい平時の「県庁」のようなものでした。

一度目の焼失後に再建された首里城を朝鮮の使者が目撃し、史書に記録が残されました。
内城は2層3階建てで王が居住し、侍女が100余人もいて3階は宝物庫、1階は宴会場だったと記録されています。
当時の3階建てなので面積は広くてもあまり高さは無く、その後の首里城よりは小ぶりだったでしょう。

二度目の焼失は1660年(万治3年)で日本は徳川幕府の江戸時代前期で薩摩の琉球侵攻の後でした。
再建は薩摩と幕府が支援し日本の寺社風の建物になり、瓦屋根になったのもこの時でした。
この頃琉球には大きな木造建築をつくる木材が不足したので、材料も九州や本土から集められた。



江戸以降の首里城は日本の木材で作られていた

3つ目の首里城の瓦屋根は黒い色で、奈良や京都の寺社に近い様式だったと考えられます。
三度目の焼失は1709年(宝永6年)、日本は江戸時代中期で琉球は財政破綻していて再建する力はありませんでした。
この頃の琉球は薩摩と幕府の支援で支えられていて、琉球の木材も枯渇していたので薩摩から木を運んで建設した。

薩摩の琉球支配で人口が増えたので、燃料となる薪を得るため住民が木を伐採したため木が無かったのです。
特徴的な赤い瓦屋根はデザイン上の理由ではなく、瓦を焼く燃料の木材が無かったので、低い温度で焼くと赤く脆い瓦になる。

4つめの首里城は薩摩から4万本もの木材を運んで建設し、薩摩は代金を受け取っていない。

江戸期の木材は現在の10倍以上もの価値があり、城を作るほどの木材はさらに高価なものだったでしょう。
この時再建された首里城は昭和20年まで存在し、戦後に再建した時も薩摩が再建したものを再現したものです。

昭和20年(1945年)には沖縄戦で米軍艦の砲撃を受けて4度目の焼失、米軍による焦土化作戦で沖縄全体が廃墟になった。
1972年(昭和47年)に沖縄が本土復帰し、日本政府は沖縄領有を正当化するため、沖縄への投資を始めた。

当時中国と台湾が対立し両方の中国は沖縄の領有権を主張するなどしたため、日本は沖縄を重視し積極的に予算配分しました。
首里城などの史跡再建もその一つで、1970年代から復興が始まり1989年(平成元年)に首里城再建が始まった。


1992年(平成4年)に5つ目の首里城が完成し首里城公園として開園し現在に至っている。

2019年10月31日に5度目の焼失があり、正殿など中心部の建物の多くがなくなりました。
971投稿者:2  投稿日:2019年11月01日(金) 18時52分56秒
琉球を支えた徳川幕府と薩摩藩

戦後沖縄を領土にせんとする共産中国が目を付け、大学やメディアを通じて破壊工作をしかけてきました。
日本と沖縄を離反させて引き裂き、独立運動や暴動を起こさせたのち、中国軍が沖縄を乗っ取るという戦略です。
日本に対してはあらゆる事が悪事とされ、中国に対しては対等な関係だったとか父親のような存在だと教えた。

琉球は中国の冊封に入っていて、冊封とは入った時点で国として消滅し、王が皇帝の家来になる事です。
皇帝は王から貢物を貰ったり搾取するだけで、間違っても「対等な関係」ではありません。
琉球は中国に朝貢するが皇帝からは僅かな返礼しかなく、要するに「みかじめ料」と同じで貿易ではありません。

琉球は八重山地震などで壊滅し朝貢する贈り物を用意できないので、幕府や薩摩からの援助物資を横流ししました。
幕府は怒って琉球に援助物資横流しを辞めるよう要請するが、薩摩や清との複雑な関係もあって幕末まで続けられた。
中国皇帝から琉球には返礼などはなく一方的に搾取しただけで、琉球から皇帝への朝貢品は幕府が払っていたのです。

1660年、江戸初期の焼失は1609年の薩摩侵攻の後だったので、首里城は日本風の大きな建物になり再建は薩摩藩が支援した。
1709年にまた焼失しこの時は全面的に薩摩が支援し4万本の木材を無償援助し、今日まで写真が残る巨大な建物になった。
1771年には八重山地震があり琉球は破綻し貧困にあえぎ、また薩摩と幕府が支援して支えました。
琉球が大陸やアジアとの貿易で栄えたのは江戸時代より前で、江戸期にはもうそんな時代は終わっていました。
972投稿者:2  投稿日:2019年11月01日(金) 19時51分38秒
飢餓の琉球を幕府と薩摩が助けていた

幕府は薩摩に目を光らせていたので、琉球に常時滞在している薩摩藩士はせいぜい数十人の文官で、軍事支配はしていません。

ですから沖縄の学者らがいうような「刀を持った薩摩武士が領民を弾圧していた」ような事は作り話です。

琉球は明や清と薩摩の両方と交易を行えるようになり、微妙な立場ながら250年間半独立国のようになった。


これが琉球国の実態で、名目上は中国の一部、実態としては薩摩と明清の両方に従いバランスを取っていました。

薩摩と幕府が琉球から過酷な年貢を徴収したり、明や清から助けてもらったというのも作り話です。

朝貢とは中国の地方役人が皇帝に献上するもので、皇帝から琉球に何かが送られたという物証はありません。


琉球には農地が無く常に飢えていたので、薩摩と幕府は労働者や兵士や食料や物品を送って援助していました。

これをまた沖縄の教授や学者らは「幕府と薩摩が兵隊を送り込んで領民を弾圧した」と嘘をつくのです。

どこまで根性がひねくれたらそういう事を言えるのか分かりませんが、飢餓状態の琉球人の窮状を見かねて、幕府と薩摩が助けたのが事実です。


1771年の八重山地震で壊滅した琉球を幕府と薩摩が助けたが、沖縄は「薩摩と幕府が搾取したため困窮した」と書き換えた。
973投稿者:2  投稿日:2019年11月02日(土) 10時40分55秒
特番『チュチェ思想の恐怖、脱北者の実態とは・・』
ゲスト:ジャーナリスト 篠原常一郎氏 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H6GghtEaBNU

2019/11/01 に公開


篠原常一郎ほ現在でも

アイヌは13世紀にモンゴルに追われて大陸から北海道に逃げて来た
アイヌは考古学でも遺伝学でも先住民ではないことが明らかになっている

というデマを拡散してるね

アイヌ文化を守るには法律的・政治的な対処法を良く知っている組織に助けてもらうのは当然だ
人がいいアイヌ人だけで和人と互角に戦って正当な権利を勝ち取れる訳ないだろ
974投稿者:2  投稿日:2019年11月02日(土) 14時06分08秒
縄文語はアイヌ語だから、アイヌ人は先住民で日本人に迫害されて北海道に追われたんだ

『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社) 斎藤成也 (著)

縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。

ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。

「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。

「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。
沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」

要するに、日本人は縄文人の子孫とは言えない。
アイヌと琉球人は縄文人の直系の子孫で日本の先住民だった
975投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 08時20分57秒

どちらにしろ

縄文語=アイヌ語

は動かないから、アイヌは先住民の子孫だろ


琉球語=日本語の方言

だから、沖縄では10世紀の段階で九州の日本人が縄文系の先住民を迫害して日本文化を押し付けたんだ

アイヌ人は20世紀までは先住民のままだったが、明治以降に和人に迫害されてアイヌ語とアイヌ文化を滅ぼされた
976投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 08時25分21秒
縄文時代から続くアイヌ語と縄文的な文化伝統を守るには、

北海道をアイヌ人に返還して、アイヌ語を公用語とする民族国家を作らせるしかないんだよ
977投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 08時42分42秒

現在でも自称アイヌ人の遺伝子は先住民時代と変わらない

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系



沖縄先住民は10世紀の段階で既に日本人に征服・レイプされまくって、言葉も日本語の方言の琉球語に変わってしまった

現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2*--45.1% : 縄文系
O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---18.9%(旧表記O3):漢民族系
C2----1.5% :縄文系
C1----6.8% :縄文系
O1b1--0.8%(旧表記O2a)
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-1.htm



現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された、四川省の焼畑農耕民の可能性が高い
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
978投稿者:4  投稿日:2019年11月03日(日) 11時19分48秒
日本は19世紀に北海道を支配下に置き、植民地化した。日本人による開拓を進める一方で、アイヌを「旧土人」と位置付けて同化を強制した。

2017年の調査では、北海道全体でアイヌの人口は約1万3000人だが、実際はこれよりずっと多いと推定されている。名乗りを上げることを恐れる人や、国内の別の場所に移り住んだ人が多いためだ。

アイヌの大学進学率は他に比べて大幅に低いほか、世帯収入も格段に低い。

北海道大学文化人類学者の石原真衣氏は、社会がこれまでも現在も、アイヌを受け入れていないと指摘する。自分の子どもにもアイヌのルーツを告げない人が今も多いという。

石原氏は12歳の時、母方の祖母がアイヌだったことを知った。自らのルーツから切り離されたアイヌのことを、石原氏は「サイレント・アイヌ」と呼ぶ。
979投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 17時09分36秒

蝦夷はアイヌ語を話していた
東北のマタギの言葉もアイヌ語
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある

アイヌ語=縄文語

は確定してるんだよ
980投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 17時11分17秒
7世紀の蝦夷(エミシ)はアイヌ語を話していた
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある

アイヌ語=縄文語

は確定してるんだよ
981投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 19時30分29秒
アイヌ語はニブフ語と全く違うよ

オホーツク人=ニブフ人

だからアイヌ語はオホーツク人の言語じゃない
古代日本語の語彙と共通する言葉が多いから日本語との関係は縄文時代まで遡る
982投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 19時33分27秒
アイヌの聖山の名前 モイワ山は東北ではモワ山、畿内では三輪山に変わるから

モイワ山が本来の言葉だ

縄文語ではモイワ山だったんだよ
983投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 19時46分36秒
神も語源はアイヌ語のカムイだろ

藤村久和
アイヌ語で神あるいは霊をあらわす言葉,カムイ,ピト,ラマト,タマ,イノツ,クルの6語が,日
本古代における同じ種類の言葉,カミあるいはカム,ヒト,ラマ,タマ,イノチ,クルなどと同じ発音と同じ意味をもつ
984投稿者:2  投稿日:2019年11月03日(日) 19時56分00秒
アイヌ文化=オホーツク文化

なら

戦後の日本文化=アメリカ文化
エスキモー文化=アメリカ文化
ハワイ文化=アメリカ文化

戦後のウイグル文化=漢民族の文化
戦後のチベット文化=漢民族の文化

になるだろ
985投稿者:2  投稿日:2019年11月04日(月) 08時43分45秒
アイヌ文化=アムール川のツングース文化

だとしたら、アイヌの神の名前もツングース語でないとおかしいだろ
何故、ツングース語の名前でなくて和人の神の名前に変わるんだ?
986投稿者:2  投稿日:2019年11月04日(月) 15時32分23秒
日本は19世紀に北海道を支配下に置き、植民地化した。日本人による開拓を進める一方で、アイヌを「旧土人」と位置付けて同化を強制した。
2017年の調査では、北海道全体でアイヌの人口は約1万3000人だが、実際はこれよりずっと多いと推定されている。名乗りを上げることを恐れる人や、国内の別の場所に移り住んだ人が多いためだ。
アイヌの大学進学率は他に比べて大幅に低いほか、世帯収入も格段に低い。
北海道大学文化人類学者の石原真衣氏は、社会がこれまでも現在も、アイヌを受け入れていないと指摘する。
自分の子どもにもアイヌのルーツを告げない人が今も多いという。

もうアイヌ語が滅びる前に北海道をアイヌに返して、アイヌ語を公用語とする民族国家を作らせるしかないだろ
987投稿者:2  投稿日:2019年11月04日(月) 15時33分44秒
アイヌ人は人が好過ぎて自分では権利の主張なんかできないからチュチェ思想家が助けてるだけだろ
988投稿者:2  投稿日:2019年11月04日(月) 15時37分31秒
北海道はアイヌの領土なんだから、政治をどうするかはアイヌ人が決める事だ

チュチェ思想がいいと思ったらそれで行けばいい

日本人が口出しする事じゃないだろ

民族自決が正しい
989投稿者:2  投稿日:2019年11月04日(月) 15時49分53秒

チュチェ思想 はどうでもいい

アイヌが独立国家を作るのを助けてくれるなら、アイヌ文化が滅ぼされる前に手を組むのが得策だ



まず北海道の小中学校の授業と役所の公務はアイヌ語でやる様にしないといけないな

和人がアイヌ語を公用語にするのは嫌だと言うなら内地に帰ればいいんだ
990投稿者:2  投稿日:2019年11月08日(金) 16時00分49秒
九州縄文時代の焼畑農耕と照葉樹林文化は四川省の文化だろ

鬼界カルデラの破局的噴火前の九州ではアイヌ語が話されていた
噴火後に日本語に変わったんだから、九州の縄文時代人自体が北方系から南方系に変わったんだ
991投稿者:2  投稿日:2019年11月08日(金) 17時17分59秒

縄文人のゲノムの12%が本土日本人に伝わっているというのは縄文の男は全員殺されて、若い女はレイプされまくってハーフの子供が沢山生まれたという事だ

ネアンデルタール人の遺伝子も 5% が日本人に伝わっている

しかし、日本人がネアンデルタール人の子孫だとは言わないだろ
992投稿者:4  投稿日:2019年11月09日(土) 10時33分40秒
瀬川拓郎「アイヌ文化と縄文文化に関係はあるか」P85〜102

 北海道は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。

アイヌ文化は考古学的にそれ以前の文化とは大きく異なるのですが、研究の進展に伴い、連続的な変化が確認されつつあります。
なお本論考は、考古学的文化に民族名を冠することは問題だとして、アイヌ文化ではなくニブタニ文化と呼ぶよう、提唱しています。

本論考は、アイヌ文化に見られる縄文文化の要素として、イレズミ・モガリ・動物祭儀などを挙げています。
北海道の動物祭儀に関しては、すでに縄文時代において、自然には生息しないイノシシを本州から連れてきて屠殺し、
共食していた可能性が指摘されています。これは、縄文時代の本州にも見られる祭儀でした。

本論考は、日本列島において縄文文化が色濃く残るのは、本州・四国・九州を中心とする「本土」ではなく、アイヌ側だと指摘しています。
993投稿者:2  投稿日:2019年11月09日(土) 16時15分18秒
アイヌは4世紀に仙台まで南下して、関東から北上してきた大和朝廷と対立してたんだよ

それが記紀に出て来る蝦夷だ

アイヌが負けて北海道まで追い返された

だからアイヌは先住民に決まってるだろ
994投稿者:2  投稿日:2019年11月09日(土) 17時25分29秒

江南には無数の民族がいたから、そのどれが日本に渡って来たかで 遺伝子も全然違うだろ



四川省に日本人と同じ祖先を持つという伝承のある日本語がわかる民族がいるしね
995投稿者:2  投稿日:2019年11月11日(月) 00時12分07秒
縄文時代の区分

草創期(約1万6,000 - 1万2,000年前)
早期(約1万2,000 - 7,000年前)
前期(約7,000 - 5,500年前)
中期(約5,500 - 4,500年前)
後期(約4,500 - 3,300年前)
晩期(約3,300 - 2,800年前)

縄文時代前期までは寒冷で九州以外は人が住めなかった。しかし、その九州縄文文化は壊滅した:

鬼界カルデラの破局的噴火は、約 7,300 年前に生じた。時代は既に縄文時代中期で、最も温暖化した時代である。

 噴煙柱は高度3万メートルまで立ち昇り、それが崩壊した火砕流は、四方の海面を走り、100 キロ離れた薩摩半島にまで達した。
むろん、西の種子島、屋久島なども火砕流に焼き尽くされた。

 火山灰は南九州一帯の地層に 60 センチ、大分県で 50 センチの厚さで残っているが、通称「アカホヤ」と呼ばれる。
鬼界カルデラ火山灰は、数メートルも降り積もって九州や四国の縄文人を死滅させた。
996投稿者:2  投稿日:2019年11月11日(月) 00時18分19秒
旧石器時代の遺跡数
北海道…667
東北…432
沖縄除く九州…1636
沖縄…12

海道東北の広い範囲の遺跡数合計しても面積ではるかに劣る九州に負ける

おまけに日本における旧石器時代は2万年近くある
旧石器時代の北海道・東北日本の人口密度はスッカスカで殆ど無人

熊本にある遺跡数だけで全国の1/3を占める
旧石器時代に南方ルートや樺太ルートで日本に入ってきた人間はそんなにいなかった
結局旧石器時代人も弥生時代以降の渡来人と同じように大陸からやってきた集団の末裔である

旧石器時代日本海が湖だった頃、対馬暖流が存在しないため大陸東岸性気候となる東北日本は非常に寒冷であり生存に適さなかった
また対馬暖流という分流が存在しないため黒潮が現在より大きく蛇行しており南方からの流入も不可能

おまけに当時の津軽海峡は幅が大きく航海民でない限り渡ることも不可能
北方には航海民が存在しないため北海道からの流入は限定的で、東北の旧石器遺跡数が低調なのがそれを示している
何かのはずみで海峡が結氷した時にわずかに侵入してくる程度であったと思われる

一方の対馬海峡はアマゾン川くらいの川幅で航海民でなくとも渡ることは可能
そして陸路でスンダランドから沿岸部を北上東進した航海民が朝鮮(当時は大陸の一部)→九州ルートで入ってくる
997投稿者:2  投稿日:2019年11月11日(月) 06時46分55秒
縄文時代人はアイヌ語を話す本物の縄文人と日本語を話す南方系民族と二種類あるのは定説だ
九州の縄文時代人がすでに混血だというのはわかっている:


縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明 米山正寛 2019年7月23日

 弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、
実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが
人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした

 九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、
鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、
そして、西北九州弥生人だ。

渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、
西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。

 今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に
核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。
縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。

そもそも
縄文人・アイヌ人は D1b2b
西北九州弥生人・現代日本人は D1b1
ハブロタイプが全然違うから西北九州弥生人・現代日本人は縄文人・アイヌ人とは別人種だよ
西北九州弥生人は日本語を話し、二重瞼、寒冷地適応していない
998投稿者:2  投稿日:2019年11月15日(金) 09時28分48秒
九州や島根や東北にはアイヌ語地名が沢山残っている
青森には明治時代にもアイヌ部落が幾つもあった。
津軽半島の現在の住民の遺伝子はアイヌに近い

つまり、日本人が九州や島根や東北に移民してくる前には、そこにアイヌ語を話す民族が先住していたんだ

従って、アイヌ人は先住民で間違いない
999投稿者:2  投稿日:2019年11月15日(金) 22時54分04秒
因みに、天皇一族はソウル出身の漢民族で、神武東征は3世紀代の可能性が高い天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない日本人(縄文人、弥生人、アイヌ人、琉球人)は漢民族と混血していない限りは全員二重瞼です天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、
昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事(註:大嘗祭)のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。と答えられたと。
三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、
もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。
現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の
小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である
ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、
そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。この話はあるメディアに流れました。
1000投稿者:2  投稿日:2019年11月15日(金) 22時54分40秒
記紀に残されている7世紀の蝦夷(エミシ)の言葉はアイヌ語
現代の東北のマタギの言葉もアイヌ語
島根や九州にはアイヌ語地名が沢山ある 神の語源はアイヌ語のカムイでしょう

藤村久和
アイヌ語で神あるいは霊をあらわす言葉,カムイ,ピト,ラマト,タマ,イノツ,クルの6語が,日
本古代における同じ種類の言葉,カミあるいはカム,ヒト,ラマ,タマ,イノチ,クルなどと同じ発音と同じ意味をもつ 従って、 アイヌ語=縄文語 の可能性が高い、アイヌの聖山の名前 モイワ山は東北ではモワ山、奈良県では三輪山に変わるから
モイワ山が本来の名称

縄文語ではモイワ山だったんですね。 九州や島根で沢山見つかっているアイヌ語地名は縄文時代の名称をそのまま使っているのですね。


『核DNA解析でたどる日本人の源流』(河出書房新社) 斎藤成也 (著)

縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。

ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。

「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。

「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。
沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」

要するに、日本人は縄文人の子孫とは言えない。
アイヌと琉球人は縄文人の直系の子孫で日本の先住民だった
1001投稿者:堂本  投稿日:時空の歪
最大レス数に達しましたのでこれ以上書き込めません(´ー`)y-~~。
次のスレッドへ移行して下さい。
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