天皇 [本/雑誌]
603投稿者:2  投稿日:2018年12月11日(火) 00時21分05秒
縄文遺跡の保存も政教分離に違反するだろ
文化財はすべて政教分離に違反するから、全廃棄になるな
604投稿者:2  投稿日:2018年12月11日(火) 16時36分53秒
菊のタブーに触れると命が無いよ

世間の噂

秋篠宮文仁  

みなさんこんにちは 

もう皆さんお気づきでしょうが、僕は今上天皇の息子ではありません
(顔立ちを見てもらえば一目瞭然だと思います)

その事で、父や兄や妹から随分ひどい虐めを受けました。
僕の父親は一体誰なんでしょう?(母は頑として口を割りません)
皆さんも一緒に探してください


_____


「万世一系」  秋篠宮様の種は誰ですか?  美智子妃殿下様
https://www.youtube.com/watch?v=E4g5y1qq4Tw

[不倫]の美智子 「日本の皇室はイイカゲン」
https://www.youtube.com/watch?v=B1EbVre0prI

美智子の不倫  33333    美智子妃殿下
https://www.youtube.com/watch?v=0UikfbuWxg8

美智子妃殿下の「不倫と出産」
https://www.youtube.com/watch?v=pR7JHtPkKfk

美智子のおもてな し「趣味と実益」
https://www.youtube.com/watch?v=nYs_iBmyL6s

美智子皇后様の「不倫・出産・悪事・電動こけし事件」
https://www.youtube.com/watch?v=k_bXPvuWGzQ

80歳まで14年間侍従長を務めた「入江侍従長」
https://www.youtube.com/watch?v=MUqRHN9KV6k

「侍従長と美智子妃殿下」と どっちから誘ったの?
https://www.youtube.com/watch?v=jfLWtOZEj7w
605投稿者:2  投稿日:2018年12月11日(火) 18時32分20秒

漢民族というのは漢字をコミュニケーションの手段としている民族の事だ

遺伝子が一つではない、言葉も文化も沢山ある

どの漢民族かを指定しないと生活用具も文化も言葉も遺伝子も一つには決まらない
606投稿者:2  投稿日:2018年12月11日(火) 18時48分57秒

漢民族と朝鮮の土人女の混血も漢民族だけど、生活様式は朝鮮人と同じになる
607投稿者:2  投稿日:2018年12月11日(火) 20時25分44秒
>渡来時に伝わった長江江南系言語の単語は?



稲作関係の語彙はすべて長江から来たんだ

インドのタミール語と日本語とで稲作関係の語彙が共通しているのは、どちらも長江の言葉だったからさ
608投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 09時49分53秒
中国鏡を太陽神として崇拝している漢民族系朝鮮人が作った伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm


高天原故地碑(たかまがはらこちひ)は、大韓民国慶尚北道高霊郡の加耶大学校内にある石碑。日本神話の天津神が住む高天原は、ここであると記されている。

慶尚北道 高霊郡 地図
https://map.konest.com/daddr/4783034032

高天原は実在の地域を反映しているとする説は古くから存在し、第二次大戦後は主としてアマチュア研究家によって
朝鮮半島説も唱えられることがあった。当初その比定地とされたのは、
戦前から一部の研究家によってスサノオが立ち寄ったという新羅のソシモリの候補とされた、『冬のソナタ』のロケ地として知られる江原道春川市であって、慶尚北道高霊郡ではなかった。
春川に代わって名乗りをあげたのが高霊郡であった。加耶大学校の李慶煕総長がこの説の主唱者で、
1999年6月28日に「高天原故地」と記された石碑が建立された。

李慶煕総長によると
高皇産霊尊は、高と霊の字が含まれるので、高霊郡で誕生した[1]。
東国與地勝覧に書かれている伽耶の天神夷毗訶の次男伊珍阿豉(イジンアシ)はイザナミと発音が似ている。
そのため、伊珍阿豉はイザナミである。
任那の任は現代の韓国語で「主人」「母」を意味する。そのため、任那は『主人の国』や『母なる国』を意味する。
高千穂の添山(そおりやま)は韓国の首都ソウルと発音が似ている。そのため、添山はソウルを指す。

これらの主張は、2001年に訪韓した筑波大学の馬渕和夫名誉教授らの賛同を得ている。
このとき、馬渕教授は李総長の主催する学会で「朝鮮民族が日本を征服し大和王朝を建てた」と発表している[2]。
609投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 10時11分32秒
日本は多民族国家で
陸稲は焼き畑農耕と一緒に縄文中期に長江から九州に伝わった
水田は弥生初期に長江から北九州に伝わった

弥生人は長江からの少数の移民が縄文人が混血してできた

弥生時代後期から昭和までずっと連続して朝鮮から漢民族系渡来人が流入し続けた

宗教は

縄文人は蛇信仰
長江人は鳥信仰
朝鮮からの漢民族系渡来人は中国鏡を神体とする太陽信仰

____


稲の来た道論争
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku368.htm

稲作の渡来(稲作はどこから来たか?)
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku359.htm

4.呉の国と日本・稲作の渡来
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku358.htm#04

縄文時代に長江から九州に伝えられた照葉樹林帯文化
https://dankai.akimasa21.net/east-asian-evergreen-forest-culture/

遡る縄文稲作の年代
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_01jyoumonninasaku.html

長江人が移住して作った吉野ヶ里遺跡の鳥居
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html

漢民族系朝鮮人が作った魏志倭人伝の伊都国と邪馬台国
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
610投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 10時12分02秒
畿内の縄文人を民族浄化した天皇一族はソウルの近くから日本に移住して来た漢民族です。
ソウルの近くに、中国鏡を太陽神として崇拝している漢民族の村があって
そこが天皇家の出身地だと言われています:


天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html
611投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 16時51分25秒
畿内の縄文人を民族浄化した天皇一族はソウルの近くから日本に移住して来た漢民族です。
ソウルの近くに、中国鏡を太陽神として崇拝している漢民族の村があって
そこが天皇家の出身地だと言われています。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、
天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、
それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。
612投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 17時23分21秒
畿内から弥生末期の朝鮮の建物が沢山見つかっているだろ

神武東征の時期と一致する
613投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 19時04分41秒
九州の弥生墳墓や竪穴式石室、積石塚は朝鮮のものだ

漢民族が故郷の墓式をそのまま使ったんだ

中国鏡も大量に持って居るのは漢民族だけだ
614投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 19時09分13秒
横穴式石室も朝鮮のを流用してるだろ

高松塚の壁画も百済の描き方や衣装だろ
615投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 20時16分47秒
>弥生人は朝鮮土器も楽浪帯方土器も作ってないんで。


弥生人は少数の長江の男が縄文女に産ませた子供の子孫で鳥信仰、蛇信仰

朝鮮からの渡来人は漢民族で太陽信仰

全く違う民族なんだよ
616投稿者:2  投稿日:2018年12月13日(木) 21時28分52秒
皇室は弥生時代からずっと漢文を書いてたんだよ

漢民族でなければ漢文は書けない
617投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 08時56分14秒
長江からの移民はすぐに縄文女を現地妻にして、その混血児の子孫が弥生人になった

縄文人のmtDNA解析数も蓄積されて、地域差が見えてくるようになりました。
琉球列島を含む関西以西ではM7aが卓越するのにたいして、北海道・東北ではN9bが多数を占めています。
また、サブグループまで分類すると、関西以西と東北・北海道では、M7aでもそれぞれ異なるグループが分布しています。
そのため本書では、地域間の人的交流が広範囲に及ぶものではなかったかもしれない、と指摘されています。
もっとも、後述するように、遺伝的交流は盛んではなくとも、交易などによる文化的交流はある程度以上活発だった可能性もじゅうぶんあるとは思います。

 また、現代日本人では、N9bが2%程度で、7%程度存在するM7aも、縄文時代の関西以西のサブグループで大半を占めることから、
現代日本人に継承されている縄文人のDNAは、おもに西日本の縄文人に由来するのかもしれません。
そうだとすると、弥生時代最初期にユーラシア大陸から九州北部に渡来した集団が在地の縄文人と混合し、東進していったために、
現代日本人に占める縄文人の遺伝的影響は、西日本系の方が東日本系より高くなったのかもしれない、
と本書は推測しています。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html
618投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 09時03分10秒
弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江系、後期は朝鮮系で、別民族だった。 天皇一族は朝鮮系ね:

弥生時代後期の弥生人骨は大半が朝鮮からの渡来系だった 2018年11月18日
https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20181117-OYTNT50025.html


 鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代後期の人骨について、
県埋蔵文化財センターや国立科学博物館などが実施している
DNA分析調査の中間報告会が17日、同町の市青谷町総合支所で開かれた。
大半の人骨のルーツが大陸からの渡来系だった。

 遺跡からはこれまでに約5300点の人骨が出土。
調査では、頭蓋骨約40点から微量の骨を削り取り、DNA分析を行っている。

 篠田副館長によると、九州北部の遺跡から出土した弥生前期の人骨の分析では、
在来の縄文系と渡来系の遺伝子が見つかった。当時の人が両方の祖先を持っていたことを示しており、
青谷上寺地遺跡の人骨についても、両方の遺伝子が検出されると予想していたという。

しかし、今回DNAを抽出した人骨32点のうち、31点が朝鮮からの渡来系で、縄文系は1点だけ。
DNAの型は29種類に分かれ、血縁関係がほとんどないことも分かった。

 青谷は遺跡の発掘調査から、朝鮮などとの交易拠点だったと考えられており、
分析からも、朝鮮から多くの渡来人が入ってきて、交易で栄えていたことがうかがえるという。

また、従来の研究では、稲作の普及や定住生活の広がりに伴って弥生後期には日本人の中に
渡来系と縄文系が交ざっていたと考えられていた。しかし、今回の調査結果は定説に当てはまらず、
篠田副館長は「これまでの説について発展的に考える契機になる」と述べた。
619投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 09時47分52秒
これが歴史学会の定説だそうだ

陸稲は焼き畑農耕と一緒に縄文中期に長江から九州に伝わった
水田は弥生初期に長江から北九州に伝わった
天皇一族は朝鮮での権力闘争に敗れてソウルから北九州に移住した



稲の来た道論争
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku368.htm

稲作の渡来(稲作はどこから来たか?)
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku359.htm

4.呉の国と日本・稲作の渡来
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku358.htm#04

縄文時代に長江から九州に伝えられた照葉樹林帯文化
https://dankai.akimasa21.net/east-asian-evergreen-forest-culture/

遡る縄文稲作の年代
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_01jyoumonninasaku.html

長江人が九州に移住して作った吉野ヶ里遺跡の鳥居と鳥信仰
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html

朝鮮を追われた天皇家が日本に移住して作った魏志倭人伝の伊都国・邪馬台国での鏡信仰
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
620投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 09時59分14秒

824名無しさん@お腹いっぱい。2018/12/14(金) 09:58:24.88ID:PMDcXVzm

中国鏡を神体とする太陽信仰もつ朝鮮からの渡来人集団の拠点 籠神社

 京都府の丹後(かつての丹波)地方は、天女伝説や浦島伝説で知られる。近年、古代海部(あまべ)氏の系図が公表されたり、
考古学的にも注目すべき遺物が出るなど、漁労や航海を生業とした海人集団による独自の歴史性が明らかにされつつある。
 丹後半島の東側、日本三景の一つ「天の橋立」の付け根に、「元伊勢」といわれる籠 (この)神社が鎮座する。
祭神はホアカリノミコト(火明命)で、丹波国造が祖神として祭った。

 籠神社の宮司家は海部直といい、宮司家が長く秘蔵してきた二つの系図、通称「海部氏系図」「勘注系図」は、
現存する最古の系図として、昭和五十一年に国宝に指定された。
 これら系図によれば、海部直氏の始祖、ホアカリノミコトをオシホミミの第三子とする。

 オシホミミは『古事記』によれば、天照大神の子である。
一方、『新撰姓氏録』(九世紀成立)によれば、ホアカリノミコトは愛知県の濃尾平野に勢力を築いた雄族・尾張氏の祖神である。

 籠神社にはまた、二枚の中国製の銅鏡も伝えられてきた。
それぞれ前漢時代、後漢時代のもので、系図中にも「息津鏡」(おきつかがみ)「辺津鏡」(へつかがみ)と記されている
昭和六十二年に初めて公表され、弥生時代に招来されて以来、二千年にわたって伝世されたということで、大きな反響をよんだ。
息は沖、辺は岸辺のことで、航海の安全に呪力をもつ鏡として祭られたものだ。

 銅鏡といえば、平成六年には、竹野郡弥栄町の墳墓から、邪馬台国の卑弥呼の晩年に相当する
「青龍三年」(紀元二三五年)の年号がある銅鏡が発見され、卑弥呼とのかかわりも取り沙汰された。
 弥生時代の近畿地方には、銅鏡文化はほとんどなく、丹後の特殊性がうかがわれる。太陽信仰をもっていた海人集団の幅広い活動を示すといえよう。

 ホアカリノミコトは太陽神で、各地に鎮座するアマテル(天照)神社の祭神である。
神話学の松前健氏は、もともとあった「アマテル」という神が、その格があげられて皇祖神である「アマテラス」となったのだと説く(『日本神話の形成』)。
 当時の海人集団の習俗をパノラマ的に描いたらしい土器がある。
鳥取県西伯郡淀江町から出土した壷(弥生時代中期後半)だ。
神殿建築のような高床式の建物があり、その右側の船には、鳥の装束の人物が乗っており、
船の上には太陽らしい渦巻き(同心円)紋がある。

 さらに、左側の木には、瓜のようなものが二つぶら下がっている。
金関恕・天理大教授 によれば、銅鐸であるという。千田稔・国際日本文化研究センター教授は、
このパノラマ図について銅鐸をともなった弥生時代の太陽信仰を描いたものとし、アマテル信仰の源流とみている。


息津鏡=籠神社・海部宮司家所蔵
621投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 10時03分45秒
籠神社の系図には、なんと邪馬台国の女王、卑弥呼と思われる名前が記されています。
最近、卑弥呼の墓の最有力候補として注目されている奈良県・纏向遺跡にある箸墓古墳、
その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名が載っているのです。
 系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、
「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、
「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。
 「日神」とは、すごい呼び方です。太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。
なんとなく卑弥呼を思わせるといってもいいでしょう。
 それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、
「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致します。
宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。

 どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、
彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。
 この系図は、5世紀に丹波国造となった海部氏が、籠神社の神主となって代々伝えてきたものです。
主祭神の彦火明命を丹波国造の祖として、以後、今日まで海部氏が代々続いており、現在は82代目の海部光彦さんです。

 「海部氏系図」と呼ばれるこの系図には、始祖の彦火明命についての驚くべき伝承も伝えています。
 彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、
いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、やはり天孫として天降っている。
しかも、丹後に天降っているというのです。

 天孫降臨というと、普通、天皇家の祖先のニニギノミコトが九州の日向の高千穂に天降ったといわれますが、
「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、
海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるようです。

 籠神社には、2000年間にわたり伝世されてきた息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)
と呼ばれる秘蔵の鏡も2面あります。
ひとつ(辺津鏡)は、紀元前1世紀後半の前漢鏡(内行花文昭明鏡)、
もうひとつ(息津鏡)は、紀元後1世紀の後漢鏡(長宜子孫内行花文鏡)です。

 前漢鏡の方は、近畿地方では出土例がまったくない貴重なものですし、
後漢鏡の方も、近畿地方では破片で出ることはあっても、完全な形で出土したことはなく、やはり貴重な鏡といえます。

 驚くべき鏡が、代々神社の神宝(かんだから)として伝えられていたわけです。
 では、なぜ卑弥呼の名が籠神社の系図のなかに残っているのでしょうか。それが謎です。
622投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 11時07分47秒
漢民族の天皇一族による民族浄化で生き残った少数の縄文人は被差別部落に押し込められた

2013年12月17日 形質人類学のデータ

エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、東北・裏日本型に属するとみられるが、
近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、全国的な日本人の形質調査の資料を整理した
形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。
したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。
しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が
孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、
部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、
エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099203.html
623投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 11時15分33秒
天皇一族の様な漢民族による民族浄化の手口

・東トルキスタンでは、最大100万人のウイグル人が「再教育」の名目で中国当局により強制収容されている。
遺された幼児たちは「幼稚園」に入れられ、中国人の名前もつけられ、民族も漢民族として登録される。
両親が再教育施設から出られたとしても、自分たちの子供を見つけることもできない。
「幼稚園」の子供たちは、自分が中国人であること、中国共産党へ感謝することを教え込まれる。

・内モンゴル自治区では「浄化政策」がもう進んでしまって、ここ70年で、
人口約2400万のうち、モンゴル人は2割以下になってしまった。経済は中国人に握られ、伝統文化の絶滅が図られている。

・チベットでは、チベット語の学校教育が禁止され、今年になってチベット教の寺院にも共産党員が運営委員として入って監視するようになり、
寺院にも習近平の写真が置かれ、共産党の旗を掲げなければならなくなった。


ウイグルへの弾圧は何度か書いてきましたが、いま中国が行っているのは民族浄化で、ただ浄化するのではなく、ウイグル人を殺して臓器売買のドル箱としているのです。

【閲覧注意】中国政府によるウイグル人虐殺 2016-05-29
https://ameblo.jp/2013kanyon17/entry-12165204118.html
624投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 13時06分25秒
畿内の縄文人と弥生人を民族浄化して絶滅させた天皇一族はソウルの近くから日本に移住して来た漢民族です。
ソウルの近くに、中国鏡を太陽神として崇拝している漢民族の村があって そこが天皇家の出身地だと言われています。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、
天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、
それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。
625投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 13時07分37秒
天皇一族の様な漢民族による民族浄化の手口 _ 2


生きた法輪功学習者の臓器狩り、中国の警察から新たな証言 2009年12月15日
https://www.epochtimes.jp/jp/2009/12/html/d72072.html

われわれ警察の中に変態者は少なくありません。彼女を、カンシや内視鏡などの器具でやっていました。
彼らは一体どこからこのような器具を持ってきたのかは分かりませんが、いずれにして、やったことは全部目撃しました。
悔しいことに、彼女に対する猥褻な行為を写真に撮ることができませんでした。
彼女は美人なので、乱暴されることなどが、実に多かったのです…

証人:当時、彼女は、1週間ほど尋問と凄まじい拷問を受けていたので、体には数え切れないほどの傷がありました。
しかも電気ショックを受けていて、意識朦朧となっていました。物を食べるのを断ったため、私たちは強引に牛乳を彼女の胃に注ぎ入れました。
非常につらい体験でした。彼女の鼻を摘まんで注入しました。こうして生命を維持させていました。
1週間経って、彼女の体重は約7キロ減りました。当時、あのようなことが発生するなど、予想もしませんでした。

 それで、遼寧省警察庁のどの部署からかは分かりませんが、いずれにしても特殊な極秘部門から2人の軍医が派遣されてきました。
1人は、解放軍瀋陽陸軍総医院の軍医で、もう1人は解放軍第二軍医大学を卒業した軍医でした。
具体的には、1人がやや年配で、もう1人は若者でした。彼女をある場所、すなわち精神病院の手術室に入れ、
それからあることを一通りやりました。麻酔など一切使わずに、手術ナイフで胸のところを切り開いていく。
彼らの手はまったく震えることはありませんでした。わたしなら、きっと震えてたまらなかったでしょうが。
わたしは武装警察を務め、銃を持って実弾で演習したこともあるし、多くの死体を見たこともありましたが、
私なら震えるはずです。しかし、軍医の彼らを見て、私は本当に驚きました。
彼らの手はちっとも震えず、マスクをしたままで胸のところを切り開いて行きました。
当時、私たちはみな銃を手にして、傍で警備を担っていました。

切り開かれた瞬間、彼女は突如凄まじい声で叫びました。「法輪大法は素晴らしい!!!」と。
626投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 13時08分00秒
調査員:事件発生の具体的な時間を教えていただけますか。

証人:2002年4月9日でした。

調査員:4月9日でしたね。

証人:そうです。4月9日午後5時から摘出しはじめ、3時間かかりました。

 その後、1ヶ月ほど続きました。

調査員:「1ヶ月ほど続いた」というのは?

証人:続けて(他の学習者に対して)1ヶ月ほど拷問などを行っていました。

 …

調査員:法輪功学習者たちへの拷問は、一度だけやったのですか、それとも数回やったのですか。

証人:多くやりました。当時、王立軍、現在重慶市公安庁長は、「殺し尽くさなければならない」と厳令を下しましたから。
627投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 13時35分48秒
法輪功学習者やウイグル人、満州人、チベット人、モンゴル人同様

漢民族の天皇一族によって鳥信仰の長江系弥生人と蛇信仰の縄文人も民族浄化されてほぼ絶滅

最後に生き残った縄文系は集められてエタ部落民になった
628投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 16時31分28秒

漢民族の天皇一族が弥生人・縄文人連合を滅ぼした手口

中国は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。
もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。
秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。
局地的には朝鮮半島で勝利を得たりしているが、必ず朝鮮の統治者に追い出されています。
ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。
台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。

清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。
清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。
今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。
黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。

この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法
そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。
稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。

漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。
これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。

女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。
チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。
半島に住んでいる朝鮮民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。
台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。

このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。
中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
629投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 17時31分09秒

初代のニニギがソウルから来た漢民族だったんだろ

ニニギ以降はすべて縄文女と結婚してるから縄文の血の方が多いのさ


ニニギ自体も朝鮮女との混血だから漢民族の血は薄いんだ
630投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 17時53分06秒

黄河文明人は元々コーカソイドだからな

漢民族はモンゴロイドと混血したからモンゴロイドの容姿に変わったんだ
631投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 18時25分49秒
縄文女と生活して縄文語で会話してたんだから、過去とは切れてるよ
632投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 21時34分53秒
ソウルから北九州伊都国に移住した天皇一族は更に日向、大和、籠神社の三カ所に天下った

籠神社の系図には、なんと邪馬台国の女王、卑弥呼と思われる名前が記されています。
最近、卑弥呼の墓の最有力候補として注目されている奈良県・纏向遺跡にある箸墓古墳、
その被葬者とされる倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)の名が載っているのです。
 系図によると、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)から9代目の孫のところに、
「日女命(ひめのみこと)」と出てきます。この「日女命」の脇に、「またの名を倭迹迹日百襲姫命」、
「またの名を神大市姫命」、「日神ともいう」などと記されています。
 「日神」とは、すごい呼び方です。太陽神のような扱いを受けた女性ということでしょうか。
なんとなく卑弥呼を思わせるといってもいいでしょう。
 それに、「神大市姫命」の「大市」。これは『日本書紀』のなかで箸墓について、
「倭迹迹日百襲姫が死んで、大市に葬る。時の人はこの墓を名づけて箸墓という」とある記述に完全に一致します。
宮内庁による箸墓の呼び名「倭迹迹日百襲姫の大市墓」の「大市」です。

 どうやら、箸墓に葬られた百襲姫という女性は、丹後の籠神社の系図にある「日女命」と同一人物で、
彼女が卑弥呼であるらしい。つまり、卑弥呼は「日女命」と考えてよいようです。
 この系図は、5世紀に丹波国造となった海部氏が、籠神社の神主となって代々伝えてきたものです。
主祭神の彦火明命を丹波国造の祖として、以後、今日まで海部氏が代々続いており、現在は82代目の海部光彦さんです。

 「海部氏系図」と呼ばれるこの系図には、始祖の彦火明命についての驚くべき伝承も伝えています。
 彦火明命は、「天火明命(あまのほあかりのみこと)」、「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など、
いくつかの名前がありますが、天皇家の祖先と同じ天照大神の孫で、やはり天孫として天降っている。
しかも、丹後に天降っているというのです。

 天孫降臨というと、普通、天皇家の祖先のニニギノミコトが九州の日向の高千穂に天降ったといわれますが、
「海部氏系図」はもうひとつの天孫降臨伝説を伝えており、
海部家と天皇家は同じ天照大神の孫で、兄弟の間柄になるようです。

 籠神社には、2000年間にわたり伝世されてきた息津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)
と呼ばれる秘蔵の鏡も2面あります。
ひとつ(辺津鏡)は、紀元前1世紀後半の前漢鏡(内行花文昭明鏡)、
もうひとつ(息津鏡)は、紀元後1世紀の後漢鏡(長宜子孫内行花文鏡)です。

 前漢鏡の方は、近畿地方では出土例がまったくない貴重なものですし、
後漢鏡の方も、近畿地方では破片で出ることはあっても、完全な形で出土したことはなく、やはり貴重な鏡といえます。

 驚くべき鏡が、代々神社の神宝(かんだから)として伝えられていたわけです。
 では、なぜ卑弥呼の名が籠神社の系図のなかに残っているのでしょうか。それが謎です。
633投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 21時47分34秒
天照大神の墓は北九州伊都国の平原遺跡だった

原田先生の報告書は『平原弥生古墳 大日霊貴の墓』
原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。

「咫(た)」とは円周の長さの単位で、1咫=8寸、直径2.5寸の円周(円周率3.2)とされている。
八咫鏡とは直径2尺、46センチの鏡という事になる。
平原遺跡からは、まさに直径46センチの国内出土最大の鏡が4枚出土している。

「伊勢神宮の八咫(やた)の鏡と平原弥生古墳出土の大鏡は上述のように、寸法、文様ともに食い違ったところを見受けないのである。
これがもし事実だとしたら、平原弥生古墳には大鏡の同型同笵鏡(どうはんきょう)が四面あることから、
はじめは五面を作製したものの一面が伊勢神宮の御神体になっているといわれないことはない」

原田大六は平原遺跡一号墳の被葬者は玉依姫であり、伊勢神宮にアマテラス(大日孁貴)として祭られていると推察している。
森浩一氏も、この原田説を支持され、「原田氏の生涯をかけての、この重要な研究が基本において修正を要しないとすれば、八咫鏡は弥生時代後期に北部九州で製作され、他の同類は破砕されたけれども、一面だけがはるばる近畿地方にもたらされたということになる」
と述べておられる(『日本神話の考古学』)。

 豊玉姫−玉依姫−イワレヒコ(神武)の系譜から、この鏡の製作の中心にいたのは母豊玉姫を弔(とむら)ったであろう
玉依姫ということになる。その玉依姫が、わが子神武の東征にあたって、鏡の一面を携帯させたとすれば、
当然、大和朝廷においてその鏡は玉依姫の鏡として長らく宮中にあったに違いない。それが、
「崇神五年、国内に疫病多発、人民の大半が死亡、六年には国内大混乱。
その原因としてこれより先、宮中にアマテラスと倭(やまとの)大国魂(おおくにたま)の二神の並祭が、
お互い神威が強すぎることにあると思えたので、別々に祭ることにし、
アマテラスは豊鋤入姫(とよすきいりびめ)に託して云々」
とある『書紀』に従えば、このときからアマテラスこと玉依姫の依り代である八咫鏡が、
現在の鎮座地である伊勢へと至る長い巡幸が始まるのである。 

 その伊勢神宮内宮を見てみれば、アマテラスこと玉依姫の相殿に万幡(よろずはた)豊秋津姫こと豊玉姫が鎮座している。
634投稿者:2  投稿日:2018年12月14日(金) 22時39分39秒
神武天皇の橿原宮伝承地で伝承通りの即位式の行われた跡が発掘された。

辛酉の歳(神武天皇元年)の正月、52歳を迎えた磐余彦は橿原宮で践祚(即位)し、始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)(神武天皇)と称した。

「橿原」の地名が早く失われたために宮跡は永らく不明であったが、江戸時代以来、多くの史家が「畝傍山東南橿原地」の記述を基に
口碑や古書の蒐集を行っており、その成果は蓄積されていった。
幕末から明治には、天皇陵の治定をきっかけに在野からも聖蹟顕彰の機運が高まり、
明治21年(1888年)2月に奈良県県会議員の西内成郷が内務大臣山縣有朋に対し、
宮跡保存を建言した(当初の目的は建碑のみ)。


昭和15年の皇紀2600年祭に合わせ、神武天皇を祭る橿原神宮外苑の整備工事がおこなわれた。
その際、京都帝大の若き末永雅雄博士を中心に大掛かりな発掘調査がおこなわれた。

その結果、大量の縄文・弥生遺跡とともに櫟樫(いちいがし)の切り株が多数見つかった。
古代橿原の地には神聖な樹木である樫の森があり、そしてそれを伐採して造った大きな建物跡も見つかったそうだ。
635投稿者:2  投稿日:2018年12月15日(土) 08時09分47秒
O1b2(旧O2b)はバイカル湖あたりから長江に移住して稲作を始めたんだろ
そして何千年か後で漢民族に征服、民族浄化されて日本に逃げて来たのが弥生人:

陸稲は焼き畑農耕と一緒に縄文中期に長江から九州に伝わった
水田は弥生初期に長江から北九州に伝わった
天皇一族は朝鮮での権力闘争に敗れてソウルから北九州に移住した



稲の来た道論争
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku368.htm

稲作の渡来(稲作はどこから来たか?)
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku359.htm

4.呉の国と日本・稲作の渡来
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku358.htm#04

縄文時代に長江から九州に伝えられた照葉樹林帯文化
https://dankai.akimasa21.net/east-asian-evergreen-forest-culture/

遡る縄文稲作の年代
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_01jyoumonninasaku.html

長江人が九州に移住して作った吉野ヶ里遺跡の鳥居と鳥信仰
http://www.yoshinogari.jp/contents/c3/c104.html

朝鮮を追われた天皇家が日本に移住して作った魏志倭人伝の伊都国・邪馬台国での鏡信仰
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku273.htm
636投稿者:2  投稿日:2018年12月15日(土) 13時32分54秒
畿内の縄文人・弥生人を民族浄化して滅ぼした天皇一族はソウルの近くから北九州の伊都国に移住して来た漢民族です。
ソウルの近くに、中国鏡を太陽神として崇拝している漢民族の村があってそこが天皇家の出身地だと言われています。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、
天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、
それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。
この話はあるメディアに流れました。

北九州の伊都国を最初の本拠地とした天皇一族のアマテラスは

ニギハヤシノミコト(物部氏の始祖)を大和
ニニギノミコト(神武天皇の祖父)を日向
ホアカリノミコト(海部氏の始祖)を丹後

に中国鏡を神宝として授けて天下りさせます
637投稿者:2  投稿日:2018年12月19日(水) 17時26分49秒
これまで長い間論争が続いていたジャポニカ米などのイネの栽培起源地について、
国立遺伝学研究所や中国科学院上海生物科学研究所などの研究チームは、
中国南部を流れる珠江(しゅこう、the Pearl River)中流域であるとの研究結果を、英科学誌「ネイチャー」(オンライン版)に発表した。

研究チームは、アジア各地から収集した野生イネ(ルフィポゴン)446系統、
ジャポニカ米やインディカ米などの栽培イネ1083系統のゲノム(全遺伝情報)を解析し、
1529系統間の相互関係を明らかにした。さらに遺伝的変異のパターン解析から、
ジャポニカ米とインディカ米では55のゲノム領域で、イネの脱粒性や芒(のぎ)の有無、
粒幅などの重要な形質について、栽培化による選択が行われていたことが分かった。

これらの遺伝的な指標を用いてイネの系統進化を解析し、さらに各系統の生息地の情報を比較した結果、
イネの栽培化は中国南部の珠江の中流域で始まり、1つの野生イネ集団からジャポニカ米が生まれたことが分かった。
その後、ジャポニカ米の集団に別の野生系統のイネが複数回交配してインディカ米の系統が作り出されたと考えられるという。

イネの起源地についてはこれまで、遺跡の調査結果などから何十年にもわたり論争が続き、
インド・アッサム地方から中国・雲南省にかけての地域や、中国の「長江」中・下流域などとの諸説があった。
研究チームは「今回のわれわれの解析で、イネの起源地と栽培化のプロセスが明らかとなり、長い論争に終止符を打つことができた」としている。
http://news.mynavi.jp/news/2012/10/26/064/
638投稿者:2  投稿日:2018年12月21日(金) 18時28分31秒
馬渕睦夫 deep state の世界を語る

太平洋戦争も朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてユダヤ資本のヤラセだった



馬渕睦夫さんが明らかにしていますが


左翼=リベラル=グローバリズム=ユダヤ
=国際金融資本、軍産複合体、ネオコン、CIA、FBI、マスコミ、ソ連共産党、中国共産党、天皇一族、日本の官僚
=マクロン、メルケル、ヒラリー・クリントン、オバマ、レーニン、スターリン、ボリス・エリツィン、小泉純一郎、竹中平蔵、小沢一郎、橋下徹、枝野幸男、日本の護憲派・反原発派・反安倍勢力


右翼・民族主義=反リベラル=反グローバリズム=反ユダヤ
=プーチン、チェ・ゲバラ、カストロ、J.F.ケネディ、トランプ、ヒトラー、サダム・フセイン、カダフィ、アサド、ウゴ・チャベス、 ロドリゴ・ドゥテルテ、田中角栄、安倍晋三、日本共産党


なんですね。

馬渕睦夫『グローバリストが恐れる日本の底力』
◉講演「新嘗のこころ」第2部(グローバリズムとは共産主義である) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=YoH3GG3WiAc&index=2&list=PL7MaEu9i584cGqauRwWXCapXVTxom8dDT


「古事記に学ぶ日本のこころ」 馬渕睦夫 〜天と地を結ぶ日本人の力〜 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=xcQ1sp6fV2g
639投稿者:2  投稿日:2019年01月02日(水) 14時45分50秒

日本の近くで北方系は漢民族だけ

漢民族は麦作牧畜だから稲作はやっていない

弥生人は南方系に決まってるんだよ



>漢民族が弥生時代に渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、

天皇は北方系だから漢民族だろ
640投稿者:2  投稿日:2019年01月08日(火) 22時43分43秒
>それにBC11C頃に沿海州から弥生人が渡来して1000年近く経ってんだから、
紀元前後は西日本の何割かはすでに一重まぶただろ。

弥生人は長江からきたし、極少数ですぐに縄文人の嫁を貰って混血した

縄文人も弥生人も二重瞼だ

一重瞼の朝鮮人が日本に来たのは弥生後期からだ:

大阪鶴橋に済州島住民が多い理由 仁徳天皇が渡来人歓迎
http://www.thutmosev.com/archives/78516496.html
641投稿者:2  投稿日:2019年01月12日(土) 19時40分01秒
>天皇家の先祖が朝鮮のどこかの支配層だったってのはありえない。
突然支配者がやって来たようにな遺跡はどこにも存在しない。


福岡の伊都国が天皇一族の最初に作った植民市だというのが定説だ
八咫の鏡もアマテラスの墓も見つかっている
642投稿者:2  投稿日:2019年01月12日(土) 19時53分27秒
鏡信仰は漢民族
鳥信仰は長江人
蛇信仰は縄文人

だから、天皇は漢民族、弥生人は長江人だというのは明らかだ
643投稿者:2  投稿日:2019年01月14日(月) 11時33分30秒
日本神話の考古学 (朝日文庫) – 1999/2/1
森 浩一 (著)

に書いてあるよ
644投稿者:2  投稿日:2019年01月18日(金) 10時33分31秒

埴原和郎が言っていた北方系(一重瞼の事)というのは華北の漢民族の事だよ

華北の漢民族は

華北→ソウル→北九州伊都国→瀬戸内・畿内

と移住して人口を増やしていったんだ:

弥生人は長江からきたし、極少数ですぐに縄文人の嫁を貰って混血した

縄文人も弥生人も二重瞼だ

一重瞼の朝鮮人が日本に来たのは弥生後期からだ:

大阪鶴橋に済州島住民が多い理由 仁徳天皇が渡来人歓迎
http://www.thutmosev.com/archives/78516496.html



縄文人は蛇信仰で巨木や巨岩・円錐形の山を崇拝する

弥生人は鳥信仰で鳥居を建てて、祭りで銅鐘を鳴らす

漢民族は中国鏡を太陽神として崇拝する

日本で中国鏡は北九州伊都国・瀬戸内・畿内 でしか出土しないから
天皇一族が漢民族のトップだ
645投稿者:2  投稿日:2019年01月18日(金) 14時31分21秒
箸墓古墳の倭迹迹日百襲姫命伝説

崇神天皇が天変地異や疫病の流行に悩んでいると、夢に大物主が現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古(太田田根子)をもちて、
我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」と告げた。
天皇は早速、活玉依毘売の末裔とされる意富多多泥古を捜し出し、三輪山で祭祀を行わせたところ、
天変地異も疫病も収まったという。

百襲姫は大物主神の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。
百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、
百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。
百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られた。
時の人はこの墓を「箸墓」と呼び、昼は人が墓を作り、夜は神が作ったと伝え、
また墓には大坂山(現・奈良県香芝市西部の丘陵)の石が築造のため運ばれたという[1]。


大物主神は蛇だから縄文人で大和の先住民
百襲姫は神武天皇が滅ぼした先住民の祟りを鎮める為に先住民の神と政略結婚したのだから縄文人では有り得ないんだ
646投稿者:2  投稿日:2019年01月18日(金) 15時34分30秒
●日本人Y-DNAハプログループ比率 (2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)

D1b--32% : 縄文人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O1b2-32%(旧表記O2b): 弥生人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O2---20%(旧表記O3) : 漢民族、縄文人・弥生人と混血していなければ一重瞼

C2----6% : 縄文人、漢民族と混血していなければ二重瞼

C1----5% : 縄文人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O1b1--1%(旧表記O2a): 弥生人、漢民族と混血していなければ二重瞼

O1a---1% : 弥生人、漢民族と混血していなければ二重瞼

N1----1%

D1a,Q1--1%未満
647投稿者:2  投稿日:2019年01月18日(金) 21時14分28秒
安志敏は、東シナ海を通じた先史時代の中国と日本の関係を論じている。すなわち河姆渡やそれに続く長江下流の文化が日本の先史時代に影響を与え、縄文時代のけつ状耳飾りや漆器、また稲作、高床式建築などの文化は、長江下流域に起源があるとしている。
648投稿者:2  投稿日:2019年01月19日(土) 08時12分20秒

混血しまくった結果が日本人ってことだろ

混血したのは長江人と縄文人だけ
戦前は民族間の混血は殆ど無かった
特に天皇一族は近親相姦を繰り返して、日本人の血は絶対に入れなかった
649投稿者:2  投稿日:2019年01月19日(土) 16時12分08秒
富山県は越国(こしのくに)といいます。越前が福井県、越中が富山、越後が新潟です。
そのように、越国というのが日本海側にあるのですが、対岸の沿海州にはその名前の起源はないのです。
では、その起源はどこにあるか。じつは長江の下流域の百越(ひゃくえつ)と呼ばれる越人(えつじん)からきています。

ですから、日本海といっても、われわれは対岸から強い文化的な影響を受けたと考えるし、
実際にそういうこともあるのですが、同時に、日本海は東シナ海を通って長江の下流域にまでつながっており、
それをつなげているのは対馬暖流という大きな海流であって、
そういう南の東シナ海からさかのぼってくる文明の影響が日本にはたいへん大きい。

それは船を持ち、技術を持った人々が大陸にいたかいないかということに大きくかかわるのではないかと思われます。
http://www.nihonkaigaku.org/library/other/i001125-i2.html
650投稿者:2  投稿日:2019年01月19日(土) 16時25分38秒

けつ状耳飾りというのがあるでしょう。これの分布を藤田富士夫さんが研究されて、
『古代の日本海文化』のなかでも述べておられますが、それが富山あたりを中心として沢山発見されているんですね。
たとえば極楽寺遺跡とか明石(あげし)A遺跡とか、富山県から石川県にかけてずっと分布している。
それはだんだん広がっていくのですが、その起源をたどると、なんと、これはもとが中国江南の河姆渡(かぼと、→注17)なのです。

B.P.6千年前に、そこでけつ状耳飾りが使われていたのです。
 それは中国のいろいろなところに伝播(でんぱ)するけれど、いちばん早く日本へやってきた。
いまから5千年前後(縄文時代中期)のところで、ここ北陸までやってきたわけです。
中国各地へはB.P.4千年以後です。

だから、中国各地への伝播よりも早く日本の富山県のほうにけつ状耳飾りが伝播してしまったのはすごい
これはかなり精細な研究がなされて、地図の分布などは藤田さんのご本に出ています。非常におもしろいと思う。

安志敏は、東シナ海を通じた先史時代の中国と日本の関係を論じている。すなわち河姆渡やそれに続く長江下流の文化が日本の先史時代に影響を与え、縄文時代のけつ状耳飾りや漆器、また稲作、高床式建築などの文化は、長江下流域に起源があるとしている。
651投稿者:2  投稿日:2019年01月20日(日) 09時25分40秒
遼河文明(りょうがぶんめい)とは、中国東北部の遼河流域で起こった中国の古代文明の一つ。
紀元前6200年ごろから存在したと考えられている。

2015年1月に合衆国科学アカデミー紀要に発表された中国科学院のXiaoping Yang(楊小平)、
合衆国ニューメキシコ大学のLouis A. Scuderiと彼らの共同研究者による内モンゴル自治区東部の渾善達克砂丘地帯の堆積物の検討によれば、
従来は過去100万年にわたって砂漠であったと考えられていた同地帯は12,000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、
深い湖沼群や森林が存在したが、約4,200年前頃から始まった気候変動により砂漠化した[2]。

このために約4,000年前頃から紅山文化の人々が南方へ移住し、後の中国文化へと発達した可能性が指摘されている

つまり、紅山文化の人々が南方へ移住し稲作を始めたのが長江人だ
652投稿者:2  投稿日:2019年01月20日(日) 09時37分48秒
玉ケツ(ケツ状耳飾)は、実は長江流域から照葉樹林文化の一つとして伝播したものではなく、
中国東北部(旧満州)から日本海を縦断して伝播し、桑野遺跡を含む北陸地方を生産拠点として、
全国的に拡がったと今では考えられている。 

安田喜憲は、以上述べてきた文化の伝播や交流について、「龍の文明 太陽の文明」(PHP新書)のなかで、
次のような図を提示して

“中国東北部→長江流域”
“中国東北部→日本列島”


という文化の流れを想定している。
(なお、紅山文化は興隆窪に続く6,000年前の牛河梁遺跡を中心とする文化。)
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

要するに、縄文時代には紅山文化から日本に文化が伝わったが
長江文化にも紅山文化から文化が伝わった

という話だ

弥生人は勿論長江人だ
投稿者 メール
(゚Д゚) <
  新着レス 前の50個 レス全部を見る 掲示板に戻る 上へ
このエントリーをはてなブックマークに追加