アイヌ [本/雑誌]
57投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 19時31分20秒
『自主の道』とか聞いた事ないけど、アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
58投稿者:3  投稿日:2019年12月08日(日) 19時40分39秒






77 79 分前(編集済み)

『自主の道』とか聞いた事ないけど、アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
59投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時08分22秒
僕は一般教養として誰でも知っている事を書いているだけだから。
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ


アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
60投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時17分06秒
僕は一般教養として誰でも知っている常識を書いているだけだから。
アイヌの話は1980年代に梅原猛さんがシンポジュームを何度もやっていたから知らない人の方が少ないんだ
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ

アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ
61投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時19分43秒
僕は一般教養として誰でも知っている常識を書いているだけだから。
アイヌの話は1980年代に梅原猛さんがシンポジュームを何度もやっていたから知らない人の方が少ないんだ
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ

アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ

アイヌの受けた迫害についてはこの本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 – 1983/8
青木 愛子 (著)
62投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時31分57秒
僕は一般教養として誰でも知っている常識を書いているだけだから。
アイヌの話は1980年代に梅原猛さんがシンポジュームを何度もやっていたから知らない人の方が少ないんだ
wiki で調べれば僕の書いた事はすぐに出て来るよ

アイヌ・縄文関係の情報は

古人類学 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/theme/977cf818ef.html

日本人のガラパゴス的民族性の起源
http://garapagos.hotcom-cafe.com/

に沢山出ているから読んでみれば大体わかるよ

アイヌの受けた迫害についてはこの本を読んでみて下さい:

1. アイヌの碑 (1980年)
萱野 茂 (著)

2.アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) – 1982/12
藤村 久和 (著)

3. アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

先住民族アイヌの現在 (朝日文庫) 1993/7
本多 勝一 (著)

4. アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 ; 1983/8
青木 愛子 (著)

因みに、的場光昭さんの学説は
ジンギスカンは源義経だったとか、秦氏はユダヤ人だった
という話と同じ類なので、専門家が反論する事は未来永劫無いです。
相手をしたら自分も同類のバカだと思われますからね。
63投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 21時56分32秒
奥州藤原氏は平安貴族だとわかっているし、古墳時代の福島の古墳の被葬者も畿内人だったから
東北は住民はアイヌ系、支配者は京都の貴族なんだよ:

奥州藤原家四代の遺体(ミイラ)については、一九五〇(昭和二五)年の調査に参加された長谷部言人、鈴木尚、古畑種基氏らによる詳細な報告があるものの、現在もなお疑問のまま残されている問題が多い。筆者は鈴木尚氏の頭骨計測データを借用して新たに種々の統計学的検討を行い、また中尊寺の好意により短時間ながら遺体を直接観察する機会を得たので、その結果を報告して先人の研究の補遺としたい。この論文では次の点に触れる。

一、 遺体の固定―基衡と秀衡の遺体がいつの時代かに入れ替わったという疑問について、少なくとも生物学的観点から結論を出すことは困難である。また一部の特徴には寺伝どおりでよいのではないかと思える点もあるので、この問題は今のところ保留としておいた方がよさそうに思える。

二、 遺体のミイラ化の問題―遺体は自然にミイラ化したものと考えられるが、ごく簡単な吸湿処置がとられたという可能性が高い。

三、 奥州藤原家の出自―藤原家はもともと京都方面の出身という可能性が高い。

四、 エミシの人種的系統―古代・中世に奥州に住んでいたエミシは、現代的な意味でのアイヌでもなく和人でもなく、東北地方に残存していた縄文系集団が徐々に"和人化"しつつあった移行段階の集団であったと思われる。藤原家四代に見られる"貴族化"現象―特に鼻部の繊細化(貴族化)が著しいが、顔の輪郭や下顎骨の形態は日本人の一般集団に近いので、近世の徳川将軍や一部の大名に比較すれば貴族化の程度は弱かったと思われる。
64投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 22時01分51秒
奥州藤原氏は平安貴族だとわかっているし、古墳時代の福島の古墳の被葬者も畿内人だったから
東北は住民はアイヌ系、支配者は京都の貴族なんだよ:

奥州藤原家四代の遺体(ミイラ)については、一九五〇(昭和二五)年の調査に参加された長谷部言人、鈴木尚、古畑種基氏らによる詳細な報告があるものの、現在もなお疑問のまま残されている問題が多い。筆者は鈴木尚氏の頭骨計測データを借用して新たに種々の統計学的検討を行い、また中尊寺の好意により短時間ながら遺体を直接観察する機会を得たので、その結果を報告して先人の研究の補遺としたい。この論文では次の点に触れる。

一、 遺体の固定―基衡と秀衡の遺体がいつの時代かに入れ替わったという疑問について、少なくとも生物学的観点から結論を出すことは困難である。また一部の特徴には寺伝どおりでよいのではないかと思える点もあるので、この問題は今のところ保留としておいた方がよさそうに思える。

二、 遺体のミイラ化の問題―遺体は自然にミイラ化したものと考えられるが、ごく簡単な吸湿処置がとられたという可能性が高い。

三、 奥州藤原家の出自―藤原家はもともと京都方面の出身という可能性が高い。

四、 エミシの人種的系統―古代・中世に奥州に住んでいたエミシは、現代的な意味でのアイヌでもなく和人でもなく、東北地方に残存していた縄文系集団が徐々に"和人化"しつつあった移行段階の集団であったと思われる。藤原家四代に見られる"貴族化"現象―特に鼻部の繊細化(貴族化)が著しいが、顔の輪郭や下顎骨の形態は日本人の一般集団に近いので、近世の徳川将軍や一部の大名に比較すれば貴族化の程度は弱かったと思われる。

__

2019年11月25日
会津地方の支配層の男性は渡来系 喜多方・灰塚山古墳出土 歯や骨格から全身像を復元
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201906/20190604_63010.html

 約1500年前に会津地方を支配した豪族とみられる全身人骨が見つかった喜多方市の大型前方後円墳「灰塚山古墳」に関する講演会が24日、会津若松市の県立博物館であった。人骨の復元に取り組んでいた東北学院大(仙台市)の辻秀人教授(考古学)が調査成果を報告。顔つきは現代人に近く、渡来系集団が大和朝廷とつながって支配していたとの見方を示した。
.
 東北学院大文学部の辻秀人教授(考古学)の研究グループは、古墳時代中期(5世紀ごろ)に会津地方を支配した男性の歯から抽出したDNAと全身の骨格から生前の全身像を復元した。男性の姿は現代人に近く、当時の支配層の変遷を知る手掛かりになりそうだ。
65投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 22時29分35秒





同和ブラクとブラク解放同盟は戦後 在xに乗っ取られただろ
アイヌブラクとアイヌ協会も在xに乗っ取られるんだよ
66投稿者:2  投稿日:2019年12月08日(日) 22時35分34秒
同和ブラクとブラク解放同盟は戦後 在xに乗っ取られただろ
アイヌブラクとアイヌ協会も在xに乗っ取られるんだよ

神武天皇も朝鮮人だしね
一重瞼は朝鮮人だよ
アイヌは全員二重瞼だからね
67投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 13時37分57秒





北海道以北のアイヌの民には強力な支配者や中央政府が存在しなかったため]、標準語・中央語のようなものは無く地方によって多くの方言がある。

アイヌ語の方言は大きく北海道、千島、樺太に分けられる。

北海道アイヌ語、千島アイヌ語、樺太アイヌ語

なお東北北部にも18世紀まで本州アイヌが居住していたが、彼らの方言については詳らかでない。また中世以前の蝦夷がアイヌ語を話していたとする説もある(エミシアイヌ語)。


アイヌはコタン毎に生活をしており、コタンは主に川筋か海岸線に沿って分布したため、川筋ごとに方言が少しずつ異なる場合が多く、また海岸部と内陸部でも差異が見られた。

かつて大きくは北海道・千島(北千島)・樺太(南樺太)の三方言があった。

北海道方言は、さらに北東部方言と南西部方言の二つに分類したり、もっと細かく分類されることもあるが、方言間の詳細な比較研究が進んでいないため定説はない。

千島方言は日本の千島領有以後急速に廃れ、第二次世界大戦後には既に話者が見つからなかったとされる。

樺太方言は1994年に最後の話者とされる浅井タケが亡くなった。北海道内でも和人の移住が早くから進んだ渡島地方や石狩川下流域などの方言は記録がほとんど残っていない。

アイヌは独自の国家を形成せず、自らの言葉を文字に記すこともなかったので、アイヌ語には標準語ないしそれに近い中央語が存在しない。
アイヌ語を学ぶ場合は沙流方言や千歳方言の資料が比較的手に入りやすい。


下位区分
括弧内は使用地域。話者、教材を後述。

北海道アイヌ語
北海道南西部方言 八雲方言 (八雲町。旧熊石町域は除く)長万部方言 (長万部町)余市方言 (余市町)幌別方言 (登別市) - 知里幸恵『アイヌ神謡集』、金成マツ『アイヌ叙事詩ユーカラ集』白老方言 (白老町)千歳方言 (千歳市) - 中川裕・中本ムツ子『エクスプレス・アイヌ語』、中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』鵡川方言 (旧鵡川町)沙流方言 (沙流川流域) - 田村すず子『アイヌ語沙流方言辞典』、萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』、他多数。他のどの方言よりも記録の質・量ともに充実している。新冠方言 (新冠町)

北海道北東部方言 静内方言 (旧静内町) - 奥田統己『アイヌ語静内方言文脈つき語彙集(CD-ROMつき)』浦河方言 (浦河町)様似方言 (様似町)十勝方言 (十勝支庁) - 本別町教育委員会『澤井トメノ十勝本別アイヌ語分類辞典』釧路方言 (釧路支庁) - 『アイヌ語釧路方言語彙』、山本多助、貫塩喜蔵阿寒方言 (阿寒町)根室方言 (根室支庁)北見方言 (網走支庁)石狩方言 (旭川市など) - 砂沢クラ、杉村キナラブック、杉村フサ、石山キツエ天塩方言 (名寄市など)宗谷方言 (稚内市)

樺太アイヌ語 西海岸方言 - 藤山ハル、浅井タケ、村崎恭子『カラフトアイヌ語』東海岸方言 - 山辺安之助『あいぬ物語』タライカ方言 (旧敷香町) - 樺太の他地域のアイヌ語と著しく異なっていた。

千島アイヌ語 (旧新知郡以北の千島列島) - 村山七郎『北千島アイヌ語』 古い時代にはカムチャツカ半島でも話されていた可能性がある。北千島アイヌは明治時代に色丹島へ移住し、後に北海道本島へ再移住した。なお、元々の択捉島以南のアイヌ語は北海道方言の一種とされる
68投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 13時49分12秒
京都方言と沖縄方言は分かれてから1500年程度

ドイツ語と英語は分かれてから1000年程度

ノルウェイ語とスウェーデン語は分かれてから300年程度

インド・アーリア語群の別言葉の差は日本語の方言程度しか違わない
日本語、アイヌ語、朝鮮語とニヴフ語が分かれたのは10000年以上前だと言われている
アイヌ語の地域差は言語差ではなく方言差に該当する

アイヌ語方言が分かれたのはアイヌ文化が成立した13世紀以降だから数百年の差しかない
69投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 14時05分05秒
言語年代学(げんごねんだいがく、glottochronology)は、言語学において系統を同じくする2つの言語が分岐した年代を見積もる方法である。

最近、R.D.Grayらによって、分子進化学(DNA配列の統計学的比較から生物の進化を明らかにする方法)を応用し、言語変化速度の一定性を仮定しない方法が提案されている[1]。これは比較言語学により明らかにされた同根語を基礎とする方法である。これによれば、一部の分岐年代が判っている語族(インドヨーロッパ語族など)については、従来よりも確実に分岐年代を見積もることが可能であるという。彼らはオーストロネシア語族にもこの方法を応用している[2]。
70投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 14時05分15秒
言語年代学(げんごねんだいがく、glottochronology)は、言語学において系統を同じくする2つの言語が分岐した年代を見積もる方法である。


最近、R.D.Grayらによって、分子進化学(DNA配列の統計学的比較から生物の進化を明らかにする方法)を応用し、言語変化速度の一定性を仮定しない方法が提案されている[1]。これは比較言語学により明らかにされた同根語を基礎とする方法である。これによれば、一部の分岐年代が判っている語族(インドヨーロッパ語族など)については、従来よりも確実に分岐年代を見積もることが可能であるという。彼らはオーストロネシア語族にもこの方法を応用している[2]。
71投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 14時10分13秒
10000年以上前に別れたのはアイヌ語と日本語
だから別言語とされている

アイヌ語の方言が分かれたのは200年ないし300年前だ
だから方言差とされている
72投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 16時26分49秒
ノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人とイギリス人はそもそも単一民族じゃないですよ、全く違う言語を話す民族の複合国家:

ブリテン島とアイルランド島およびその周辺の島々では、移住と侵略により現代人集団が形成されてきました。ブリテン島に人類が移住してきたのは更新世で、完新世になると、紀元前4000〜紀元前3000年頃に農耕民が移住してきて、銅器時代〜青銅器時代には鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)の拡散により大規模な人口置換があった、と推測されています(関連記事)。 ブリテン諸島集団の遺伝的構造はここでほぼ確立し、その後の移住も遺伝的影響を及ぼしたものの、置換は起きませんでした。青銅器時代以後の遺伝的影響として、400〜650年頃のアングロサクソンの侵攻が、イングランド南部におけるより高いゲルマン関連系統と関連していることや、8〜11世紀のヴァイキングの侵略が、オークニー諸島とアイルランドにおけるノルウェー人関連系統の増加と関連していることなどが挙げられます。さらに、アイルランド北東部では、おもに17世紀においてスコットランドとイングランド起源の集団との混合がありました。
 ブリテン島とアイルランド島の集団遺伝学の以前のゲノム規模調査では、イングランド・ウェールズ・アイルランドと比較して、スコットランドとその近隣地域のデータが少ない、という問題がありました。本論文はこの問題に対処するため、既知のデータとシェトランド諸島・マン島・スコットランド西岸の遺伝的データを組み合わせて、ブリテン島とアイルランド島およびその周辺の島々の計2544人のゲノムデータセットを作成し、包括的に分析しました。さらに本論文は、2225人のスカンジナビアの人々のデータセットも比較しました。本論文はこの統合されたデータを用いて、スコットランドとその周辺の島々における、遺伝子構造、ヴァイキングの遺伝的影響、古代アイスランドの創始者集団の遺伝的起源を検証しました。
 これらのデータセットに基づく地理的集団の系統樹では、まずシェトランド諸島およびオークニー諸島集団とその他の他集団に分岐します。後者では、イングランドおよびウェールズ集団とその他の集団が分岐します。さらに後者では、アイルランド集団とスコットランド集団が分岐します。スコットランド集団は、ヘブリディーズ諸島集団とスコットランド北東部および南西部集団が分岐します。ブリテン島およびアイルランド島とその周辺の島々では、遺伝地理的構造がかなりの程度明確に示されています。
 これらの集団の遺伝的構成は、イングランド・ウェールズ・スコットランド・デンマーク・スウェーデン・ノルウェーの6系統の混合モデルでも分析されました。このうち、ウェールズはケルト、イングランドはサクソン、ノルウェーはノースという古代集団をほぼ表しています。ノルウェー系統はヘブリディーズ諸島集団で約7%と低く、スコットランド北部および南西部(アーガイル)とマン島でも約4%と低くなっています。アイルランドでもノルウェー系統の割合は平均7%と低くなっています。スコットランド東部とマン島では、イングランド系統の割合が比較的高くなっています。
 これらのゲノムデータは古代集団とも比較されました。アイスランド古代集団は遺伝的にはゲール人系統とノース人系統とに二分されます。ゲール人系古代アイスランド集団は、スコットランドとアイルランドのゲール人系集団と最大の類似性を示します。ノース人系統古代アイスランド集団と最も低い遺伝的類似性を示すのは、ドニゴールとヘブリディーズ諸島とアーガイルで、これらは、ヴァイキングの激しい活動があったブリテン諸島北西部地域とアイルランド島です。こうした現代人集団の遺伝子的構造は、アイスランドの創始者集団が、ブリテン島北西部もしくはアイルランド起源だったことを示唆します。 本論文は、ブリテン諸島において、北部ではノース人系統が、南東部および西部ではサクソン人およびケルト人系統が強いことを明らかにしています。とくにオークニー諸島とシェトランド諸島集団は、スカンジナビア外ではノルウェー系統を最高水準で有しています。本論文が示す現代のスコットランドの地域的な遺伝的構造は、明らかな自然障壁がないにも関わらず、暗黒時代(西ローマ帝国が崩壊した476年〜1000年頃)の王国の分布と地理的によく一致します。産業革命以後の流動性の増加にも関わらず、過去1000年ほど、スコットランドでは人類集団の大きな移住・遺伝子流動がなかったことを表しているのでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_47.html

多民族国家のノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人、イギリス人と比べるとアイヌ人は単一民族とみなせるのですね。

日本人と朝鮮人、台湾人、琉球人も典型的な多民族複合体

日本人と朝鮮人、台湾人、琉球人と比べるとアイヌ人は単一民族とみなせるのですね。
73投稿者:2  投稿日:2019年12月10日(火) 16時57分49秒
ノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人とイギリス人はそもそも単一民族じゃないですよ、全く違う言語を話す民族の複合国家:


https://sicambre.at.webry.info/201911/article_47.html

多民族国家のノルウェー人、フィンランド人、ドイツ人、イギリス人と比べるとアイヌ人は単一民族とみなせるのですね。

日本人と半島人、台湾人、琉球人も典型的な多民族複合体

日本人と半島人、台湾人、琉球人と比べるとアイヌ人は遺伝子でも言葉でも文化でも単一民族とみなせるのですね。
74投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 16時40分22秒
住んでいる川筋が一つ違えば交流が無くなるから、言葉も文化も少しずつ変わって行くんだよ

アメリカインディアンやニューギニア原住民は狭い地域で何百・何千もの全く違う言葉の部族に分かれているけど、民族としては同一にカウントするんだよ

一方、日本の稲作民、漁民、山人、武家・公家は生業も文化も全くうから完全な別民族になる:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系 山人
C1----5% :縄文系 海人
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
75投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 16時47分52秒
住んでいる川筋が一つ違えば交流が無くなるから、言葉も文化も少しずつ変わって行くんだよ

アメリカインディアンやニューギニア原住民は狭い地域で何百・何千もの全く違う言葉の部族に分かれているけど、民族としては同一にカウントする

一方、日本の稲作民、漁民、山人、武家・公家は生業も文化も全くうから完全な別民族になる:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない:ドウワブラク民、小作人、今でも社会の底辺の人間
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民 : 地主・庄屋になった
O2---20%(旧表記O3):漢民族系 :武家、公家、豪族、現在も支配階級
C2----6% :縄文系山人 、今は僻地の山奥で林業とかしている
C1----5% :縄文系海人 、今は漁師
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
76投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 16時52分52秒
住んでいる川筋が一つ違えば交流が無くなるから、言葉も文化も少しずつ変わって行くんだよ

アメリカインディアンやニューギニア原住民は狭い地域で何百・何千もの全く違う言葉の部族に分かれているけど、民族としては同一にカウントする

一方、日本の稲作民、漁民、山人、武家・公家は生業も文化も全くうから完全な別民族になる:

現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系

現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : フン族系
R1a 9.5% : スラブ人系

現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが縄文人からはまだ見つかっていない:ドウワブラク民、小作人、今でも社会の底辺の人間
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民 : 地主・庄屋になった
O2---20%(旧表記O3):漢民族系 :武家、公家、皇族、現在も支配階級
C2----6% :縄文系山人 、今は僻地の山奥で林業とかしている
C1----5% :縄文系海人 、今は漁師
O1b1--1%(旧表記O2a) :長江系稲作民
O1a---1% :長江系稲作民
N1----1% : トルコ系
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)
77投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 18時25分07秒

そもそも総人口3万人のアイヌ人が団結して戦争する訳もないし、戦闘用の武器なんか持って居なかったよ。毒矢はアイヌ人の祖先の縄文人が1万年前から使っていた狩猟法だしね


北海道のアイヌ民族は、トリカブト、あるいは附子を「スルク」と呼び、狩猟に用いてきた[14]。矢の先に塗布するほか、獣道に仕掛けた仕掛け弓「アマッポ」でヒグマやエゾシカを捕らえる。矢の刺さった箇所の周囲の肉を握りこぶしほどの量ほどえぐり取って捨てれば、ほかは食べても問題が無かった。

東北地方では、いわゆるヤマト政権による古代の東北征討において、これに抵抗した蝦夷の人々が毒矢を用いた。関連して、東北のマタギの間では、明治時代に鉄砲が普及するまで毒矢が狩猟に用いられていた。

 縄文時代の遺跡から出土する陸上動物骨の骨の95%がシカ・イノシシでクマなどは少ない。その中型獣に対して、長さが2pにも満たない石鏃では、直ちに致命傷を与えられない。猟犬の追尾する能力に毒矢の使用が加わらなければ難しい。アイヌ民族が使っていたトリカブトの矢毒は、縄文人に遠距離からの攻撃を可能にした。イノシシ・クマなどの獲物からの反撃を回避するためにも有効であった。

矢毒で狩猟した獲物は、矢毒が刺さった部分を少し大きめに取り除き、他部は加熱すれば食べられた。矢毒を付けた仕掛け弓を獣道に多数仕掛けることで猟獲を格段に向上させた。矢毒の使用は狩猟民の狩猟技術に一大革命をもたらした。その命中精度の高さと狩猟技術の向上と、それを一層、効果的にしたのが縄文早期初頭からの猟犬と矢毒の使用であった。石槍の出土例は平野部では少なくなる。あっても殆どが漁労用であった。石槍が山間部に残るのはクマ猟には有効であったからだ。弓矢とイヌを活用する集団猟により、集落内の結び付きは一層強固なものになったであろう。
78投稿者:2  投稿日:2019年12月11日(水) 18時54分56秒
チャシはアイヌ人が和人との戦いの為に作ったものだよ
人口密度が極端に少ない北海道で、狩猟民族のアイヌ人が内ゲバなんかやらないよ:

チャシとは主に近世にアイヌが築造したある種の施設であって、高い場所に築かれ、壕や崖などで周囲と切り離された施設である。 1992年時点では526カ所のチャシコツ(チャシ跡)が確認されている。

チャシが文献に登場するのは17世紀以降で、殆どが和人の残した記録であるが、この時期にはアイヌ族と和人との間で戦争状態が続いていたこともあり、和人はチャシを砦として認識していたようである。

例えば1670年に書かれた『寛文拾年狄蜂起集書』では、「シヤクシヤ在所を明け、チャシに籠居申候て不参候」との記述がある。一方、ユーカラではチャシは英雄の住居、牢獄などの性格を与えられていることが多い。

チャシの分布は東蝦夷地(太平洋側のアイヌ文化圏)と呼ばれた道南、道東に多く、特に根室、釧路、十勝、日高地方に集中している。これはシャクシャインの勢力圏と一致している為、シャクシャインらが和人と戦う中で多くのチャシが築かれたのではないかと推測されている。
79投稿者:5  投稿日:2019年12月11日(水) 19時45分59秒
的場先生の話は最初から最後まで嘘ばかりだから聞く気が起きないんですね
統合失調症患者やパラノイア患者の話を真面目に聞いてもねえ
80投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 01時11分27秒
2015/05/12 - 北海道アイヌ生活実態調査

アイヌ世帯の平均年収は355.8万円、「年収なし」を除くと369.2万円である。

100万円ごとの年収区分では、回答のあった2,903世帯のうち、「200万円以上300万円未満」が567世帯(19.5%)ともっとも多く、「100万円以上200万円未満」が432世帯(14.9%)、「300万円以上400万円未満」が409世帯(14.1%)、「400〜500万円未満」が280世帯(9.6%)、「100万円未満」が195世帯(6.7%)で続いている。年収500万円以上の世帯は550世帯(18.9%)、「年収なし」の世帯は92世帯(3.2%)であった。

なお、厚生労働省大臣官房統計情報部による『平成25年国民生活基礎調査』によれば、北海道の平均年収は473.5万円で、もっとも構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」であり、全国の平均年収は537.2万円、構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」となっている(表4)。

世帯年収を年代別でみると、「年収なしから200万円未満」の世帯は、世帯主が「30歳未満」の年代層において14世帯(25.0%)、「60歳〜70歳未満」の年代層に223世帯(37.0%)、「70歳以上」の年代層に177世帯(56.0%)と多くなっている。世帯主が現役世代であっても、「年収なしから200万円未満」の世帯が「30歳〜40歳未満」において47世帯(21.1%)、「40〜50歳未満」において96世帯(18.3%)、「50〜60歳未満」において156世帯(19.8%)と各年代層において約20%を占めている。

アイヌ民族の大学進学率は、1990(平成2)年頃から増加に転じてはいるものの、一貫して低い水準であり、もっとも進学率が高かった2005(平成17)年でも27.1%(補正値では21.1%)と、全国平均の5分の3程度となっている。また、1970(昭和45)年頃から1990年頃までは、全国平均が伸びているなかでアイヌ民族の平均は同水準で推移しており、事実上不平等が拡大していたことがわかる」。

また、アイヌ民族の高校進学、大学進学について、以下の特徴が指摘されている。

@ 進学者が増えたにもかかわらず、中途退学する者が多い。高校進学者のうち、中退した者は12.9%に達している。1999(平成11)年の高校中退率が全国平均で2.1%、北海道で1.9%であったのに比べるときわめて高い数字であるといえる。また、大学進学者の中退率は20.3%であり、「在学中」の者を母数から除いた30歳未満の中退率は23.2%まで増える。2007(平成19)年度の私立大学中退率は2.7%であり、アイヌの大学生が中退する可能性は、全国平均の9倍に達している。

A 高等学校の定時制に通う者が多い。高校進学者のうち12.8%が定時制高校に進学している。もっとも、アイヌ子弟の定時制高校への進学者は急激に減少しており、30歳未満では2.3%である。2008(平成20)年における全高校生に占める定時制高校生の割合は3.2%であり、わずかではあるものの全国平均を下回っている。
https://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/20150512_ochiai_report.pdf
81投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 01時22分58秒
アイヌの結婚式が行われてこなかった理由
https://sasala-pro.com/kiccalo/ainu-wedding-report1/

映画「アイヌの結婚式」上映後の伊藤さんと来場者との質疑応答をまとめました。

Q:撮影が1971年、今から50年近く前になります。その時点でアイヌの結婚式が7、80年間行われていなかった。なぜでしょうか。伊藤:この映画の中でも言っていたようにですね、自分たちはアイヌであるということをやめた。アイヌ同士で結婚すると、生まれる子供たちはアイヌ。そのアイヌはシャモ、つまり内地の人間から差別される。ということで、アイヌであるということを止めようというのが、北海道のほとんどのところで起きていました。つまり日本人はアイヌを先住民族として受け止めていなかったということなんです。

日本に戸籍法ができましてね、その中にアイヌであるという記入欄はなかった。今もないです。従って、アイヌの人口がどのくらいあったのかはわからないんです。我々がこの結婚式を撮影した時点でですね、全道でアイヌが35,000人いるだろうと推定をしていました。もっといるはずだという考えもあったのだけれども、差別されるということもあって名乗ろうとしなかったアイヌも多くいたのではないかと思います。差別されるというのはどういうことかというと、職業につけないんですよ。警察官になれない、役所にも勤められない。できるのは商売や農耕、そのぐらいしかできなかったんです。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。明治32年に「北海道旧土人保護法」という法律を作った。これが平成9年に「アイヌ新法」が出来上がるまで適用されてきた。映画を撮影した地点では、法律的にも「北海道旧土人保護法」は生きているわけです。つまり当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。ただ数カ所の村で、二風谷もそのひとつですが、「自分たちはアイヌだと、それは恥ずかしいことではない」と主張したのです。

映画に出てきた萱野茂さんは、後にアイヌ出身の参議院議員なる方です。有名なのは、国会でアイヌ語の演説をしたこと。北海道旧土人保護法をやめろという演説をアイヌ語でやったんです。誰もわかんないです。困ったのは議事録の速記者。そのとき記録されたのが日本の国会に唯一残されたアイヌ語の議事録です。つまりそういうような状況でした。この映画は、アイヌであることを恥ずかしいと思っていた時代に、アイヌであることは恥ずかしくないよと言った村、二風谷の記録です。

Q:北海道旧土人保護法というのはどういう法律なんですか。

伊藤:北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

北海道旧土人保護法が施行された頃には松前藩はアイヌの交易をやめさせていた。松前藩が交易を独占していたんですね。そういうこともあって平等にしようと。しかしそれは和人が考えた同化政策なんです。「アイヌであることをやめて、日本人になりなさい」と。これが一番大きい問題です。

具体的には学校を作る。アイヌの村の中にアイヌコタンの中に、学校を作る。これは政府の金で作るんです。しかしアイヌ民族は「劣等民族」と見なされ4年制。当時の内地の学校は尋常小学校と言っていましたけれども、これは3年制です。学校をアイヌコタンの中心に作りますから、これが同化政策の拠点になるんです。萱野茂さんもそこで学びました。学校の規則としてアイヌ語を使ってはいけない。文化の中心になるのは言語ですから。つまりアイヌ文化を否定する動きになっていくわけです。
82投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 09時07分18秒
北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。

1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
83投稿者:2  投稿日:2019年12月12日(木) 22時43分40秒






蝦夷はアイヌ語を話していたのがわかっている。
東北のマタギの言葉はアイヌ語
東北にはアイヌ語地名が沢山あるので、東北の一般人はアイヌ系住民の子孫だというのが定説。
津軽半島の現在の住人はアイヌ人と変わらない。

シベリアの民族の言葉はツングース語とニヴフ語で、アイヌ語とは全く系統が異なる言語だから、そういう民族が北海道に移住してきたのなら話す言葉はアイヌ語ではなくツングース語やニヴフ語でないとおかしい。

従って、アイヌ人が縄文系の擦文人の子孫でないとすると矛盾する。
84投稿者:2  投稿日:2019年12月14日(土) 20時02分02秒
アイヌ人は所得が少なく、大学進学率も低い
アイヌ語を話せるアイヌ人も殆どいない
こういうのをミンゾク浄化と言うのですね。

中国がウイグルやチベットで今やっているのと同じ事をやっていたという事なのですね
ウイグルもチベットもアイヌも独立させるしかないでしょう
85投稿者:2  投稿日:2019年12月14日(土) 20時37分55秒
アイヌ人は所得が少なく、大学進学率も低い
アイヌ語を話せるアイヌ人も殆どいない
アイヌの宗教も滅ぼされた

こういうのをミンゾク浄化と言うのですね。
中国がウイグルやチベットで今やっているのと同じ事をやっていたという事なのですね
もうウイグルもチベットもアイヌも独立させるしかないでしょう
86投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 00時34分15秒
アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていたよ。
アイヌ医学は西洋医学より優れていたし、アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われている。
アイヌのシャーマニズムはあらゆる宗教で一番優れていると言われている。

少なくともウイグル人やチベット人よりは遥かに高度な文化を持って居た。


>日本政府側が土人法を作り アイヌ人を保護したので

保護するというのはアイヌ語やアイヌの生活を変えない様にする事だよ
生業や生活や宗教を変えさせたらミンゾク浄化になる
87投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 07時34分04秒
アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていたよ。

アイヌ語は現存する世界最古で最美の言葉だといわれています。

アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われている。

アイヌ文化は西洋文化とは180度反対の方向に進化した究極の文化なのですね。
シャーマンが行うアイヌ医療は慢性病や医者では治せない難病の治療では西洋医学より優れていたし、アイヌの宗教やシャーマニズムはあらゆる宗教の最高峰だと言われています。

アイヌ人は超能力(千里眼、テレパシー能力、動物と会話する能力)を持って居た様で、科学ではなく超能力の方向に進化したのですね。

少なくともウイグル人やチベット人よりは遥かに高度な文化を持って居た。


>日本政府側が土人法を作り アイヌ人を保護したので

保護するというのはアイヌ語やアイヌの生活を変えない様にする事だよ
生業や生活や宗教を変えさせたらミンゾク浄化になる
88投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 07時43分44秒

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36 秒前(編集済み)

昔のアイヌ人やアイヌ最後のシャーマン 青木愛子さんが持って居た不思議な能力については

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) 1982/12
藤村 久和 (著)


アイヌ民族 (朝日文庫) – 2001/11
本多 勝一 (著)

アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録1983/8
青木 愛子 (著)
一部を表示
89投稿者:2  投稿日:2019年12月15日(日) 13時39分16秒
何か完全に誤解してるみたいだけど、

Y-DNAは父親から息子にしか受け継がれません
父親が 北海道オホーツク海沿岸部にやって来たオホーツク文化人(Y-DNA = C2)なら, 息子も Y-DNA = C2 になります。

今のアイヌ人の男は Y-DNA = D1 なので北海道オホーツク海沿岸部にやって来たオホーツク文化人の子孫ではありません。

それから和人の男は Y-DNA が O1, O2 が多いので、和人の子孫の男も Y-DNA が O1, O2 が多くなります。

現在のアイヌの男は Y-DNA = D1 なので和人の子孫でもありません。

現在のアイヌの男が北海道オホーツク海沿岸部にやって来たオホーツク文化人の男の子孫でも、和人の男の子孫でもないとしたら
擦文人(Y-DNA = D1)の男の子孫に決まってるんですよ。
90投稿者:2  投稿日:2019年12月19日(木) 21時43分47秒
日本人も今中国がウイグルやチベットでやっているのと全く同じミンゾク浄化を北海道でつい最近まで続けてきました。

千島アイヌは色丹島のアウシュビッツの様な強制収容所に集められて酷使されバタバタ死んでいき、生き残ったアイヌ青年は沖縄戦の最前線に送られ、千島アイヌは絶滅させられました。

そして遂に今はアイヌ語を話せるアイヌ人も、アイヌのシャーマンも、アイヌの宗教も消滅してしまいました。

今ならまだ間に合います。 ウイグル人、チベット人とアイヌ人を独立させ、かつての輝かしい偉大な文化を再生させましょう:

北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。

1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
91投稿者:2  投稿日:2019年12月19日(木) 21時46分35秒
アイヌは 狩猟民族としては世界で最も高度な文化を持っていました。

アイヌ語は現存する世界最古で最美の言葉だといわれています。

アイヌ人の味覚は世界の民族の中で断然No.1、アイヌ料理は世界の料理の中で一番美味しいと言われています。

アイヌ文化は西洋文化とは180度反対の方向に進化した究極の文化なのです。
シャーマンが行うアイヌ医療は慢性病や医者では治せない難病の治療では西洋医学より遥かに優れていたし、アイヌの宗教やシャーマニズムはすべての宗教の中で最高到達点だと言われています。

アイヌ人は超能力(千里眼、テレパシー能力、動物と会話する能力)を持って居た様で、西洋科学ではなく超能力の方向に進化したのですね。

保護するというのはアイヌ語やアイヌの生活を変えない様にする事です。
生業や生活や宗教を変えさせたらミンゾク浄化になるのです。

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昔のアイヌ人やアイヌ最後のシャーマン 青木愛子さんが持って居た不思議な超能力については

アイヌの霊の世界 (小学館創造選書 56) 1982/12 藤村 久和 (著)
アイヌ民族 (朝日文庫) 2001/11 本多 勝一 (著)
アイヌお産ばあちゃんのウパシクマ―伝承の知恵の記録 1983/8 青木 愛子 (著)
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青木愛子の人となりを簡単に紹介するならば、収入になるかどうかの問題は置くとして、アイヌ世界のプロフェッショナルとしてのイコインカルクル(助産婦)であり、ツスクル(降霊能力者)であり、ウエインカラクル(観自在者)であり、クスリや生体を含める各種療術師であるといえよう。

…巫女の側面としては、ツス(降霊現象)とウエインカラ(千里眼)がある。ツスは昭和二十一年五月(三十二歳)に始まり、ウエインカラは章は三十年(四十一歳)、癌の手術で死にかけた時から始まっている。
例えば人生相談のものが来て、すでに他界している先祖の霊にお伺いしたいというようなことで、愛子の肉体に死者の霊を降ろして語らせる現象をツスと呼ぶ。

ウエインカラ、いわゆる千里眼で何でも見えるようになると、人生相談の者が来てもツスをする必要がなくなり、もっぱらウエインカラして見るようになる。巫女として、他の種々のカムイノミ(神儀)やウエポタラ(まじない)等も行う。
92投稿者:2  投稿日:2019年12月24日(火) 14時05分09秒
明治以前は日本人の生活様式では北海道の冬は越せなかったので、北海道にはアイヌ人しか住んでいなかった。 従ってアイヌ人は先住民族で間違いない:
北海道は、1869年、明治2年に人口6万人でした。
1869年から1896年の30年間の間にアイヌの土地を全部一人あたり10万坪、150万坪、250万坪を日本人に渡してしまいました。

その後、「北海道旧土人保護法」で、アイヌには一人あたり1万5千坪、役に立たない山の中や川べりの土地を配ったのです。

北海道旧土人保護法というのは「アイヌを保護しましょう」という法律なんです。保護ってどういうこと? 明治時代に和人が盛んに開拓民として入って行くわけです。その人たちが必要なのは土地、農地なんです。政府は開拓民たちが土地を占領するとアイヌが困るだろうと考えた。そこで「平等に土地を分け与えましょう」ということにした。

土地をもらったアイヌは困っちゃたんですね。何もすることがない。彼らの生業は弓矢や槍でクマを獲るか、川でシャケを獲るか、これが生活の主体ですから。あとは山に行って山菜などを採取する。それで暮らしが成り立っていたんです。足りないものは内地へ行って交易をした。

日本政府は、アイヌに対し「日本人になりなさい」という同化政策を実行していった。当時はアイヌのアイデンティティーを否定する時代だったんです。

1956年に送ったILOへの先住民に関する報告書には、アイヌは和人
と同化したので、もはや先住民ではない、ととんでもないことを書いているのです。

 過去の日本国のアジア地域の植民地化は、アイヌ民族に対する植民地化から始まりました。
国内においてはアイヌの日本人化を徹底して進め、国外に対しては従属され同化されつつある「旧土人」、英語表現上は「先住民」とされ、日・露・米・英四ヵ国で締結された国際条約「猟虎膃肭獣(ラッコ・オットジュウ)保護条約」では、アイヌをインディアン、アリュートと同列扱いをするという、二重規定を用いてきたのです。
93投稿者:3  投稿日:2019年12月25日(水) 20時59分51秒
江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大26800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。
1897年のロシア国勢調査によればアイヌ語を母語とする1,446人がロシア領に居住していた[33]。
現在、国勢調査ではアイヌ人の項目はなく、国家機関での実態調査は行われていないに等しい。そのため、アイヌ人の正確な数は不明である。
2006年の北海道庁の調査によると、北海道内のアイヌ民族は23,782人[34][14]となっており、支庁(現在の振興局)別にみた場合、胆振・日高支庁に多い。なお、この調査における北海道庁による「アイヌ」の定義は、「アイヌの血を受け継いでいると思われる」人か、または「婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる」人というように定義している。また、相手がアイヌであることを否定している場合は調査の対象とはしていない。
1971年調査で道内に77,000人という調査結果もある。日本全国に住むアイヌは総計20万人に上るという調査もある[35]。この結果を裏付ける他の研究はない。
北海道外に在住するアイヌも多い。1988年の調査では東京在住アイヌ人口が2,700人と推計された[34]。1989年の東京在住ウタリ実態調査報告書では、東京周辺だけでも北海道在住アイヌの1割を超えると推測されており、首都圏在住のアイヌは1万人を超えるとされる[14]。 日本・ロシア国内以外にも、ポーランドには千島アイヌの末裔がいると1992年に報道されたが、アレウト族の末裔ではないかとの指摘もある[36]。一方、アイヌ研究の第一人者で写真や蝋管など膨大な研究資料を残したポーランドの人類学者ブロニスワフ・ピウスツキが樺太アイヌの女性チュフサンマと結婚して生まれた子供たちの末裔は日本にいる。
2017年の調査では、道内のアイヌ人口は約1万3000人となっている。これは2006年の2万4000人から急激に減少しているが、これは調査に協力している北海道アイヌ協会の会員数が減少したことと、個人情報の保護への関心の高まりから、調査に協力する人が減っていることが挙げられ、実際の人数とは合致しないと考えられている[37]。
94投稿者:2  投稿日:2019年12月25日(水) 21時00分19秒
2015/05/12 - 北海道アイヌ生活実態調査

アイヌ世帯の平均年収は355.8万円、「年収なし」を除くと369.2万円である。

100万円ごとの年収区分では、回答のあった2,903世帯のうち、「200万円以上300万円未満」が567世帯(19.5%)ともっとも多く、「100万円以上200万円未満」が432世帯(14.9%)、「300万円以上400万円未満」が409世帯(14.1%)、「400〜500万円未満」が280世帯(9.6%)、「100万円未満」が195世帯(6.7%)で続いている。年収500万円以上の世帯は550世帯(18.9%)、「年収なし」の世帯は92世帯(3.2%)であった。

なお、厚生労働省大臣官房統計情報部による『平成25年国民生活基礎調査』によれば、北海道の平均年収は473.5万円で、もっとも構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」であり、全国の平均年収は537.2万円、構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」となっている(表4)。

世帯年収を年代別でみると、「年収なしから200万円未満」の世帯は、世帯主が「30歳未満」の年代層において14世帯(25.0%)、「60歳〜70歳未満」の年代層に223世帯(37.0%)、「70歳以上」の年代層に177世帯(56.0%)と多くなっている。世帯主が現役世代であっても、「年収なしから200万円未満」の世帯が「30歳〜40歳未満」において47世帯(21.1%)、「40〜50歳未満」において96世帯(18.3%)、「50〜60歳未満」において156世帯(19.8%)と各年代層において約20%を占めている。

アイヌ民族の大学進学率は、1990(平成2)年頃から増加に転じてはいるものの、一貫して低い水準であり、もっとも進学率が高かった2005(平成17)年でも27.1%(補正値では21.1%)と、全国平均の5分の3程度となっている。また、1970(昭和45)年頃から1990年頃までは、全国平均が伸びているなかでアイヌ民族の平均は同水準で推移しており、事実上不平等が拡大していたことがわかる」。

また、アイヌ民族の高校進学、大学進学について、以下の特徴が指摘されている。

@ 進学者が増えたにもかかわらず、中途退学する者が多い。高校進学者のうち、中退した者は12.9%に達している。1999(平成11)年の高校中退率が全国平均で2.1%、北海道で1.9%であったのに比べるときわめて高い数字であるといえる。また、大学進学者の中退率は20.3%であり、「在学中」の者を母数から除いた30歳未満の中退率は23.2%まで増える。2007(平成19)年度の私立大学中退率は2.7%であり、アイヌの大学生が中退する可能性は、全国平均の9倍に達している。

A 高等学校の定時制に通う者が多い。高校進学者のうち12.8%が定時制高校に進学している。もっとも、アイヌ子弟の定時制高校への進学者は急激に減少しており、30歳未満では2.3%である。2008(平成20)年における全高校生に占める定時制高校生の割合は3.2%であり、わずかではあるものの全国平均を下回っている。
https://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/20150512_ochiai_report.pdf
95投稿者:2  投稿日:2019年12月26日(木) 08時43分53秒
北海道アイヌの祖先は4世紀に東北まで南下していて、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれていたんだよ。北海道アイヌも東北の一般民も13世紀までは農耕民で文化も同じだった。 その後、北海道アイヌは土器製作を止めて東北から鉄器を買う様になった。それが日本とアイヌの交易の歴史だ。

アイヌが13世紀に農耕を止めて狩猟民族に変わったのは、日本人が鉄製農具をアイヌに売るのを禁止したからだ。
96投稿者:2  投稿日:2019年12月26日(木) 09時25分23秒
北海道アイヌの祖先は4世紀に東北まで南下していて、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれていたんだよ。北海道アイヌも東北の蝦夷も13世紀までは日本から買った鉄製農具を使った農耕民で文化も全く同じだった。 その後、北海道アイヌは土器製作を止めて日本から鉄鍋を買う様になった。それが日本とアイヌの交易の歴史。

アイヌが13世紀に農耕を止めて縄文時代以来の狩猟民族に逆戻りしたのは、日本人が鉄製農具をアイヌに売るのを禁止したからです。
しかし、オホーツク文化人のトビニタイ文化を取り入れて海獣狩猟に適応したので、縄文時代と比べると随分進歩しています。
97投稿者:2  投稿日:2019年12月26日(木) 09時30分05秒
北海道アイヌの祖先は4世紀に東北まで南下していて、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれていたんだよ。北海道アイヌも東北の蝦夷も13世紀までは日本から買った鉄製農具を使った農耕民で文化も全く同じだった。 その後、北海道アイヌは土器製作を止めて日本から鉄鍋を買う様になった。それが日本とアイヌの交易の歴史。

アイヌが13世紀に農耕を止めて縄文時代以来の狩猟民族に逆戻りしたのは、日本人が鉄製農具をアイヌに売るのを禁止したからです。
しかし、オホーツク文化人のトビニタイ文化を取り入れて海獣狩猟に適応したので、縄文時代とは比較にならない程 進歩・洗練されました。
98投稿者:2  投稿日:2019年12月27日(金) 05時46分06秒
文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は多様なので、ある地域の文化変容を単純に集団の遺伝的構成の変容、さらには置換と判断することはできません。これを踏まえて「考古資料から集団置換が起きたか否かを判断するのは容易ではないというかほぼ無理で、古代DNA研究に依拠するしかない」と述べたら、「遺伝子研究では縄文人とアイヌ民族を結びつけることは出来ないということで大変参考になりました」と返信されて、あまりの読解力の低さ(IQ の低さ) にうんざりさせられました。

 北海道の時代区分は、旧石器時代→縄文時代→続縄文時代→擦文時代→アイヌ(ニブタニ)文化期と変遷していき、続縄文時代後期〜擦文時代にかけて、オホーツク文化が併存します。この間の文化変容と「遺伝的証拠」から、アイヌは「(北海道)縄文人」の子孫ではなく、12世紀頃に北海道に到来した、というような言説(関連記事)もネットの一部?では浸透しているようです(アイヌ中世到来説)。もっとも、こうしたアイヌ中世到来説やそれに類する言説を主張する人は、上述のやり取りから窺えるように読解力が低すぎる(IQが低すぎる)のではないか、との疑念がますます深まっています。

 それはさておくとして、考古学的には、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期、さらには近現代のアイヌにわたる人類集団の連続性を指摘する見解が主流で、アイヌ中世到来説はまともな議論の対象になっていない、と言えるでしょう(関連記事)。また考古資料から、縄文および続縄文文化を継承した擦文文化の側が主体となってオホーツク文化を吸収し、アイヌ(ニブタニ)文化が形成された、との見解も提示されています(関連記事)。アイヌ中世到来説論者に言わせると、こうした評価は適切ではない、ということになるのでしょうが、上述のように文化の変容・継続とその担い手である人類集団の遺伝的構成との関係は一様ではありませんから、置換があったと断定することはとてもできません。もちろん、考古資料だけを根拠に、縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を断定することもまたできません。もっとも、考古資料も縄文時代からアイヌ(ニブタニ)文化期までの人類集団の強い遺伝的継続性を示唆している、と私は考えていますが。

 古代DNA研究も含めて現時点での遺伝学の研究成果からは(関連記事)、アイヌが「(北海道)縄文人」の強い遺伝的影響を受けている可能性はきわめて高い、と言えそうですが、この問題の解決には古代DNA研究の進展を俟つしかないと思います。ただ、日本列島も含めてユーラシア東部圏の古代DNA研究はヨーロッパを中心とする西部よりもずっと遅れているので、現時点でのヨーロッパと同水準にまで追いつくのには時間がかかりそうです。ただ、古代DNA研究には「帝国主義・植民地主義的性格」が指摘されており、日本でもこの問題が解決されたとはとても言えないでしょう(関連記事)。古代DNA研究の大御所と言えるだろうウィラースレヴ(Eske Willerslev)氏が中心となってのアメリカ大陸先住民集団との信頼関係構築は、日本においても大いに参考になるでしょうが、歴史的経緯が同じというわけではないので、単純に真似ることは難しいかもしれません。古代DNA研究は倫理面でも大きな問題を抱えていますが、それらを克服しての進展が期待されます。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_31.html
99投稿者:2  投稿日:2019年12月28日(土) 21時02分24秒
アイヌ人と和人の混血は日本に10万人います。殆どは差別されたくないので日本人に成りすましています。
しかし、アイヌ人である事に誇りを持って居るアイヌの血が濃い人はアイヌ協会に入ってアイヌと自称しています。

元々、アイヌ人は狩猟民族で人口密度が低く、江戸時代でも北海道全体で1万数千人しかいませんでした。
現在でも自称アイヌは1万数千人なので、ほぼ江戸時代と同人口ですね。
従って、今アイヌ人が独立して、アイヌ系の人間だけが集まればアイヌ人の遺伝子は守られます。
100投稿者:2  投稿日:2019年12月28日(土) 22時42分54秒
北海道はアイヌの土地だったのに日本人が暴力で奪ったからね
今のままだとドウワブラクと同じで、アイヌは永遠に社会の底辺から抜け出せない
もう独立させるしかないんだよ
101投稿者:2  投稿日:2019年12月28日(土) 22時53分35秒
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。 国立科学博物館の神沢秀明研究員らは13日、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析し、
縄文人が大陸の集団からわかれた時期が今から約2万〜4万年前とみられることがわかったと発表した。 国立遺伝学研究所や東京大学などと共同で、礼文島(北海道)の船泊遺跡で発掘された縄文人女性の人骨の歯からDNAを取り出して解析した。
最先端の解析装置を使い、現代人のゲノム解析と同じ精度でDNA上の配列を特定した。
特定した配列を東アジアで現在暮らす人々の配列と比べた結果、
縄文人の祖先となる集団が東アジアの大陸に残った集団からわかれた時期が約3万8000年前から1万8000年前であることがわかった。 縄文人は日本列島に約1万6000年前から3000年前まで暮らしていたと考えられている。
3000年前以降は大陸から新たに弥生人が渡来し、日本列島に住む人々の多くで縄文人と弥生人以降のゲノムが交わったことがこれまで知られていた。 今回の解析では、国内の地域ごとに縄文人から現代人に受け継がれたゲノムの割合が大きく異なることもわかった。
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。
102投稿者:2  投稿日:2019年12月29日(日) 11時57分03秒
縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。



遺伝的に近かった出雲人と東北人



 日本人のDNAをめぐって、もう一つ、意外性のある分析結果がある。

 数年前、島根県の出雲地方出身者でつくる「東京いずもふるさと会」から国立遺伝学研究所にDNAの調査依頼があり、斎藤教授の研究室が担当した。21人から血液を採取してDNAを抽出、データ解析した。その結果、関東地方の人たちのほうが出雲地方の人たちよりも大陸の人びとに遺伝的に近く、出雲地方の人たちは東北地方の人たちと似ていることがわかった。

 「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたのです。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出てきた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは否定できない」と指摘。出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。その後、新たに45人の出雲地方人のDNAを調べたが、ほぼ同じ結果が得られたという。
103投稿者:5  投稿日:2019年12月30日(月) 11時15分38秒
2019年06月04日
愛知県の「縄文人」のゲノム解析

愛知県田原市伊川津町の2500年前頃の「縄文人」個体(IK002)に 41264ヶ所の一塩基多型を用いると、IK002は現代の北海道アイヌと強い遺伝的類似性を示し、アイヌは縄文人の直接的子孫という以前からの説が支持されます。

IK002は現代の北海道アイヌを除いて、ユーラシア東部および日本列島の現代人集団とはわずかに異なります。IK002系統は、アジア東部系統とアメリカ大陸先住民系統とが分岐する前に、これらの共通祖先系統から分岐したと推測されます。

これらの知見は、縄文人と弥生時代以降にユーラシア東部から日本列島に到来した集団との融合により「本土日本人」が形成され、アイヌは「本土日本人」よりも縄文人の遺伝的影響を強く受けている、との古典的仮説を強く支持します
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_9.html
104投稿者:2  投稿日:2019年12月30日(月) 11時46分42秒
本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました。
現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。
 従来の諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。
アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html
105投稿者:2  投稿日:2020年01月02日(木) 00時47分29秒
北海道なんだからアイヌのユーカラをやって欲しい
シャモの舞踏は北海道とは水と油だよ
106投稿者:2  投稿日:2020年01月02日(木) 22時44分26秒
アイヌ人は日本人から差別・迫害され続けて、大学にも行けず、所得も北海道で最底辺なので、何らかの形で財政援助しないと餓死するのですね:
2015/05/12 - 北海道アイヌ生活実態調査
アイヌ世帯の平均年収は355.8万円、「年収なし」を除くと369.2万円である。

100万円ごとの年収区分では、回答のあった2,903世帯のうち、「200万円以上300万円未満」が567世帯(19.5%)ともっとも多く、「100万円以上200万円未満」が432世帯(14.9%)、「300万円以上400万円未満」が409世帯(14.1%)、「400〜500万円未満」が280世帯(9.6%)、「100万円未満」が195世帯(6.7%)で続いている。年収500万円以上の世帯は550世帯(18.9%)、「年収なし」の世帯は92世帯(3.2%)であった。

なお、厚生労働省大臣官房統計情報部による『平成25年国民生活基礎調査』によれば、北海道の平均年収は473.5万円で、もっとも構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」であり、全国の平均年収は537.2万円、構成比率の高い年収区分は「200万円以上300万円未満」となっている(表4)。

世帯年収を年代別でみると、「年収なしから200万円未満」の世帯は、世帯主が「30歳未満」の年代層において14世帯(25.0%)、「60歳〜70歳未満」の年代層に223世帯(37.0%)、「70歳以上」の年代層に177世帯(56.0%)と多くなっている。世帯主が現役世代であっても、「年収なしから200万円未満」の世帯が「30歳〜40歳未満」において47世帯(21.1%)、「40〜50歳未満」において96世帯(18.3%)、「50〜60歳未満」において156世帯(19.8%)と各年代層において約20%を占めている。

アイヌ民族の大学進学率は、1990(平成2)年頃から増加に転じてはいるものの、一貫して低い水準であり、もっとも進学率が高かった2005(平成17)年でも27.1%(補正値では21.1%)と、全国平均の5分の3程度となっている。また、1970(昭和45)年頃から1990年頃までは、全国平均が伸びているなかでアイヌ民族の平均は同水準で推移しており、事実上不平等が拡大していたことがわかる」。

また、アイヌ民族の高校進学、大学進学について、以下の特徴が指摘されている。

@ 進学者が増えたにもかかわらず、中途退学する者が多い。高校進学者のうち、中退した者は12.9%に達している。1999(平成11)年の高校中退率が全国平均で2.1%、北海道で1.9%であったのに比べるときわめて高い数字であるといえる。また、大学進学者の中退率は20.3%であり、「在学中」の者を母数から除いた30歳未満の中退率は23.2%まで増える。2007(平成19)年度の私立大学中退率は2.7%であり、アイヌの大学生が中退する可能性は、全国平均の9倍に達している。

A 高等学校の定時制に通う者が多い。高校進学者のうち12.8%が定時制高校に進学している。もっとも、アイヌ子弟の定時制高校への進学者は急激に減少しており、30歳未満では2.3%である。2008(平成20)年における全高校生に占める定時制高校生の割合は3.2%であり、わずかではあるものの全国平均を下回っている。
https://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2015/05/20150512_ochiai_report.pdf
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