映画@あめざーねっとIV

映画、ビデオの話題。

 ■ 溝口健二は本当に世紀の名匠か?

127:赤ひげ
Nov. 15, 2009, 12:43:55


ドストエフスキー『虐げられた人びと』

ワーニャが遭遇したある老人の死。その老人の孫娘、ネリーに与えられた表象は、どうだろうか。ワーニャに悲惨な境遇から助け出されてワーニャの家に移り住んだネリーが、あるときワーニャの家を飛び出す。さんざ探し回った挙句にワーニャが目にした光景は、哀れにもネリーが橋の上で物乞いをしている姿だった。


私が愛し、可愛がり、いつくしんでいた何か貴重なものが、その瞬間、私の目の前で辱められ、唾を吐きかけられたように思われた。そして私の目から涙があふれ出た。
ネリーを恐るべき虐待から救い、目一杯の愛情を注ぎながらともに暮していたワーニャはそのとき、少女の傷がまだ癒されていないことに気づいた″。


こういう苦痛をいっそう掻きむしり、苦痛を愉しむやり方は、私にはよく理解できた。それは運命にさいなまれ虐げられ、しかも運命の不当さを意識している多くの人々の楽しみなのである。・・・(中略)・・・〔だが〕全く自分だけのために、この楽しみに耽っているのだろうか。何のための物乞い、何のための金なのか。
ネリーは施しをもらうと、すぐさま近くの店に入った。なんと、ネリーは、さっき家を出るときに自分が壊してしまった茶碗を買っていたのだ・・・! ワーニャはネリーに赦しを乞う。少女は涙を浮かべ、そんなワーニャの胸に飛びつく。・・・

この小説の最も美しい場面のひとつと云えるだろう。ネリーは自分の不幸を見せ付けるために物乞いをしていたのではなかった。あくまで他人に迷惑をかけまいとする、あまりに純朴な心がさせたことだった。自分を限りなく貶めようとする自虐的な性格は、彼女にとって世間から自分を守るための手段であり、怯えを覆い隠すヴェールである。だから、ワーニャがネリーの傷が癒えていないと思ったのは、けして間違っているわけではない。無償の愛に包まれることをたやすく許さない彼女の心の傷は、こちらから一方的な愛情を注ぐだけでは癒されないのだ。愛することに怯えず、愛されることに後ろめたさを感じないこと――つまり、すべてが赦される愛。いつか、彼女が人を本当に愛することができるようになってはじめて、心の傷は消え去りはじめるだろう。ネリーとは、赦されることの愛の大切さを物語る存在なのである。
http://secular.exblog.jp/950883/

126:赤ひげ
Nov. 1, 2009, 11:29:13

監督 黒澤明

http://www.youtube.com/watch?v=SczWki5VRfQ&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=0&playnext=1
http://www.youtube.com/watch?v=kKXO4nxIudU&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=pxErHmk0RJU&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=2

http://www.youtube.com/watch?v=wLoB-vKKvYk&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=3
http://www.youtube.com/watch?v=A6fqMZ8OJR8&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=VZFm8AC3iS4&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=5

http://www.youtube.com/watch?v=HsJnOkcSO7Q&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=6
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http://www.youtube.com/watch?v=p5vsnMDbd4c&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=8

http://www.youtube.com/watch?v=ST3EnQtMfxc&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=9
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http://www.youtube.com/watch?v=0ZnJoyIJHt4&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=12
http://www.youtube.com/watch?v=RcP-vu7yKJw&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=13
http://www.youtube.com/watch?v=PQNe3hGzkgA&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=14

http://www.youtube.com/watch?v=WS3FnVFXA_g&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=15
http://www.youtube.com/watch?v=2mOENe_Q-Ak&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=16
http://www.youtube.com/watch?v=ghp78DyIRFQ&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=17

http://www.youtube.com/watch?v=qk_L1dPa1gE&feature=PlayList&p=6C6A22593BF769E7&index=18

125:赤ひげ
Nov. 1, 2009, 11:23:28


監督 黒澤明
製作 田中友幸
菊島隆三
脚本 井手雅人
小国英雄
菊島隆三
黒澤明
出演者 三船敏郎
加山雄三
山崎努
音楽 佐藤勝
撮影 中井朝一
斎藤孝雄
編集 黒澤明
配給 東宝
公開 1965年4月3日

124:羅生門
Oct. 24, 2009, 10:38:31

監督 黒澤明

http://www.youtube.com/watch?v=e83FEdYi4IY&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=4
http://www.youtube.com/watch?v=I54So5Y2OAU&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=5
http://www.youtube.com/watch?v=Rm9MLoifAS4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=w-NczyX1ilM&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=JR5HAHR-X-I&feature=related

123:羅生門
Oct. 24, 2009, 10:36:54


監督 黒澤明
原作 芥川龍之介
脚本 黒澤明 橋本忍
撮影 宮川一夫
音楽 早坂文雄

キャスト(役名)
三船敏郎 (多襄丸)
森雅之 (金沢武弘)
京マチ子 (金沢の妻・真砂)
志村喬 (杣売)
千秋実 (旅法師)


http://www.youtube.com/watch?v=-K5RCVRDObM&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=CHVfccK_cRI&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=2
http://www.youtube.com/watch?v=VH2fr_h-LKo&feature=PlayList&p=0182B495522EBCE1&index=3


122:生きる1952・東宝
Oct. 10, 2009, 12:06:33


「《もしほんとうにおれの生活が、意識的生活すべてが間違っていたとしたら、どうだろう?》

 そのとき彼の頭に浮かんだのは、前にはぜんぜん不可能に思われたこと、つまり彼のそれまで送ってきた生活は間違いだったということーーそれがやはりほうとうだったかもしれぬという考えであった。つづいて彼の頭にうかんだのは、社会で最高の地位にある人々がよしとしていることにたいして闘ってみようという、あるかなきかの秘められた心の動向、彼がいつも起こるとすぐ自分から追いのけ追いのけしていた、あるかなきかの秘められた心の動向ーーそれこそ、ほんとうのものであって、それ以外のものはすべてそうでないかもしれぬ、という考えであった。彼の勤務も、彼の生活設計も、彼の家庭も、社交や勤務上の興味もーーすべてが本物でなかったかもしれない。」(pp154-155)


 人生観の大転換である。彼の生活の全てが「生をも死をもおおいかくしていた恐ろしい巨大な欺瞞」(p155)であったことに彼は気づいた。虚飾で彩られた彼の生活には、生気も、死もなかったのだ。

 社会で最高の地位にある人々がよしとしていることで、間違っていることは数限りなくなる。戦争、裁判、売春、死刑、暴力、嫉妬、独占欲、性的支配、南北格差、性と商品の横溢。それら全てを当然のこととして受け入れるのではなく、間違っていると感じることには、みなと同じように賛同せず、闘うこと。これがトルストイの人生である。

 イワン・イリイチはほんとうの人生を送ろうとしても、死が目の前に迫っている。彼は何もすることができないまま死ぬのだろうか。

「《自分は自分にあたえられたすべてをむだにしてしまい、回復の見込みがないという意識をもってこの世から出て行こうとしているとしたら、そのときはどうだろう?》彼は仰向けに寝たまま、すっかり新しく、自分の全生涯を思いかえしはじめた。」(p155)

無駄にすごしてしまった人生の最後、無駄のまま死を迎えようとしているイワン・イリイチに、光が訪れる。

「ちょうどこの瞬間に、イワン・イリイチは穴に落ちこんで、光をみとめたのである、そしてそのとき、彼には、自分の生活はほんとうではなかった、しかしそれはまだ訂正できるーーこういうことが啓示されたのだった。」(p157)

「彼は、昔から慣れっこになっている死の恐怖をさがしてみたが、見つからなかった。死はどこだ? 死とはなんだ? どんな恐怖もなかった、死がなかったからである。死のかわりに光があった。」(pp157-158)

 小説の最後、死の瞬間、イワン・イリイチは、人生を無駄にするという死から抜け出す。

「「おしまいだ」と誰かが彼の上で言った。

 彼はこの言葉を聞きつけて、それを心の中でくり返した。《死はおしまいだ》と彼は自分に言った。《もう死はないのだ》

 彼は空気を吸いこもうとしたが、深い呼吸は中途でとまり、ひとつ身をのばすと、死んでしまった。」(p158)

 トルストイは死の直前にあってさえも虚飾にまみれた人生から抜け出すことができるという希望を提示した。死とは人生を無駄に、享楽的に過ごすことだとすれば、いつでも復活することは可能である。肉体的に滅びさる直前にも復活できるのだから、今すぐに、社会で最高位にいる人々がよしとする悪と闘うことは可能である。
http://naha.cool.ne.jp/feltmail/reviewtrsiwan.html

121:生きる1952・東宝
Oct. 10, 2009, 12:06:04


 イワン・イリイチは貴族の出で、器量よく、財産もある、きれいな女と結婚する。しかしそのうち妻は、何の理由もなく嫉妬したり、彼にご機嫌とりを要求したり、不愉快さを露骨に見せたりする。
「彼は、妻のきげんをつとめて無視することにし、従前どおり、かるく愉快な生活をつづけていたーー自宅や友だちを招いてカルタをやったり、ひとりでクラブや友人のもとへ出かけたりしてみた。しかし、妻はあるとき、たいへんな精力を見せて乱暴な言葉で彼を罵倒しはじめ、彼が彼女の要求を実現しないと、そのたびに、いかにも執拗に罵倒をつづけ、明らかに彼が屈服するまで、つまり彼女と同じように、いつも家に閉じこもって、うつうつと楽しまないようになるまで、決してやめまいと堅く決心したかのように見えたので、イワン・イリイチはおぞけをふるった。」(p119)

いかにもトルストイ的な夫婦生活の崩壊場面である。彼は小説作品の中で何度もこのような情景を描いている。

「こうして、妻がいらだちやすく、要求的になればなるほど、イワン・イリイチもますます自分の生活の重心を、勤務のほうへ移すようになった。彼は前よりいっそう勤務を愛するようになり、いっそう名誉心が強くなった。」(p119)

妻は夫に対して自分と同じように家の中に閉じこもって、暗い生活を送るよう強制しているとイワン・イリイチは感じる。するとイリイチは皮肉にもますます家庭の外に生活の重心を移そうとする。外で働く夫と家庭にい続ける妻のかい離。

 無論仕事先でイリイチは立派な人間としてふるまっているので、仕事仲間や依頼人と人間的な交流を持とうとしない。人間と上品ぶってつきあうのがイリイチの生き方である。こうした人間関係をイリイチは家庭にも当てはめようとする。

「やがてまもなく、結婚後一年とたたないうちに、イワン・イリイチは、夫婦生活というものは、生活にある便宜は与えるけれども、じつはひじょうに複雑な、重苦しい仕事である。したがって、自分の義務をはたすため、つまり社会から是認されるような、作法にかなった生活を送るためには、勤務に対するのと同じような、一定の態度を作り出す必要がある、こうさとった。

「そこでイワン・イリイチは、夫婦生活にたいするこういう態度を自分に作った。彼は、家庭生活からは、ただ家での食事、主婦、寝床、そうした妻の彼にあたえうる便宜と、主としては、世論が決定する外面形式の上品さだけを要求した。その他の点で彼は、陽気な愉快さと上品さを求め、もしそれが見つかると、ひじょうにありがたがった。が、もし抵抗や不平に出くわした場合には、さっそく垣をめぐらした勤務という別世界へ逃避して、そのうちに愉楽を見出すのだった。」(pp119-120)

 生活の便宜性、機能と上品さ、愉快さだけを家庭に要求し、それ以外の不平に出くわせば、すぐまた仕事に逃避する。人間的な深い心の交流などどこにも要求せず、便宜性と上品さと愉快さだけで満たされるイワン・イリイチの生活。

 時が経ち、イワン・イリイチの体を死の病がおそう。イリイチは生き生きとしている周りの人間たち全てに嫉妬し、苛立ち、自分の人生を振り返える。彼が自分の人生の中に生気を見出せたのは、子ども時代だけであった。

「結婚……いかにも思いがけなく、そして幻滅、妻の口臭、肉欲、虚飾! それからこの死んだような勤務、金の苦労、こうして一年、二年、十年、二十年ーーどこまで行っても何もかも同じだ。さきへ行けば行くほど、生気がなくなる。」

「ことによると自分は、生きかたを間違っていたのだろうか? とつぜん、こういう考えが頭にきた。しかし、当然すべきことをしてきたのに、どうして間違うなんてことがあるだろう?」(p151)

「《しかしせめて、なぜこんなことがあるのか、これだけでもわかればいいが。それもだめだ。おれの生きかたが間違っていた、こう言ってしまえば説明もつく。しかし、それももう承認できない》と彼は、自分の生活の合法性、正しさ、作法にかなっていることを思いだしながら、われとわが身に言うのだった。《そんなことは、もうとても承認できない》」(p153)

120:生きる1952・東宝
Oct. 10, 2009, 12:05:31


トルストイ「イワン・イリイチの死」

原著は1886年3月22日完成。イワン・イリイチが死ぬまでの過程を容赦なく克明につづった小説。個人の死を描写したとして、実存主義哲学の先駆けとされる。ナボコフはドストエフスキーの技法の幼稚さをさんざん罵倒しつつ、トルストイの芸術家としての手腕を絶賛している。ナボコフはトルストイが晩年宗教哲学に傾倒して文学から離れたことを嘆いているが、それでもこの後期を代表する短編「イワン・イリイチの死」は高く評価している。トルストイ後期の他の短編は、どれも宗教的教条臭に満ちているが、この作品は、彼の宗教哲学に共感できない人でも、十分トルストイそのもののすごさを体感できる内容となっている。

 イワン・イリイチは四十五歳で、裁判所の一判事として死ぬ。小説の冒頭は、彼の同僚たちがイワン・イリイチの死を知って、彼の家を訊ねる場面となっている。他人ごとであるイリイチの死によって、官位が一つあいたことを同僚たちは喜ぶ。何の悲しみもない、エゴまみれの葬儀場面の後で、イワン・イリイチの生活史が綴られる。

「法律学校時代すでに彼は、その後の全生涯にあったと同じ彼ーー有能な上に快活で、人がよく、人づきあいもよかったが、自分の義務と考えたことは、厳格に実行するという男であった。ところで、彼が自分の義務と考えたことはすべて、高い地位におかれた人々によって、そう考えられていることであった。彼は少年時代にも、その後成人してからも、人にとり入るような男ではなかったが、しかし彼には、ずっと若い時分から、蠅が光にひかれるように、社会で最高の地位を占めた人のほうへひかれる傾向があり、しぜん、彼らの生活態度、彼らの人生観を身につけて、彼らと親しい関係を結ぶようになるのであった。(…)法律学校時代に彼は、以前にはたいへんけがらわしいことに思われて、それを行なうときには自分自身にたいしてすら嫌悪をおぼえたほどの行為を実行したが、その後、この行為が身分の高い人々によっても行われ、べつにわるいこととも思われていないのを見て、それをいいことと思ったわけではないけれども、いつかすっかり忘れてしまって、それを思いだしてもなやむようなことはなかった。」(p115)

 イワン・イリイチは有能な上に快活で、義務を厳格に実行する、端から見ると立派な人間である。彼が義務と考えることは、社会の最高位の地位に置かれた人々が義務と考えることと等しい。彼は媚びをうることはないが、社会で最高の地位にある人に憧れ続ける。ここまではまっとうな、悪く言えばありきたりの人物描写だが、トルストイの妙技が加わるのは後半部分である。イワン・イリイチは、やましい行為に手を出しても、自分が憧れている、身分の高い人々も同じ行為をしており、彼らがそれを別に悪いことと思っていないことを知ると、自分の感じていた罪の意識さえ忘れるのだった。トルストイは暗黙裏に、社会で身分が高い人もやましいことを当然のように行なっているのだから、彼らを闇雲に崇拝するのはよくないし、みんながやっているからといって、自分の罪を正当化するのはいけないことだと言う、かたくななまでの正義の論理を語っている。

119:生きる1952・東宝
Oct. 10, 2009, 11:59:06


イワン・イリイチの死、トルストイ作

イワン・イリイチ。45才。裁判所判事。彼は一官吏としてもくもくと出世街道を登り詰めてきた。しかし彼にとって家庭生活は決して愉快なものではなかった。家内とはいつも言い争い、疎ましく思っていた。出世し、他人がうらやむ金を稼ぐ、ここにイワン・イリイチの人生の欲望があった。

官界における栄達、私的生活の充実、イワン・イリイチは自ら獲得した生活に充足されたと思い込んだ。そんなある日、脇腹に重苦しさを感じ、何人かの名医に診て貰った。危険か、危険でないのか、知りたいのは結論だった。しかし名医達は患者の前で患者の意向に正しく応えようとはしなかった。病状は確実に悪化していった。イワン・イリイチは自分が死にかかっているのではないかと感じた。それは絶望そのものであった。

彼は「人間は必ず死ぬ」という3談論法を正しいと考えたが、それはあくまで一般の人を対象にした論理であり、自分は生まれてから今日まで自分そのものであり、自分にはこの論理は別物であった。自分が死なねばならぬことなど、あまりにも恐ろしいことであった。


彼はこの考えの代わりに次々と別の考えを持ち出し、これを忘れようと努めた。しかし再びこの考えに戻ると、そこではもう死は覆い隠すことなく、むき出しで彼に迫った。彼は裁判所に出かけ気を紛らわせようとした。しかし痛みは彼にひしひしと迫った。彼は別の覆いを捜したが、痛みは容赦なく彼に死を覆い隠すことなく迫ってくる。


周囲の嘘がイワンを苛立たせた。下男ゲラーシムだけが本当の姿で彼に処してくれた。ゲラーシムと一緒にいる時だけは不思議に痛みが癒えた。ゲラーシムの言葉「人間は誰でも死ぬもので御座います」。イワンはこの言葉は素直に聞けた。しかし一人でいるのは怖かった。周囲の嘘と偽善は彼を苦しませた。健康な家内や娘の身体を見る度に憎悪が走った。自分に同情し、泣いてくれる息子だけが不憫でならない。ゲラーシムと息子だけが自分を憐れんでくれていると思った。

一人になってイワンは泣いた。一人になって内なる魂の声を聞いた。「自分の人生は間違っていたのか。自分は何を求めて生きてきたのだ」。身体は日を追う毎に衰弱していった。

寝ている彼が味わうのは孤独だった。孤独の中で過去を思った。過去の最初には1点の光があった。しかし光は加速度的に暗くなり、墜落、衝突、破壊が待っている。「自分は間違った生き方をしてきたかも知れない」。全てが欺瞞だ、しかし今や回復不能。

のたうち回る。家内の虚偽と欺瞞に満ちた目。憎悪の念と痛みが身体を襲う。「自分は間違っていた。しかし本当のこととは一体何だろう」。息子が近くに来て手を握って泣き出した。落ちていく中でイワン・イリイチは光を見た。「そうだ、わしはこの連中を苦しめている。みんな可哀相だ。しかしわしが死ねばみな楽になるだろう。そんなこと口に出さずともわしが死ねば良いのだ」。この瞬間、全てが楽になった。痛みも消えた。目の前には、死の代わりに光があった。何という喜びだ。「死はおしまいだ」彼はこの言葉を最後に耳にしながら、息を引き取った。
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/ad/iwanno.htm

118:生きる1952・東宝
Oct. 10, 2009, 09:34:37


監督:黒澤 明

http://www.youtube.com/watch?v=IxG98IEx4IQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=bzSNQnITEyI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KyHcca1jbew&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=COxM6S9tt10&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=SgCOGbW_3cs&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=eNBoQe7FvW8&feature=related



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